第35話 アティオグ
陽が昇り、2人は洞窟を出た。
峡谷はゆるかに下り道が続き、終わりが見えてきてなお気は抜けない。
「なんだこの匂いは...」
幸村は突如鼻をつく様な異様な匂いに兜を被った。
「底に近づくにつれ腐敗臭がするものだ。魔法の力じゃとても防げないほどにね」
深い霧は近づいてもなお底を見せない。霧が怨霊の類ならばここを通る人間への警告であり配慮なのだろうか。
「出来ればかつてここが文字通り”峡谷”であった頃に通りたかったものだ。さぞ美しい緑と清らかな川が流れていたのだろうな」
峡谷を抜け、森林を抜けるととうとう視線の先に大きな建物が見えてきた。
「さぁ、学院が見えてきたぞ」
幸村は目を疑った。彼がいう通りあれが学院ならば大きな建物の”残骸”というべきか。廃墟の大聖堂しか見えずとても誰か人が生活している様には感じなかった。
「あれがですか?」
「あぁ、そうか。言っていなかったね。エルンスト魔術学院に限らずだが学院は性に合い秘匿を愛する。魔法の力で外の世界からはその存在を隠しているんだ」
「カモフラージュというやつですか」
「知らぬ単語だが隠し身という意味であれば相違はない。それに誰もが簡単に入れぬ様仕掛けを施している。学院は秘密と文献の宝庫だからね」
青黒い空にポツンと聳える大きな廃墟はどこか神秘的にも見えてくる。
なるほど、秘密という存在は好奇心を掻き立てて仕方ない。
幸村は不気味な不安感と同様に楽しみでもあった。ハリボテの廃城オーランドにでさえ彼は魅力を感じてしまう程に心の底ではまだまだこの異世界に染まりきってはいないのだろうか。
突如ライブニッツは腰に下げた短い剣を抜いた。
「かといって安全安心はないのだよ」
彼の視線の先には狂人の群れと、魔物が徘徊しこちらへ近付いてきた。
数で言えば合わせて6体。狂人は恐らく皆が市民の果てであるため戦闘能力は低いが、それを引き連れている様子の異形の魔物は、人間よりも一回り大きな膨れた姿をしている。
異形の魔物は身体の半分を大きな口で占めており、4本足と4本の職種にはどこかで拾ったであろう折れた剣を持っている。
「やつは”アティオグ”という名で呼ばれる魔物だ。腐肉を好み人間の言葉は話せずとも理解できる。目がない様に見えるがあの大きな口の横に小さくあり視界は広い」
「魔物に名前があるのですか...」
「動物に名前がある様に魔物も同じだ。名前の貰えぬ魔物も居るが奴は遠き昔に既そう呼ばれていた...まぁ固有の名前を”与えられない”のは狂った生物だけさ」
アティオグと狂人は2人を見つけるが、駆け出して襲う様な素振りはなく、こちらと同じ様に様子を伺っている。
「異形だろうがなんだろうが魔物はただのバカじゃない。それにあいつは言葉を理解する。戦いを避けることが賢明だ」
アティオグはイムブルクに限らず海を超えた遠い各国にも森にも生息する魔物だ。しかし決してありふれているわけではなく、ある国では腐肉を食べる習性を生かし人間と上手く共存したという記録も残っている。
神聖な生物として小さな国や村では扱われていたという話もある。
だが世界が崩れゆく中、彼らも理性と自我を失いつつあるのは確かだ。
それに魔物とは言え姿は同じでも個体によって性格は異なる。
さて、目の前のやつはどうだろうか。
狂人を食べずに連れているあたり狂い果てた様には見えないが...
「剣を抜きたまえ。だが殺意は出すな?堂々とするんだ」
ライブニッツの言葉通り幸村は剣を抜き、これぞ聖騎士たる姿勢を作る。
「行くぞ」
合図とともに2人は歩き出す。武器は抜きながらも決して襲いかかる様な気配は出さず、かといって気付いていない様な素振りは出さない。
互いの間に緊張を作りながら次第に距離を縮めていく。
4本の足に触手。そして膨れた巨体に人間1人を飲み込めそうな大きな口。
近づくにつれアティオグの姿はますます恐ろしく気味が悪い。だがそれを悟られない様に堂々と騎士として振る舞わねばならない。
そして両者がすれ違い少し歩いた時、1人の狂人が2人を睨みつける様に体を捻転する。
「まずいな」
小さく呟いたライブニッツの言葉通り、その狂人に続く様に他の5人も振り返り2人を追いかけてくる。
「もうだめだ。戦うしかない」
ライブニッツは少し表情が強張り浅く呼吸をすると、空の左手に魔力をためそして振り返ると1人の狂人を狙い撃った。
青く火種が舞い胸を焼かれた狂人は上半身を黒く焦がし倒れ込んだ。
その様子を見た残りの狂人は各々手に持った武器もどきを振り回し、筋力をなくした足を精一杯に動かしながら襲いかかってくる。
ライブニッツを見るややはり彼は戦い慣れていないのか、表情が硬く冷や汗を流しながらも狂獣の時とは違い逃げ出そうとはしていない。
幸村は盾を抜くと、5人の狂人の前に躍り出る。
動きの遅い狂人たちは連携や出方など考えもせず密集し武器を振り回す。
その一撃一撃を盾で上手く弾くと、右に左に剣を払い難なく5人の屍を作りあげた。
だが崩れていく狂人の向こうから、アティオグが4つの足を巧みに動かしながら、幸村へ駆けてくるのが見えた。
その速度は決して遅くはないが、4本の触手に握られた折れた剣をふりながら大きな口を裂く様に広げ迫り来る姿は幸村の集中力を割いた。
盾を構え、4本の剣の攻撃を防ぐ。しかしやはり知性のある魔物だけあり、4本の剣は決して互いを邪魔することがない。
連撃が一瞬止み、反撃をしようと剣を構えたその時、すぐ目の前に自分を噛み砕き飲み込もうとする無数の牙と大きな口が目に入った。
かろうじて後ろへ飛び、なんとかやつに噛み砕かれずに済んだ。
食事に失敗したアティオグは唸り声を上げながら再び剣を振り回し襲いかかってくる。
先ほどとは違い一撃一撃はどんどんと力を増していく。そして隙を伺いながらその大きな口で飲み込もうとするものだからなかなか反撃に転じることが出来ない。
すると、アティオグの右手触手の1本に青い光がぶつかる。
触手は先が焼け爛れ剣を手放した。
「私は狙撃が得意だった様かな?」
ライブニッツが手を震わせながら幸村に向かいニヤリと笑う。
だがそのおかげで隙が出来た。驚き無防備になった左手の触手を2本とも幸村は斬り捨てた。
アティオグは悲鳴の様な叫び声を上げると、大きな口を更に広げると、黒緑の瘴気を吐き出してくる。
「まずい!!その場から離れろ!!」
幸村は急ぎライブニッツの方へ駆け出す。
アティオグはゆらりゆらりと揺れながら本を見開いた様に広げた気味悪い口から瘴気と泥の様なものを吐き出し2人に向かってくる。
「なんだなんだ...」
「やつは腐肉を食う。あれは毒だ、そして食らった生物の魔力が死を纏い腐敗を生み出している。決して触れたり吸い込んだりするな」
ライブニッツは踏み出すと、もう一度魔法の光をアティオグの口へ放つ。
見事に喉の辺りに命中するが、動きが止まることも怯むこともない。
「私の力じゃ届かないか...耐性でもあるのか」
辺りに瘴気が漂い、やつの吐き出した泥に触れた草木や転がった狂人の死体たちは一瞬にして腐り消え死んでいく。
幸村はライブニッツの前に躍り出ると、剣と盾を納め、左手を目の前に翳し集中する。一瞬の時間であったが今までよりも指輪を通し、魔力が勢いよく循環し高まっていることを感じられた。掌の前に黄金の魔法陣が広がると、そこから雷の矢が飛んでいく。
放たれた一撃はアティオグの口内へ直撃すると、四方へ雷撃が走る。
様子を伺うことなく、幸村は2本目を飛ばす。雷撃は雷撃を重ねアティオグの全身を黄金の火が一瞬にして走り、黒く焦げ落ち動かなくなった。
自ら吐き出した腐敗に飲まれる様にアティオグの身体は霧散し消えていくと、正気は晴れていった。
ライブニッツはローブの袖で汗を拭う。
「手懐けに失敗したな...まぁ今回は仕方ないがまだまだ私も勉強不足だ」
幸村は左手を見つめる。間違いなく力が増している。
オスカーの記憶に力。そして黄金の守護騎士(宮廷騎士団)の力の追憶。
「お見事だ...君がいなければ死んでいた」
幸村はライブニッツの方へ振り向く。
「ルレベルクの聖騎士として。いや、私は黄金の騎士。まだまだですよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます