第5話 交易都市
交易都市スピーナ。この地方の物流拠点で最大級の都市である。
この地方は比較的なだらかな地形が多く、気候の変化も穏やかで耕作に適している。森もまばらでそれ程深くは無く、目立って峻険な山も無い。
深い山や森は往々にして悪神の領域であり、善神と悪神の戦いの最前線になっている。
つまりこの辺りでは高位の魔物は目立って活動しておらず、それ故に開拓が積極的に進められた経緯がある。
俺達が住んでいる規模の開拓村がそれこそ無数に存在し、そこで収穫された作物はこの交易都市を通じて王国各所へと輸送され、王国の基盤を支えている。
交易都市から4日掛かる俺達の開拓村は比較的新しく、この地方としても王国としても辺境と呼ばれる場所に位置している。
王都ともなると、交易都市からでも幾つもの街を経由して2ヶ月程度は掛かる程の距離にある。おいそれと行ける場所では無く、普通なら俺たち平民だけでは無く下級貴族ですら一生涯王都に行く機会が無い事もざらだ。
勿論、道中は何時いかなる時も魔物の襲撃に合う危険性と隣り合わせでもある。その為、旅が一般的では無い事も産まれた土地から余り離れる機会がない理由の1つだ。
魔物狩りであれば商隊の護衛も主だった任務なので、目的地次第では王都に行く機会もあるかも知れない。それでも2ヶ月の長旅はやっぱり早々あることでは無い。
ジーク達でも2つ隣の領地までが精々であったと聞いた事が有る。
因みにとある事情から、魔物狩りが所属するギルドを変える事は滅多にない。
さて、周辺の町や村からこの交易都市に成人の儀を迎える為に集まる人数は、毎年数千人規模になる。
この交易都市は定住している住人だけでも人口5万人程。交易商人が多く集う為、1年で最も賑わう収穫期は一時的に7~8万人位にまで人口が膨れる上がる。
その為、交易商人向けに数多くの宿や簡易宿泊所が運営されており、成人の儀の為に多くの人々が集うこの時期でも収穫期に比べれば人数が少ない事から宿泊場所に困る事は無い。
スピーナは、周囲を城壁に囲まれている。街道から町へと入る門は、平時であれば夜間は閉じられているが、新年を間近に控えるこの時期は夜間であっても篝火が煌々と焚かれ、門は開け放たれている。
着いた時間が遅かった事もあり、ジーク達の案内のまま彼らが魔物狩り当時に行き付けだった宿に部屋を取る。
旅の疲れもあって簡単に晩ご飯を済ませると、早々に部屋のベッドに飛び込みその日は眠りに着いた。
宿は3階建てで1階部分は宿泊者向けの食堂兼酒場になっている。
収穫期やこの時期だけに解放される簡易宿泊所もあるにはあるが、大抵そうした施設には食事処が無い。
簡易宿泊所は基本的に領主の管理下に置かれており、隊商や租税を納める開拓民が短期で契約を行い、一時的に解放される。そして有事の際は避難民を受け入れる為の避難所になる。
公費で運営されている事もあってか、簡易宿泊所の利用料は非常に安い。
だが、基本は大部屋で雑魚寝だし、快適な環境とはとても言えない。
その点アイクとカレンが取った部屋は個室だったし、寝具は快適そのものだった。
目が覚め、部屋に用意されていた水瓶から備え付けの洗面器に水を張って顔を洗い、1階に降りると既にジークとアリスは起きていて朝食を取っていた。
「おはよう、ジーク。カレンは?」
「まだ起きては来てないな。疲れもあってまだ寝てるんじゃ無いか?」
時間は先ほど4刻を告げる鐘が鳴ったばかり。夜明けの遅いこの時期でも既に外は明るくなっている時間だ。村なら夜明けと共に起きて某かの作業に従事する事が普通なので、俺も随分と遅くまで寝ていた事になる。
俺よりも根が真面目なカレンがまだ起きて来ないとなると、よほど疲れていたのだろう。
ジークとアリスに習い、俺も同様に朝食を頼んで食事をしていると、程なくしてカレンも2階から降りて来た。
サービス関連は、品質に応じた価格差が非常に大きい。
簡易宿泊所であれば殆ど必要にならないが、個室の取れる宿となると宿泊費は結構な金額になる。
こうして個室を取ってゆっくり休めるのも、両親を含め村の人々が村の蓄えから余裕のある資金を持たせてくれたお陰だ。
来年成人を迎える人数が今年は2人だった事も大きい。再来年は、何事も無ければ10人が成人を迎える見通しだ。切り崩せる村の蓄えも限りが有るから、一人あたりの予算はかなり少なくなるのでは無いだろうか。
ジークとカレンは夫婦なので、当然二人部屋。俺とカレンは村でも公認で将来を誓った仲ではあるが、まだそう言う経験は無い。
平民以上の身分であれば長子は成人の儀を終えると親の身分を無条件に受け継ぐが、受け継げる身分は子を授かったタイミングで決まる。
その為、成人を迎えるまでは結婚は勿論の事、そうした行為に及ぶ事は忌避されていた。
中には例外もある。忌避されているからと言って、若くして子を設ける事が無い訳では無い。開拓村では子は早熟で早くからそうした行為に及ぶ事もある。
そうして子を為した後に成人を迎え、職業を得た事により新たな身分を得たものの、産まれた長子は平民のまま。そうした場合、世間的な外聞もあるし、それもあって子供から相応の恨みを買う事になる。貴族位を得られる中級職以上であれば身分継承の儀で子に譲る事が出来る可能性もあるのだが、可能性としては非常に稀だ。
俺とカレンの子から恨まれるなんて御免だ。そう言う訳で、俺とカレンは清い仲を続けている。
そもそも未成年の出産は余りにもリスクが高い。避妊薬もあるにはあるが、結構なお値段がするらしいし、開拓村では早々には手に入らない。未成年が手に入れる何て尚更困難だった。
因みに町にもなれば、神殿運営の公娼館がある。
色欲は悪神の主神クラスの権能であり、色に溺れる事は善き行いとはされない。
だが、善神である夜の女神の眷属神や、主神クラスの大地母神には、そうした行為を肯定する権能も存在する。
よって、正式に神殿による運営されている公娼館であれば、一定の金を払って作法を守れば、そう言う行為を行う事も可能だ。また、非公式に客を取る事は、非常に重い罰則が科せられる。公娼館であれば安全、安心、と言う訳だ。
なぜそうした知識があるのかと言えば、10歳位の時に、ちゃんと教育を受けるからに他ならない。
子を為す事は神聖な行いである。言うなれば神への信仰を捧げる行為であり、誤った知識に基づく行為は悪神へ加担する事になる。その為、どんな村でもある一定の年齢になれば神の教義や知識と合わせて学ぶ事になる。
公娼館、興味が無いと言えば嘘になるが、心に決めた相手が居る俺には無縁の場所だろう。
そんな事を考えながらふと目線を上げると訝しげに覗き込むカレンと目が合った。
「ねぇ、アイク。今、何か変な事考えてなかった?」
「どうした突然、アイクは早々に尻に敷かれているのか?」
ジークがそう言って笑い声を上げると、机の下でアリスがジークを蹴りつけた気配を感じた。何にしても女性の勘は怖い、気をつけよう。
「そんな事は無いでしょ、ちょっと考え事をしてました。そう言えば、今日の予定はどうなっているんですか?」
カレンもそれ以上は追求はしてこなかった。
何かを感じた風ではあるが、それよりも今日の予定が気になる様だ。
新年を迎えるまで今日を入れても早あと2日。
明日は昼から神殿に入り、身を清めて成人の日を迎える為の準備を行う必要がある。
自由に行動出来るのも今日限りだ。
「そうだな、魔物狩りギルドには寄ろうと思うが、他に行きたい所はあるのか?」
「「ギルド!勿論行きたいです!」」
俺とカレンが、ほぼ同時に即答する。
ギルドは、悪神との戦いの最前線だ。
ジークやアリスの例に漏れず、悪神の勢力と戦おうと思うならば、ギルドに加入する事が最も簡単な方法である。
他には領軍や貴族旗下騎士団の門を叩く選択肢もあるが、そもそも平民ではどれだけ才能や意欲があろうともその門をくぐり抜ける事は難しい。
ギルドでは新人の育成、パーティーの斡旋、事前の情報収集や分析、クエストの発行等、円滑に戦う為の準備や舞台を整える為のありとあらゆる業務を請け負っている。
天恵を得ても得なくても、恐らくはお世話になるだろうギルドに高い関心を示す事は当然だった。
カレンの食事が終わるまで、町の話や成人の儀の話で盛り上がった。
昨日は疲れの余り殆ど会話をせずにそのまま寝てしまった事もあり、ゆっくりと睡眠を取った事で、ようやくこうして会話を楽しむ余裕を持てる様になった。
周囲には、俺達と同じように成人の儀の為にスピーナへ来たと思しき人々の姿も散見される。
今回は旅銀に余裕があったのでジーク達のすすめもありこの宿を選んだ。まぁ昨晩は疲れがピークでゆっくりと宿を選ぶ様な余裕は無かったのだが。
資金に余裕が無ければもっと簡素な簡易宿泊所や、安いが治安の悪い宿もあるらしい。
魔物狩りは、死と隣り合わせと言う事もあり稼ぎは悪く無い。いや、むしろ良い。
だがギルドに所属しない大半の人々はレベルを上げる機会は少なくて、Lv1のまま一生を終える事も多い。
悪神の眷属と戦う事が俺達善神の眷属たる人類の使命であったとしてもだ。
悪神との戦いは、直接剣を交える事だけでは無い。市民や平民は新たな土地を開拓し子を産み育て、街を発展させ、生活や文化の基盤を支える。そして戦う術を持つ一握りの人々が、貴族として、魔物狩りとして、悪神の勢力と戦うのである。
戦う為にはギルドが行う様な組織運営や情報収集も欠かせない。そもそも生活の拠点が無ければ、戦いの疲れを癒やす事も出来ないだろう。
だからこそ戦いを生業にする人々は、都市部で生活する人々に比べれば格段の報酬を得る事が出来るし尊敬もされる。そうして稼いだ報酬は街で消費され、経済が回る。
余談だが、魔物狩りの報酬は通常国内で出回っている硬貨とは別に専用の紙幣により合わせて支払われる。硬貨よりも額面は大きいが、本人にしか使用できず、使用できる場所はある程度制限され、また領内でしか通用しない。
これは、多くのサービスが魔物狩りを特権階級とした高度なサービスを提供しているからだ。また魔物狩りの流出を防ぐ効果もあるらしい。
そんな話を、食事の合間にジークが語ってくれていた。
「まぁ、お前達が魔物狩りを目指すのであれば、町中では行儀良く、そして経済活動に貢献する。これは心構えみたいなもんだ。実際、天恵を得られなくても少しでも稼ぎを良くする為にギルドの門を叩く奴は大勢いる。
だが殆どの奴は、大して稼ぐ前にあっさり死んじまうもんだ。稼ぎがあっても素行が悪ければギルドからの支援もそこそこになるし、余りに酷ければ当然悪神に与する者として罰せられる事になる。そうなりゃ、折角の待遇も全くの無駄になる。」
そんな話をしていた時だった。少し離れた席に居た、少々身なりの良い少年が同席の静止を無視してこちらの席へと歩いて来るのが見えた。
「お食事中失礼。少々宜しいかな?」
その少年の目線の先にはカレンが居る。
ちょうど今話していた会話の内容もあってか、少々不躾な少年の態度に警戒心を高める。
「見ての通り、楽しい歓談の最中でしてね。如何様なご用件ですかな、おぼっちゃん?」
「ついつい耳に入ったのですが、そちらのお二人は私と同じく成人の儀を迎えられるのでしょう?魔物狩りを目指されるとも。であれば、同じく魔物狩りを志す身としては友誼を得られればと思いまして。」
少年の居住まいはなかなか堂に入ったものだ。俺達と同じく、幼少の頃からしっかりと鍛錬を積んだものだろう。その隙の無さを見ると、むしろ俺よりも腕が立ちそうな気もする。
「元鉄級のジークだ。この二人の引率をしている。」
「デンス男爵家嫡子、ハインツと申します。以後お見知りおきを。」
「こっちは妻で、同じく元鉄級のアリス。そしてこの二人がお前さんと同じく、成人の儀を迎えるアイクとカレンだ。」
「ぼっちゃんが失礼を。デンス家配下のコーラーと申します。ジーク殿の噂はかねがね。」
少年と席を共にしていた連れの男性も、気付けば少年の隣に立ち会話に加わる。
「噂?ですか?」
思わずそう訪ねる。ジークの噂、ちょっと気になるな。
「平民が魔物狩りに加わる事は多いですが、鉄級へと至るのは一握りです。ましてや夫婦で鉄球ともなれば、自然と噂は聞こえて来ますよ。」
「中級種の魔物を討伐し、男爵位を叙任されたデンス様の事なら私も聞いた事がありますよ。ですが、まさかこんな大きなお子さんがいらっしゃったとは。」
「コーラー。今は私が皆さんに挨拶をしている最中だ。首を突っ込まないでくれないか?」
「そうは言いますがね、ぼっちゃん。食事中にいきなりお邪魔するなんて、少々不躾じゃありませんかい?」
コーラーと名乗った男は、年で言うとジークよりは幾つか上に見える。袖の短い軽めの服装な事もあってか、覗く腕には至る所に傷跡があり、彼もまた歴戦の戦士で有る事が窺える。
「私は、父が魔物狩りをしている頃に授かった子でしてね。ですので嫡子とは言っても、現時点では下級貴族の継承権は有りません。見目麗しい方がいらっしゃったので、この機会に知己を得たいと思いお声をお掛けしましたが。」
そう言って、ハインツは改めてカレンへと向き直る。
「改めてカレン嬢。ハインツと申します。以後お見知りおきを。」
成人の儀で身分継承の恩寵が得られなくても、王都で爵位継承の儀式を受ければ相続をする事は出来る。しかし高位貴族や功績を上げて得た爵位授与の儀式が優先される為、男爵どころか子爵位の下級貴族では儀式による爵位継承は現実的では無い。
であれば己自身で証を立てる為に魔物狩りを目指す事も頷ける話である。
領軍に所属する事も選択肢としてはあるだろうが、治安維持が最優先である為か単純に魔物と相対する機会は魔物狩りに比べると少ない。
天恵を授からなければ市民となる。お声掛けを行う様な身分では無い。
単純に知己を得たいと言うのもあながち嘘ではなさそうだ。
その後もしばらくは世間話をしたが、手頃な所で切り上げると俺達は宿を後にした。
向こうも同じ宿に泊まっているから今晩は一緒に食事でもとお誘いもあったが、ジークが断ってくれた。折角だから今晩はもう少し上等な食事処に案内してくれるそうだ。
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