第34話 深い闇に見えるもの

峡谷は時間をかけゆっくりと失った自然を取り戻そうと動いている。

だが当然緑は戻る事なく、動物は去り。

街道は崩れ南から学院を繋ぐ道は栄えを無くして久しい。


この道を通るまともな人間はもうこの地には居ないだろう。学院へ行くには時間をかけて迂回して進むのが賢明と言える程に。

だが、この道を通るには目的が必要だ。

学院の学者やライブニッツの様に命より知りたい結果の為に。


「やはり、慣れないもんだ」


ライブニッツの額には大量の汗が吹き出し、ローブは汗で色濃く変色している。

幸村は息苦しくなり兜を脱ぐと腰に下げ、重さに逆らいながら彼の後を歩く。


だがライブニッツはこんな道にでも道標は残していた。枝が風に飛ばされないよう半分に折り、石を挟み置いていた。


「折り返しに来たが疑問に思わないかい?」


「…魔物とかが居ないとか?」


「あぁ、そうだな。魔物みたいにまだ理性や知識を残しているやつらはわざわざこんな場所に住みつかん。狂人や成れ果て共は足を踏み入れたところで奈落に落ちていく。まともに剣を振るえない学者達にとっては良くも悪くも助かるもんだ」


「こんな場所で魔法を使おうものなら…」


「遥か昔はこんな場所でも戦い合っていた。狂ってるよこの世界は」


峡谷に立ち込める霧は奈落に積み重なる無念の言わば瘴気のようなものなのだろう。

ある種真実を見せない偽りの景色だ。


「さあて、夜が来るまでに進めれば良いが」


「夜が来たらどうしますか?」


「その場で休むしかあるまい。死すら恐れぬなら進めば良いさ」


やがてその夜が来た。光のない霧の谷は正に暗闇と呼ぶに相応しく2人を深淵へと閉じ込める。


(想像以上に暗いな)


幸村はペンダントに手をかざしエレとの意思疎通を試みる。常にライブニッツが側に居たため、彼女と会話すら出来ずにいた。


(エレ、聞こえるか?灯りが欲しい)


何やらライブニッツが自分の袋を漁っているような音が聞こえるが、その姿すら見えやしない。


(その必要はないかも)


彼女の言葉通り、突如目の前に青い光の玉が浮かび上がる。薄ら見えた視界には右手人差し指を伸ばしどうだ、と言わんばかりに笑うライブニッツが浮かび上がる。


「流石ですね」


「準備を怠っては実験は出来ないからな」


「さて、どうします?ここで横になりますか?」


「そうだな…」


2人は青い光を頼りに見える範囲を見渡す。

確かにこの場所は人2人が並んで寝られる幅の道ではあるが、万が一を考えればとても気を緩めて寝られそうにもない。


「ここで落ちて死んだら"もう"本当に終わりだろうな」


幸村は袋に入った小瓶を撫でながらポツリと呟く。


「いや、心配はなさそうだぞ」


ライブニッツが前方の方へ指を刺す先に、洞窟か洞穴のような窪みが見えた。


「何がいるか分からんが行ってみるとしよう」


2人は足元に気を向けながら、速度を落としゆっくりと進んでいく。


目の前につくと、幸村の身長と違わない大きさの洞窟が確かにあった。

偶然とはいえ助かる、とも思ったが同時に嫌な予感を感じた。


「心配するな。行くぞ」


根拠の見えない自信を言葉にしてライブニッツが潜り込んでいく。幸村はその後に続きながら鞘に手を伸ばす。

より湿っぽくジワリとした空気が2人を迎え入れながらも、両手を伸ばし、屈む必要もないほどの広さであった。


「ここで終わりのようだな」


前方を照らした青い光は、小さく短な洞窟の終点を教えてくれた。


「ここで休むとしようか」


その言葉通りに、2人が腰を下ろすと何か石肌では無い固い感触が足元に転がっているのに気付く。

青い光が下へ向くと、小瓶や陶器が転がっていた。

それだけでは無い、黒い木の枝が数十本にも重なり捨てられていたのを見れば、誰かが同じようにここで休息を取っていた事が分かる。


だがそれが一体誰なのかは想像に容易い。


「学者達だな…」


ライブニッツが拾った陶器の皿はどうやら学院でよく使われている物と同じなようだ。既に土埃が被り所々が欠けているが、学者たちは様式美に拘るのだろうか。それとも遠いどこかの国の物なのだろうか。


「しかしこれでここが安全だということは保証されたな」


ライブニッツは残骸や石屑を掻き分け自分が休めるだけのスペースを作ると、袋の中から小さな木の枝を1本取り出すと灯していた青い光を枝に移す。

道標と同じ様に小さく照らされた木の枝を上手く立たせて彼は横になった。


「さて、休もう。明日は早く出るぞ。昼前には学院に到着するはずだ」


幸村も腰に下げた袋や剣を抜き立てかけると、岩肌に寄りかかり腰を落とす。

かなり歩き神経も使い疲れているはずなのだろうがやはり眠気が起きないのだ。

しばらく外を眺めていると、すっかり聞き慣れた寝息が聞こえてくる。


すると、ペンダントが光だし久しぶりにエレが姿を見せた。


「大丈夫なのか?」


幸村は彼女に顔を近づけ小声で問いかけた。


「大丈夫。あの人はすっかり意識を無くしているから」


「怖い言い方をするな...だが暫くは起きないってことか」


エレは同じ様にしゃがみこみ幸村の前に座り込む。


「君はどう思う?」


「あの村のこと?」


「そう」


「私は...正しくはないと思う。けど、決して在ってはいけないとは感じない」


「へぇ、意外だった。生命の産みの種...火の神の分け身としてはああいう人間の命を使う実験を酷く嫌うもんだと思っていたよ」


「私だって分からない。けど魔術を謂わば”崇めて”探究する彼らも苦労してきたはずだから」


エレは続けた。ライブニッツの話に補足する様な内容ではあったが魔術学院始め、魔術や魔法の研究、探究に励む彼らは”光の信仰”や”火の信仰”と似て、生命の源となる”魔力”を信仰しているのだと。


人間だけの力では届かぬ場所も、流れる魔力を上手く作用させれば見えない景色も見ることができる。深く思い出すことは出来ないが、どうもライブニッツからは探究欲という深淵の様な黒さを感じるが、それでも”憎悪”を感じないという。


「つまりやつらは”悪”だと感じず、実験をしている?」


「そう、けど言い方を変えれば例え素晴らしい行動さえ”善”とも感じず動けるってこと」


「感情があるのかそこには?」


「あると思う。けど貴方の様な喜怒哀楽とは違う様なものね」


「元来そうなのか?」


「どうでしょうね。けど彼らはある日突然目覚めるのではない。先天的ともいうべきか、環境的ともいうべきか。物心ついた時から彼らは既に底のない深淵への道のりを歩き出している」


「つまりこちらの正義や感情をぶつけても無意味だってことか」


「恐らくね。けどそれはある意味恐ろしくもあるけど利害が一致すれば大いなる助けとなるはず」


「...露骨に嫌悪な態度を取れば話し合いすらも拒まれるだろうな」


エレは外へ視線を向ける。真っ暗な景色と霧の向こう、白い鳥は相変わらずに飛び導きを決して絶やさない。


「そう、それにひとつ確信している。白い鳥が示す通り欠片の一つが魔術学院の方にあるってことを」


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