金も地位も力も女も名誉も知識も、あらゆるすべてを手に入れた男のお話を致しましょう

カイ+zzzz

男が叫んだ願い

「では、お耳汚しに」

慇懃丁寧な声が、冷たくも豪奢な空間に響いた。

「少々長くなりますが、『この世のすべてを手に入れた男』のお話を致しましょう」


不気味な光が、大理石のような冷たい床に落ちる。

「恐れながら、大富豪ではございません。映画スターでも、政治家でも、権力者でもない。その男は、『どこにでも居る、世にもつまらない男』でございました……」


────あまた多くの著書、書き殴った紙の群れたち、ガラスや金属などの実験器具。

机も、壁も、床も、嵐が通ったように荒れ切った部屋を、揺らぐ蠟燭の火たちが不気味に照らす。

そのようなけったいな場所へ、私は『召喚』されました。


「ええ。応えて差し上げました。はい。おっしゃる通り、男の魔術の才はからっきしでございました。」

一滴に値がつく高級酒が、クリスタルのようなグラスに注がれる。


「家柄もない、財産もない、品性もない、権力者の口添えもない、おまけに大言壮語の恥知らず……品のない言い方をしますれば、いわゆる『屑』に他なりませんでした」

ですが、男には、誰よりも優れていたものがございました。

────《虚栄心》です。


「『己はいかに素晴らしき人間か』と、よくもまあ舌が回るというほど、ペラペラと語って回る人生……男がどのような人間か、お分かりでしょう」

ガーゴイルもかくやと言うほど、口から、全身から溢れる虚栄・虚飾。

────ですが、私を目にしたとたん……男は目を限界まで剥き、臓腑の底から『望み』を叫びました。


「俺の寿命を好きなだけくれてやる……だから……だから、この世のすべてを俺によこせッ!!」


なんたる傲慢!

なんたる身の程知らず!

「私は、いたく感銘を覚え、存分に応えて差し上げようと思いました」

≪20年間、あらゆるすべてを欲望のままに与える≫。

それが、交わした契約でございます。


「そうして男の、人間が受けうるすべての幸福と享楽……そして、人間が味わったことのない果てしない悦楽を貪る、バラ色の人生が始まりました」

見事な焼き色と、艶やかな赤みに分かれた薄切り肉が重なる一皿に、妖しい光が降る。

「生きた獣を丸呑みする大蛇よりおぞましく、男は、大口を開けてすべてを貪りました。私は、男の底なしの欲望のまま、すべてを与えて差し上げました────」


男は、歴代最高純度の『黄金錬成』を起こし、国王じきじきに『国選錬金術師』として召し抱えられました。

また、敵軍の侵攻を見事言い当て、かの豪傑〇〇〇を一太刀で切り捨てた英雄として、『名誉師団長』の勲章を授かりました。

また、病床に臥せり、医師団も匙を投げた王女の病を見事取り除き、そのお命をお救いした褒美に、広大な領地と城を与えられました。

「はて?」

『王女は本当に《病》だったのか』と?

はて。恐れながら、私には何とも……


「男は、飛ぶ鳥を落とす勢いで、『持たざる者』から成り上がったのです」

一生遊んで暮らせる財産。

華々しい地位と名誉と力。

より取り見取りの女たち────

「ええ。『女たち』でございます。貴族の令嬢から、メイド、王女、酒場の娘、シスター、女兵士、女賢者、女錬金術師、女吟遊詩人。淫魔や女悪魔が寝具へ潜りこんだことも。……かの『戯曲』の男に勝るとも劣らず、女たちをはべらせ、淫靡な夜を繰り返したのです。ええ、『夜』とは限りませんでしたが……」


人間の世界のすべての知識は、彼のものとなりました。

音よりも速く移動する力で、世界中を散歩でもするように渡りました。

天国、地獄、煉獄、冥界を、断末魔をあげる死者たちをあざ笑い、我がもの顔で巡りました。


「よわい40にして、彗星のごとく表舞台に現れ、この世のすべてを手に入れた男。誰もが羨み、誰もが憧れ、誰もが褒めそやす『偉人』へと、男はなったのです。男は、幸福の絶頂にありました。────20年は、あっという間に過ぎました」


────男の死体は、部屋中にぶち撒けられたのであろう?


「おっしゃる通り。男の肉体は、床や壁、天井にまで飛び散りました。目玉は転がり、腕は吹き飛び、内臓は……さぞや掃除に骨が折れたことでしょう」

はい。男には、深い感謝の念を抱いております。

私は、こころからの感謝と愛情をこめ、丹精を凝らして『永遠の安らぎ』を捧げて差し上げました。


「おや、失敬。《地獄の序章へご案内して差し上げた》の間違いでございますな」

破滅。

彼の死は、彼が関わった人間すべてに、破滅をもたらしました。

「史上最悪のスキャンダルを巻き起こし、国を崩壊まで追い込み、世界の流れまで変えてしまった……《男》も、本望でございましょう。男が存在したという『証』は、人類が滅びるその日まで、永遠に残り続けるのですから。いえ、『罪悪』というべきでしょうか?」


おっしゃる通り。

「ファウスト。────ヨハン・ゲオルグ・ファウスト。現れるすべての場所に波乱をもたらし、死後もなお、世界を混沌の渦に巻き込み続ける《男》の名です」


『独りぼっちは嫌だ』。

「彼は、この世のすべてが欲しかったのではありません。孤独を恐れ、孤独に絶望した。ただそれだけの、どこにでも居るつまらない男だったのです」

満たされなかった人生。

痛めつけられた人生。

打ちひしがれた人生。

「空っぽのこころを埋めるように、得られなかった青春を取り戻すように、己がなにを求めているのかも分からないまま、乾きに悶え、飢えにさまよい歩いたのです」


人間ごときが、すべてを手に入れ、すべてを見聞きし、すべてを知ってしまった。

彼の人生が、彼が関わった世界のすべてに、人類史上最悪の地獄を巻き起こしてしまった。

彼は、誰も味わったことのない牢獄へ閉ざされ、永遠に断末魔をあげ続けることでしょう。


「────面白かった。お前の語りは、実に愉しきものである」

「恐悦至極に存じます。このメフィストフェレス、貴方様のお楽しみの一助となれる事が、何よりの幸福でございます」

「お前の働きは、実に目覚ましいものよ。人間どもの降る量も、日々増しておる」

「人間とは愚か極まれり、ですな。《持たざる者“たち”》の妄執とは、実に愉しきものでございますな。ハハハハハハハハハ」


悪魔たちの嗤い声は、おぞましく響き渡った。

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