第2話

「なあ、今から元駅舎に行ってみねえ?」

 塾の帰り。蒼斗あおとが明と華凛に耳打ちする。その目がキラキラと輝いていた。

(蒼斗ならそう言うと思った)

 遊びの先陣せんじんを切るのはいつも蒼斗だった。遊び場に相応ふさわしい空き家を見つけて一番に報告してくれる。彼の思い付きが面白くなかったことがない。

「さっき鷹野先生が駄目って言ったばっかじゃない!……それに、本当に幽霊列車が来たらどうするのよ……」

 この3人の中で比較的真面目な華凛かりんは、頼りなさげに視線を彷徨さまよわせている。

(華凛、怖いの嫌いだもんね)

 明は幽霊列車なんて信じていなかったが、このまま家に帰るのも気が引けた。

(家に帰ってもどうせ……)

 明は母親の小言と不機嫌そうな顔、妹の泣き声を思い出して思わず足が止まる。家に帰った自分の姿を想像して気分が重くなる。できれば今日はこのまま、蒼斗と華凛と一緒に居たいと思った。

「思い出作りだよ!俺、現世町が無くなる前に面白いことを沢山しておきたいと思ってるわけ。夜の学校に忍び込むなんてのもいいなと思ったけどさ……それはさすがにムズイじゃん?元駅舎に行くぐらいなら楽勝だろ?あそこ、誰も人がいないし」

 蒼斗から予想外の言葉に明も華凛も目を丸くさせる。

「やっぱり寂しがってたんじゃない!現世町が無くなること」

「意外……。蒼斗が思い出なんて言うの……」

 明と華凛が顔を見合わせあっていると、蒼斗が照れくさいのを誤魔化すように声を上げた。

「うっせーな。俺はただ、面白いことを求めてるだけだからな!」

 明も蒼斗の提案に便乗する。

「私も行くよ。幽霊列車なんて嘘だって、鷹野先生に言ってやるんだ」

 家に帰りたくない理由は2人に知られたくないので、適当に誤魔化した。

 駅舎に行く気まんまんの2人の様子を見て、華凛は腕を組んで悩んでいた。

「あんまり遅い時間まで外にいるとお母さんに怒られそうだけど……」

 目を輝かせる蒼斗と熱い視線を送って来る明を見て、華凛は深いため息を吐く。

「……分かったわよ!行くわよ、行く!だけどあんまり遅くなるのは駄目だからね。それに、幽霊が出たらすぐに逃げるから」

 強がる華凛の姿を見て、明と蒼斗はにやりと笑い合った。

 こうして明達は駅舎へ足を向ける。

 いつもならそれぞれの家に向かって分かれるのに、今日は違う。帰り道が違うだけで明はワクワクした。

 午後五時までという門限を破った明達は絶対に親に怒られる。怒られることが分かっていながらも何故か気分は軽かった。ひとりではないということが何よりも心強かったし、怒られてでも自分達のやりたいことをやる。そんな小さなことが誇らしく思えたからだ。

 草を掻き分け、明達は今再びあの駅舎へとやって来ていた。

 明は目の前の光景に思わず息を呑んだ。周りからは虫の声と明達の息遣いだけが聞こえる。

 夕焼けに照らされた駅舎は、昼間以上に物悲しさが漂っていたのだ。美しくも悲しい光景に思わず黙り込んでしまう。ずっと会話がないのが何だか気まずくて、明は急いで感想を口にする。

「……すごい。世界の終わり感がする」

 言った後で、蒼斗と華凛が噴き出した。

「それな!明、上手いこと言うなー」

「私もそう思った。訳分かんないあんた達の思考が少しだけ分かった気がするわ……」

 そう言って笑い合いながら明達はホームに座って沈んでいく夕日を見た。明はいつものようにホームを降りて線路の上を歩く。

 遠くでひび割れたチャイム音が聞こえ、門限の午後五時がとっくに過ぎていることが分かった。

「こねーな……。幽霊列車」

 蒼斗はホームの縁に座って、つまらなそうに足をぶらぶらさせる。

「幽霊列車なんてあるわけない。子供を近づかせないための鷹野先生の嘘だよ。心霊現象自体が全部生きてる人間の妄想みたいなものなんだから」

 明は幽霊列車が来ないことを確認すると得意気に笑った。

(この世界で起こることのほとんどにはもう答えがある。今更、不思議なことなんてありはしないんだから)

 頭の中ではそんな風に悟っていながらも、明はほんの少しがっかりした。そんな気持ちを2人に知られないよう、わざと分かったようなふりをする。

「本当に来たら困るわよ!ほら、そろそろ薄暗くなってきたし。帰りましょう。皆で怒られるわよー」

 華凛はホームにある古びたベンチから立ち上がると2人に声を掛けた。幽霊列車が来ないことを確認していつもの元気を取り戻したようだ。

「うん……」

 楽しい時間というのはあっという間に過ぎてしまう。家に帰る時間が近づいて明は気分が沈んだ。ホームに続く階段を上がろうとした、その時だった。

 足元に微かに振動を感じて、明は思わず顔を上げ、トンネルの方を見る。

「え……?」

 耳を澄ますと、微かにタイヤ音が近づいて来るようにも聞こえた。トンネルの中に光るライトのようなものを見て、腕に一瞬にして鳥肌が立つ。慌てて2人に駆け寄り腕を引っ張った。

「ねえ……。待って……何か、走って来るよ」

 自分でも信じられないことを口にしているのは分かってる。普段、あまり表情を変えない明が顔を青ざめさせて2人にすがりついた。

「明、何言ってんのよ。……驚かせるようなこと言わないで」

 声を張り上げながらも、華凛の目に怯えた色が宿る。

「え?まさか……幽霊列車!?」

 蒼斗が慌ててホームに戻った。

「蒼斗……!危ないよ」

 明が止める間もなく、蒼斗は駅で電車を待つみたいに体を傾けてトンネルを覗いていた。

「本当だ!電車だ!本当に電車が来た!」

 蒼斗の興奮したような声を聞いて、明は肩を揺らした。

 怖くもあるし、幽霊列車が何なのか知りたいという好奇心もある。そんな2つの感情に支配されて訳が分からなくなっていた。

 2人より冷静な子供であるという自負じふがあったけれど、今はあり得ない現実を受け入れている蒼斗が一番冷静なのかもしれないなんて明は考えていた。

「列車なんて来るわけない。幽霊なんていない……」

 華凛に至っては先ほどから明にずっとしがみついて目をつぶっている。明の腕を掴む力が強くて、明は痛みを感じていたが振り払うようなことはしなかった。怯えている華凛の背をさすりながら、目の前の信じられない光景に目を見張る。

(不思議なことなんて……この解明され尽くした世界にもうないと思ってた)

 ガタゴトと音を立てて止まったのは、一両の列車だった。

 運転席がないのにどうやってここまでやって来たのか。そもそも錆びついた線路を走ることなどできないはずなのに。

 考えても考えても、目の前で起こっていることを説明することができない。そんな明に追い打ちをかけるようにスライド式のドアがフシュ―ッという音をたてて、開いた。

 まるで、明達を列車の中にいざなうかのように。

「行こう!」

 蒼斗が目を輝かせながら明達を振り返って言った。

「何言ってんのよ!そんなのに乗るわけないでしょう?危ないから早く列車から離れて!」

 明の隣で、やっと目を開けることのできた華凛が声を震わせながら蒼斗に呼びかける。

「どこに向かうのか知りたくねえの?ほら、これって俺達に乗れって言ってんだろう?絶対面白いから!なっ?乗ってみようぜ!」

 緊張感のない蒼斗の声が段々と明を冷静にさせていった。

「そんなの見なかったことにして早く帰りましょうよ。ねえ、明……」

 華凛が明にしがみつきながら明を見る。

 目を輝かせる蒼斗に怯える華凛。2人を交互に見ながら明は自分自身に問いかける。

(私は……私はどうしたい?)

 明はまた自分の家を思い浮かべた。居場所のない、あの空間に戻るぐらいなら別の世界にでも行ってしまいたい。そんな風に考えていた。

「私は……行くよ。こんな説明できないようなこと多分、一生ないと思うから」

 そう口にした途端、心臓が騒がしく鳴った。

 現実から逃げたいだけじゃない。これから起こるであろう不思議な出来事に足を踏み入れたいという好奇心の方が強かった。

「それに、3人で行けば大丈夫な気がするんだ」

「明……」

 明の力強い言葉に、華凛の震えが止まる。

 3人でいれば大丈夫。

 それは長年共に過ごしてきた幼馴染だからこそ言える、魔法の言葉だった。蒼斗も力強く頷いて、華凛に手を伸ばす。

「あーもう!分かったわよ!行けばいいんでしょう?行けば!」

 やけくそになった華凛が声を上げて、明の体がから離れると、列車に向かって歩き出す。

 この時、3人は心のどこかでこの決断が、この経験がかけがえのないものになるということを予感していた。

  






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