第2章 深淵を臨む者
第26話 講究のライブニッツ
オーランド城を出てどのくらいの時間が経ったろう。
オーランド城が見えなくなった頃、峡谷を目指していた幸村は青黒い不気味な沼地を歩いていた。
肩の位置まで伸びた雑草は既に枯れ果てながらも、沼地に蔓延る魔力により成長を止めることを許されない。
最初は手でかき分けながら進んでいたが、時折深い場所から膨れた頭部と獣の様な皮をした奴らが足首を掴んで引き摺り込もうとするものだから、剣を抜き乱暴に切り分けながら進む様になった。
最初は律儀に魔物共を剣で斬っていたが、青黒い沼地に雷の矢を放つと、波紋の様に雷撃が広がり一掃することが出来た。
鎧から泥が染み込み早く陸地に上がりたい所だが左右は岸壁に囲まれており、ここを無理矢理にでも抜けたほうが圧倒的に早いと気付いてからは、考えることを止めたのだ。
何より白い鳥がこの沼地の上を飛んでいるのだから正規ルートであることは間違いない。
この青黒い沼地は、足取りが悪くなるだけではない。歩みと共に普通の人間達は次第に魔力が沼に吸い取られていき、活力を失いその場で倒れていく。そしてそれを魔物共が捕食する。という循環で出来ている。
幸いにも幸村の魔力は指輪とペンダントに宿り、沼に吸い取られていく事は無いにしろ、生臭く視界も悪ければ足元に気を遣わなければならない事もあり、心身ともに苛立ちとストレスが募っていく。時おり鉄の杭の様な残骸が突き刺さっており、その障害も沼地の足の悪さに拍車をかけている。
ようやく小さな小島を見つけ久しぶりに陸地に上がることができた。
草は枯れ果て、崩れた岸壁が転がる場所には沼地で蔓延る魔物が上がる事は出来ず、小さな安息地の様である。
腰を下ろし、兜を脱ぐと大きく息を吐いた。
湿気や生臭さに息苦しかったが故に一時の解放感が心地良くすら感じた。
「息が詰まりそうだここは」
辺りを見渡すが景色が悪い。日本ではまず見ることのないであろう色の沼地や伸び切った枯れ草。
沼の中を徘徊する魔物の水音。
瓦礫に囲まれる様に守られたこの場所で一夜でも明かそうか。なんて考えながら視線を遊ばせていると、小さな水たまりを見つける。
その水たまりは、インクを溶かした様に青く神秘的に光る色をしていた。
掌で掬うと全て無くなってしまいそうなほど小さな水たまりは、汚れのない浄化された魔法が溶けあっているそれは何処か雫にも似た儚さを感じた。
ポーチ袋から空の小さな小瓶を一つ手に取ると、その水を掬った。光の粒子が澄んだ青い水を舞う。何か特別な力がありそうだと感じた幸村は、まあ1本の空き版で残りを掬った。
その2本を眺めていると、エレが姿を見せる。
「魔法の水…のようね」
「何か使い道がありそうなもんだが」
「まだ何者にも染まっていない純粋な魔法…貴重な産物…そうね。一つ提案があるんだけど」
エレは幸村に回復の魔法を唱える様提案した。
2本の小瓶を右手に持ち替え、底から添える様に左手を写し魔法陣を展開した。
すると光の粒子が水の中を踊り出し、純粋な青い魔法の水は琥珀色の水へと変わった。
エレは小瓶を覗き込むと小さく頷いた。
「この色、この力は間違いない」
幸村のポーチから残り1本となった霊薬の小瓶を取り出すと、2本と並べた。
どうやら貴重な回復薬が2つ復活した様だ。
「凄い…よく仕組みが分かったな」
「咄嗟に閃いただけよ」
「流石は神の分け身といったところか?」
と笑うと、彼女は少し悲しそうに呟いた。
「でも、もどかしい。きっと本当は全てを知ってないといけないのにね」
「まあ、人間らしくて良いじゃないか」
「人間らしく…か」
「それより助かったよ。この薬があると無いとでは気持ちの持ち用が大分違うからな」
幸村は嬉しそうに小瓶を袋にしまった。
「けどさっき貴重だって言ってた様な」
「ええ、今のこの世界じゃ純粋な魔法…それも何者の手にも触れていない自然の産物、恵みはかなり希少」
「じゃあ本当に偶然だったんだな…それもこんな片隅に小さく出来ているなんて」
純粋な魔法は希少ゆえ他の力と共鳴すると、大きく力を増幅させる。
琥珀色の霊薬こそ回復の魔法の力を大きく高めたそれである。途切れ掛けた命を吹き返す程にまで。
そんな貴重で強力な代物をあんな場所で5本も用意したあの男の正体がいよいよ分からなくなってくるが…
休憩を終え、幸村は再び沼地へと入っていく。
白い鳥の飛ぶ方を確認しながら、重い足を無理やり運びながら進んでいく。
目の前の枯れ草を斬り払ったとき、ようやく長い沼地の終わりが見えてきた。
「もうすぐだ…」
安堵し、先を急ごうとすると
「だ、誰か!助けてくれ!!」
叫び声のする方へ目を向けると、沼地に足を取られ倒れたのか、ハマり動けなくなった男が魔物の集団に囲まれている。どうやら両手両足の身動きが取れないようだ。
男は幸村に気付くと、膝や肩を精一杯動かしながら叫んだ。
「おい!助けてくれ!!」
幸村は雷の矢を放とうとしたが、男に感電しては不味いとすぐに手を納め、剣に雷撃を走らせると出来る限りの速度で男の元へ向かう。
「くそ!こいつら!俺なんて食っても美味くないぞ」
だが魔物も機敏には動けない。肥大した頭部や獣のような皮は泥を吸い取り、足は枝の様に細い。
やつらが男に噛み付くより前に、幸村が間に合った。
5、6体は居たであろう魔物らは全て斬り倒され幸村は泥に埋まった彼の両手を引き抜く。
「助かったよ、ありがとう」
男は自由になった手で自らの足を泥から抜くと、再度手を突っ込み荷袋を掴んだ。
年齢は一回り程上だろうか、髪は無く整えられた髭を生やし、育ちの良さや上品さを感じる見た目だ。
「私はライブニッツ。君は?」
「幸村です」
「ほお、初めて聞く様な名だ。ルレベルクの騎士にも特異な名が居たとは」
「何故ルレベルクだと?」
「その黄金の名残があるサーコートに、雷の魔法は異端を除けばルレベルク騎士の由来の物だ。私は魔術の国の1つ。ティシュタルの学者だからね、知識は武器だよ」
「魔術の国??」
「そうだ。魔力は元来全ての生命に流れる力だ。だがそれは戦い抗う為の物ではない。使い方を正せば文化の発展にも役立つ。その精神を起源とした国だ。まあ大きな国では無かったがな」
ライブニッツはすっかり黒く汚れたローブの付いた泥を軽く払いながら笑う。
「まあ歩きながら話そう、恐らく私の帰る場所と君の行く場所は同じだからね」
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