第24話 ルーツ
17歳の遊佐二月は、苛立っていた。
何に。と問われると困るが、とにかく苛立っていた。
学校に。
社会に。
エンタメに。
家族に。
自分に。
高校生という、不安定な時期だから珍しいことではないのだろうけど、当時はこの世界が嫌いで仕方なかった。
大人になればこの苛立ちから解放されるのかとぼんやり思っていたが、別にそう変わっていない。
相変わらず、ムカつくことは多い。
しかし、一つだけ習得した技術がある。
仕事中は、心を殺す。
ルール6 八つ当たりをしない
このルールを守る上では、中々効果的な方法で、「自分はこう思う」という考えを排除して、生徒や先生方、保護者の言うことを分析する。
すると、「ああ、この人は疲れてるから、こんなトンチンカンなことを言っているのだな」と、客観的に見ることができて、関係のない後輩に八つ当たりすることもなくなる。
一昔前に、ありのままでいいみたいなことを歌った曲が大ヒットしたが、あれは理想論だ。
ありのままの自分なんて見せたら、人間関係は崩壊する。だから、少しでもマシな自分であるために、心を殺して関わる。
\
「って感じなんだよ」
「はぁ」
らしくなく自分語りをしてみたけど、千原の反応は薄かった。
8月12日。
まだまだ蝉も学生もうるさい時期。
勤め人は、電車や道すがらで学生が馬鹿騒ぎするのを見て、「あと2週間ちょいでお前らは地獄を見ることになる」と呪いの視線で見て、精神のバランスを保っているであろう時に、俺は3回目の千原家訪問に来ていた。
「つまり、学校で私もそうしろと?」
反応は薄いが、こっちの意図しているところは把握するのだから、油断できない。
しかし、100点ではない。
「んー。まあ、だいたいそうなんだけど」
「なんですか。整理してから話して下さい」
今日の千原は、俺が「教師モード」であることを察してか、少し攻撃性が高い。
「今はリモートってのがあってだな」
「・・・おん?」
攻撃が緩まる。
「直接学校に行って勉強ってのは、はっきり言ってコスパが悪すぎる。しかも、授業の遅れもあるのに、いきなり、登校して授業を途中から受けろってのは無理がある」
「・・・」
「高校教師が外部のリモート専門の家庭教師を勧めるのは、偉い人に怒られそうだけど、学校って場所は、個人に合った授業をするにはとことん向いてない」
クラスのみんなが待ってるからって、最も大事な学力面で問題があるんだったら、復学させるのは無責任だ。
「リモート授業で信頼できる人がいる。一回、その人の話を聞いてみてくれないか?」
\
「白井、二月が変なこと言ってきたんだが」
「この人はいつも変でしょう」
本人が目の前にいるのに、堂々とディスる星田と白井さん。
「どうぞ」
この探偵事務所で唯一、俺を人間扱いしてくれる相馬がコーヒーをテーブルに置いてくれる。
どうやら、お茶係は白井さんから相馬に変わったらしく、俺もコーヒーを飲むことが許された。
美味しい。
「頼みますよ。先生」
「あなたにだけはそう呼ばれたくないです」
前職を辞めた学の無い俺に教養を与えてくれたのが白井さんだった。
腐っていた俺を見かねた星田が「お前の好きそうな女紹介してやるよ」と、ありがた迷惑この上ないことを言ってアパートに連れてきた。
おしゃれな古着に身を包み、中途半端なプリン頭で興味無さそうに俺を見る白井さんは、確かに俺の好みの女性だった。
しかし、何故か年下の星田に忠誠と言っても言いすぎではない好意を向けている白井さんは、俺を敵として認識しているようで、何かと張り合ってきた。
星田クイズ。
読書量。
料理スキル。
徒競走。
2勝2敗になった際、学力勝負になった。
俺の答案を見た白井さんは、真面目にやれと怒鳴ったが、真面目になった結果だと知ると、アパートを出て行った。
30分ほど星田とオセロをしていたら、白井さんが大量の教材を持って、ゼイゼイ息を切らせて帰ってきた。
「小学生からやり直しますよ!」
意味が分からなかったが、あまりの気迫に圧倒され、その日から、白井先生による地獄の勉強会が始まった。
それから1年間毎日、白井さんはアパートに来て、4時間みっちり授業して、大量の宿題を残して去っていくことを繰り返した。
毎日である。
クリスマスも。
お盆も。
バレンタインデーも。
正月も。
誕生日も。
「白井さん、今日誕生日ですよね」
「んなことどうでも良いですから、プリントに集中して下さい」
「大丈夫です。俺が数学だけはマシなの知ってるでしょう」
「・・・ふん」
何故か数学はやっていても苦ではなかったので、他の教科に比べて、白井さんもキツく言わなかった。
「なんか欲しいものあります?タダで勉強見てもらってますから、3万くらいなら出せますよ」
「何も。欲しいものは自分で手に入れます。まあ、もし、あなたが教師になったら、嬉しいというか、笑いますね」
白井さんが、軽口として言ったのだとは分かっていたが、変なスイッチが入った。
半年後、今の高校の数学教師になったと報告したら、白井さんは大爆笑した。
今のところ、俺が見た唯一の笑顔だった。
\
「じゃあ、その千原さんのお母さんが、給料を払ってくれるんですね」
「はい」
白井さんは、相馬が入れたコーヒーを一気に飲み干して、口を歪めて言った。
「良いですよ」
やはり、魅力的な笑顔だった。
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