第7話 成人の儀

年末。未成年最後の日。


朝から支度を調え、俺とカレンは神殿に行く。

年末の朝ご飯は、実に簡素なものだ。新年を迎える為の儀礼に則っていて、年末の朝に取る食事も献立が決まっている。五穀の粥と副菜が3品だけ。

既にして昨日の豪勢な食事が懐かしい。


手荷物は、村の人達が用意をしてくれた装束だけ。皆が一針ずつ時間を掛けて縫ってくれた、意匠が刺繍された儀礼用の衣装である。

意匠は各開拓村毎に決まっている。町の産まれであっても元は開拓村であるから、開拓村当時からの伝統として受け継がれてきた意匠が施されている。

貴族であれば家の紋章を施す。


だが、今日はその衣装には袖を通さない。この衣装自体は成人の儀を終えてお披露目をする際に着る事になる。



簡素な貫頭衣だけを身に纏い、神殿に赴く。

神殿まではさすがに外套を羽織っているが、神殿で受付を済ませれば後は貫頭衣だけだ。

厚手の布で誂えられているので、神殿の中に入ってしまえばそれ程寒くは無いのだが、どうしても身体のラインが出る。

さすがに神殿の中で不埒な行為に及ぶ様な奴はいないだろうが、思った以上にメリハリがあるカレンの身体のラインがどうしても眼に入る。

カレンが衆目に晒されるのは、少々落ち着かない。


来年成人を迎えるのは、この交易都市だけでも3000人程になる。

昼頃には、ほぼ予定通りの人数が神殿の聖堂に会する事になる。

ここに来られなかった人は、恐らくは交易都市までの道中に何らかの事故にあった人達だろう。具体的にどれだけの人数がここに居るかは解らないし、何人が新年の儀を迎える事が出来ないかは知らされる事は無い。

だが、街を出れば何処でだって魔物に襲われる危険はあるし、毎年少なからず犠牲者が出るらしい。


聖堂は、最大で1万人位は収容出来そうだ。椅子は無く、思い思いに座って時を待つ。持って来た衣装は、厚手の袋に入れてあり座布団代わりに利用する。不躾ではあるが床に直に座っては腰が冷えるし、正午から年が明けるまで半日掛かりと儀式は長丁場だ。

遠慮せずに利用する様に言い含められているし、周囲の人達も同じようにして座り込んでいる。

最初こそ目線が気になるのかカレンは俺に身を寄せてきたが、正午が近づくにつれ人が増えるとその目線も余り気にならなくなったのだろう、今は少し距離を空けている。

同じ宿に泊まったハインツも何処かに居るのだろうか。皆一様に貫頭衣を着ているので、宿で見かけた他の客も視界に入ったかも知れないが、正直ぱっと見では見分けが付かない。


正午を告げる鐘が鳴る。聖堂に豪奢な法衣に身を包んだ祭主が入ってくる。

補佐を務める助祭が祭壇の袖から声を発する。


「一同、起立。」


その声を合図に、一斉に立ち上がり居住まいを正す。

聖堂は、祭壇を頂点に扇型のすり鉢状になっており祭壇が一番深い場所にある。聖堂内であれば何処からでも祭壇に立つ祭主の姿を見る事が出来る。


「これより、清めの儀を執り行う。」


皆一様に祭主へと向いていて、誰一人声を発する者は無い。

それもその筈、そもそも正午の鐘が鳴って後は清めの儀式となり、以降は新年の儀を終えるまでは、祝詞以外一切の言葉を発する事が出来ない。


以降の流れはこうだ。

その後、祭主により祝詞の奏上が行われる。祭主の奏上に合わせて、俺達は只ひたすらに祝詞を奏上する。

半刻もすれば座る者も出てくるが、これ自体は特に禁止されては居ない。一刻もすれば、ほぼ皆その場に座り込み、だがそれでも変わらず祝詞を唱え続ける。

神々を讃え、穢れを払い、我身の清めを請い願う。これが実に三刻は続く。だが、ここまででようやく半分だ。


さすがに三刻も経てば体力の無い者の中には意識を失って倒れる者も居る。

この儀式は大祓の儀と呼ばれる。大祓の儀を終えると倒れていた者に儀式の補助を務める助祭や神官が気付け薬を嗅がせて活を入れる。

どれだけ苦しかろうとも退場は許されない。何年かに一度はこの儀式により命を落とす者も居るそうだ。

俺とカレンは日頃から厳しく鍛えているだけはあり、さすがに意識を失う事は無い。だが、流石に三刻も祝詞を唱え続けていれば喉は乾いて声も掠れてくる。途中唇が乾いて切れたのか血の味がしたが、今はそれすらも乾ききっている。


一段落すると、聖別された聖穀と神酒が配られる。量は僅かばかりだが、これも身を清める為の儀式の一環だ。

時間を掛けて食べ終え、ようやく一息付いた頃に次の儀式が始まる。


次は再誕の儀である。

魂の穢れを払い、神の炎で魂は清められ、古い生は終わりを迎える。神の恩寵を得て悪神の勢力と戦う為の新たな生を授かる。そんな意味の儀式だ。


聖堂をぐるりと囲む様に篝火が焚かれ、香草が焼べられると独特の熱気と匂いが聖堂に充満する。その中を、先ほどまでとは違う祝詞を奏上する。


香草の影響か、それとも篝火の熱気の影響か、段々と意識は混濁し視界に入る篝火の炎と自身の境界が曖昧になる。自身が炎に包まれる様な錯覚を覚える。神々の像が一際大きく見え、神の存在をより間近に感じる事が出来る。

新年を迎える頃になると、助祭や神官も加わり、新成人を包む熱は最高潮に達する。

そして、新年を告げる9つの鐘がゆっくりと鳴り響く。


9つの鐘は聖堂に祭られている9大神を称えるものだ。刻を告げる行政塔の鐘とは異なり、新年を告げるこの日だけ、大聖堂の鐘楼はその音を響かせる。

1つめの鐘が鳴ると再誕の儀は締め括られる。と同時に、意識が一気に覚醒する。

そして2つ目の鐘が鳴ると、新たな生を受ける事を喜び神を称え善神の尖兵として戦列に加わる事を請願する祝詞を奏上する。

そして、9つの鐘が鳴ると同時に結びの言葉を神に捧げる。


「偉大なる、善なる神々よ。我々は新年のこの善き日に古き魂の穢れを払い、新たなる生を受け、ここに神々の戦列に加わり悪なる神々との戦いに身を投じる事を誓う。父なる神よ、母なる神よ、我々を導き給え、幸い給え。新年のこの善き日に、我々が行く道を照らし給えと、請い願い奉る。ああ我らが神よ!光あれ!」


新年の訪れを告げる9つ目の鐘が鳴ると、全身に活力が漲り、成人として新たな生を受けた実感を感じる。神の恩寵が舞い降りると共に神の像が鮮烈な光を発し、聖堂が光に包まれた様に感じた。その時、俺は確かに自分の内から光が溢れる暖かさを感じた。


だが、俺には天恵は降りて来なかった。



その日、交易都市で新たに成人となったのは3112人。天恵を授かったのは約300人で、内上級職の天恵を授かった者が2人。最上級職の天恵を授かった者は居なかったが、先の2人の内1人は、限られた人しか得られない上級職の中の特殊職を授かったらしい。


俺はその時、確かに神の威光を目にした。聖堂の頂きからゆっくりと光が舞い降りた。内1つは、俺から3列程前、比較的近い人物の上にゆっくりと舞い降りた。周囲の新成人は皆座りこんで居たが、その人はしっかりと立ち天に手を伸ばして光を迎え入れていた。

その光景はとても神秘的で美しかったが、待ち望んだ祝福は俺には降りて来なかった。気がつけば俺は立ち上がって、その人に手を伸ばして居た。


神殿の外から、新年を祝う歓声が聞こえてくる。俺は呆然と、伸ばした手に目をやる。

途端に恥ずかしくなり手を引っ込めると、不意にカレンの存在を思いだし、カレンへと目を向けた。その時、カレンがどんな表情をしていたか、俺は覚えていない。

ただ、自分には天恵が降りて来なかった事実が悲しく、そして気が付かぬ内に手を伸ばして居た自分が浅ましく思え、いたたまれない気持ちで一杯だった。


儀式を終えると、皆持参した儀礼用衣装に身を包む。

お披露目の為にと順繰りに聖堂から外に出れば、俺達新成人を称える声が広場中に響き渡っている。聖堂の前には宴席が設けられていた。

皆色鮮やかな衣装を身に纏い、晴れやかな顔で聖堂から出ていく。その光景は実に華やかであったが、対照的に俺の顔は曇ったままだった。


「アイク、大丈夫?疲れたでしょ、まずは何かお腹にいれましょ?」


カレンが優しく俺に声を掛けると、宴席に俺を引っ張ってくれた。

途中で給仕から果実水を受け取り、カレンと一緒に喉を潤す。

先ほど迄の高揚感は嘘の様に静まり、自分がすっかり乾き切っている事をようやく思い出した。

そのまま一気に飲み干すと、大きく深呼吸をする。

そうだ、俺はカレンと共に歩むんだ。こんな所で気落ちしている訳にはいかない。


「ごめんな、ようやく一息つけた。カレンはお腹が空いてないか?」


示し合わせた様にお腹がぐーと大きく鳴り、自己主張を始めた。

カレンと二人ようやく笑い合うと、用意されている食事に有り付こうと空いている長椅子に並んで座った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る