5
水族館であの女性の話を聞いてからというもの、なんか頭が重い。頭じゃない。心が重いんだ。私達の人生は生まれてから決められていたもの。ただ敷かれたレールの上を命が尽きるまで歩き続けるだけ。私が決めた選択が全部あらかじめ決められていたことなら、ここまで生きてきた意味ってなんだろう。
「はぁ」
湯船に張った水が音を立てる。こんなことで悩んでられるほど時間があるわけじゃないのに。鏡に写る私。頭の上には〈四十二時間二十四分〉の文字が書かれている。あと二日もないんだ。正直さ、死ぬことに抵抗はない。親より先に死ぬのは未練だけど、神様がそういうなら従うしかないから。でも、これまでの行動全部が神様が決めてきたものだったら、それは私の人生って言えなくない? 人生って悩んで、もがいて、苦しんで、乗り越えて、楽しんで、幸せになることまでを自分で手繰り寄せるものでしょ? この人生の主人公は私。全ての決定権は私にある。私じゃないといけないんだ。それが全部
「神様の言うとおり……ね」
湯船がパシャリと波を立てた。
お風呂から出て携帯を確認すると、柑からメッセージが来てた。今度はどこに行くんだろう。そう思って開いたメッセージには全く違うことが書かれていた。
【ちょっと気分転換に公園行かない?】
気分転換。きっと私が水族館に行ってからおかしいことに気がついてるんだと思う。
【いいよ。いつ行く?】
返事をすると柑からすぐに返信が来た。
【いま!】
もう夜遅いしお風呂入っちゃったんだけど……。でも、行かなかったら私の家に押しかけてくるだろうから、仕方がない。行こう。
私はパジャマからもう一回私服に着替えて公園に向かった。
「あ、来た」
公園に着いた時、柑はブランコに乗っていた。私は隣のブランコに座る。
「たーま!」
「ひゃっ!」
柑の冷たい手が私の首元に触れて、思わず変な声を出しちゃった。時間は二十二時三十四分。誰もいない公園に私の変な声が響いてしまう。
「ちょっと! 柑!」
「やっとあたしのこと見た」
「え」
「水族館に行ってから碧、おかしかったから。どこか遠いところばっかり見てて。魂ここにあらずって感じだったよ?」
私は何も言えなかった。あんなこと言ってもどうにもならないし。これは私の問題だから、二人を巻き込むわけにはいかない。
柑は私の座ってるブランコに立ち乗りをして漕ぎ始めた。十二月の夜風はとても冷たかった。
「ねぇ、それって私にも言えないこと?」
「……」
「今までずっと一緒にいたじゃん。碧一人が抱え込むことないんだよ? あと〈四十時間四十分〉、もやもやしっぱなしで死ぬの?」
「それは……」
多分、この問題に正解はない。何が正しくて何が間違ってるなんてこともない。ううん、自分で納得して飲み込まないといけない問題だから。
「まだ言えない?」
「……ごめん」
「ふーん、碧がそこまで言わないの、珍しいね」
いつだって柑に話してきた。彼女の明るさで解決してくれた。でも、今回は話せない。下手をしたら柑の明るさすら曇らせてしまうかもしれないから。最後の最後でそんなこと、起こしちゃいけない。起きちゃいけない。
「……じゃあ、あたしが当ててあげよっか」
「え?」
柑の声がワントーン低くなる。これ、柑が
「『私たちがどれだけ自分で決断していると思っていても、私たちがどれだけ努力して成功しても、それは自分のおかげじゃなくて神様が決めたこと。どれだけ神頼みをしても、決められた運命からは逃れられない。決められたレールの上を私たちは歩くだけなの』」
あの時のセリフ、一言一句一緒。
「『でもね、レール上でどうするかくらいは決められる。楽しんだもん勝ちなんだよ』」
「柑……聞いてたの?」
「えへへ……、ごめんね。見てた。多分、これだろうなっていうのも確証を得てたんだよ? それでも、碧の口から聞きたかった。でも、言ってくれなかった」
私は何も言えなかった。
「碧はあたしたちのこと大好きだから、きっと言えないんだろうなってわかってた。試すようなことしてごめんね?」
「ううん。いいの。言えなかったのは私の責任だから」
でも、聞いていたなら話は早い。私は柑に質問した。
「……もし、神様が全部決めていたなら、それって私達の人生じゃないと思わない? 私じゃなくていい。誰だっていい。人生の主人公は自分なのに、全部あらかじめ決められていたシナリオを歩いてるだけだなんて、おかしいと思わない?」
思っていたこと全部を、不安全てを柑にぶつける。
「そうだねぇ」
いつもの調子に戻った柑は、強くブランコを漕ぎ始めた。ブランコはギィギィと音を立てながら、大きく揺れる。
「でも、そのシナリオを歩けるのは自分一人なわけじゃん? そう考えたら別に深く考える必要なくない? そのシナリオを歩いているだけで十分特別じゃん? 主人公じゃん!」
「でも、私達の勇気も度胸も決断もあらかじめ決められてるんだよ?」
「トータルで見たらそうだけどさ、見えない未来のためにした選択は誰がなんと言おうとあたし達がした選択だよ。シナリオ決まってんなら、先に全部見せろってんだ」
柑の言うことも一理あった。初めから決めてんだったら、こっちに教えてくれたっていい。
「死ぬまでの時間しか教えてくれないのがおかしいんだよ! だからさ」
後ろにジャンプしてブランコから降りる柑。私の目の前に来て
「だから、自信持って生きろ! 後ろを振り返れば、神様が決めたルートを辿ってきたかもしれない。でも、その道は確実に碧が自分で歩いた道だ!!」
「ふふっ、なんか革命家みたい」
この話をしたら柑が曇るかと思ったけど、私の杞憂だったみたい。なんかこんなに悩んでたのが馬鹿らしい。そうだ。選択したのは私。ここまで歩いてきたのは他でもない私の足。
「よし! あとちょっとだけ遊ぼう」
「え、こんな夜遅くに何するの?」
私が聞くと、柑は走り出す。
「碧の家まで競争! 負けた方は明日のご飯奢りね!!」
「あ、ずる!」
走り出した柑を追いかける。スニーカーだったけど、私が勝った。焼肉奢ってもらった。
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