第8話 主無き廃城オーランド


「ハハハ、もうお前さんも何も見えやしないね」


気味が悪い笑い声に混じり、老婆の声が耳元でつぶやいてくる。


幸村は振り返り、袋を掴んだ何かを振り払う。


誰だ、視認してやろうと思ったが暗い闇の中指先一つも見えやしない。


剣を抜き周囲を見るが、聞こえるのはより一層不気味に増えていく笑い声。


(気味が悪すぎる。何だ、恐ろしい...)


恐怖が少しずつ湧き上がる心にエレの声が聞こえた。


(大丈夫。空を見て)


幸村が空を見上げると、暗闇の中1羽の真っ白な鳥だけが見えた。


(恐れないで、貴方はあの鳥の後を追うだけで良い。顔を下げないで、大丈夫だから)


優しく語りかける声を信じるしかない。

笑い声に囲まれ、行く先も何も見えない中。幸村は空を舞い飛ぶ白い鳥だけを見つめ歩みを進めた。


「さぁ、君も暗い暗い闇に全てを委ねると良い・・何も見えず何も無い。

あぁ〜あぁ、なんて優しいのだろう」


老婆の言葉を追うように不気味な笑い声は増していく。

頭に、身体にゾクッと冷たい恐怖を覚える。


意識を保たねば、老婆の声には甘い誘いがある。


大丈夫だ、あの白い鳥はどんなに遠くへいこうともまるで導くように見えている。


(大丈夫。そのまま進んで)


踏み外して落ちたりしないだろうか。

得体の知れない何かに襲われないだろうか。


掻き立てる不安に飲まれないように、ただただ追い続けた。


そして次第に暗闇は薄れ、霧は晴れていく。


「お前さんのその行先には死しかない。何度も何度も終わらない死がね」


笑い声が消えていき、老婆の言葉を最後に完全に視界は元に戻った。


気付けば夜は明け既に空は明るかった。


(そんなに時間が経っていたのか...?)


先程まで居たはずの関門は既に遠く、城下街へ繋がる街道の上に居た。


煉瓦造りの道は歪み、建物の亡骸が木々と寄り添うように重なり合う異様な景色。いよいよか。


「なんだったんだあれは...」


幸村は振り返り、呟いた。


(あれらは言わば怨霊の類いね)


「怨霊...幽霊なんて見えた事なかったのに」


幸村は体験したことはないが、あの世界の心霊体験よりももっと何か重く深く、そして甘い恐怖。


暗闇に身を委ねた方が楽になるのではないか?

そう思わせてしまうほどであった。


さて、行くか。


再び前を向いた幸村は袋が軽くなっていることに気が付いた。


急ぎ手に取ると、袋が破れていたのだ。


中身を確認すると、小瓶や本は辛うじて残っていた。しかしスーツが無くなっていたのだ。


「あの世界で生きた証だろう」


男の言葉を思い出した。

不用だと思っていたが、幸村が幸村であった事を証明する忘れ形見のような物だ。


盗まれたのか奪われたのか落としてきたのか。

いや、原因はあの怨霊達だろう。

袋を力強く掴まれた感触は間違いなく感じたのだから。


失くしてしまっては寂しいものだ。


「高かったのになあ」


ポツリと寂しげに呟いた幸村は本に何か引っかかっている事に気が付いた。

手に取るとそれは薄汚れたネクタイピンであった。


これだけでも残った。

小さいがまるで奇跡みたいだ。


就職祝いに親から貰った一品だった。


良かった…

安堵した幸村はネクタイピンを鎧の下に付けた。


もう無くさないぞ。そう意気込んだのも束の間


「おや。お前さんはまだまともなようだね」


背後から男の声が聞こえた。

咄嗟に戦闘態勢を取り振り返ると、行商人のような姿をした小さな男が立っていた。


背中には身の丈ほどの荷物を背負っている。

焦点の合わない濁り切った瞳は一見してとてもまともとには思えないが…

思わずしばらく体勢を崩さずに見ていると。


「なんだ、話も出来ないのか」


そう言うと男はポケットの中をゴソゴソとまさぐる。


(大丈夫、この人はまともだから)


エレの声が聞こえ、幸村は力を緩めた。


「いえ、話せます」


柄から手を離し呟いた声に男はポケットから手を出した。


「やはりまともなようだな。俺はルトーだ、名前はあるかい?」


「幸村です」


「幸村?ふーん、、まあ名前なんて聞いたところでだが」


ルトーは何か意味深な言葉を残しながらも、続けた。


「付いてきな」


歩き出しながら、ルトーは話を続けた。


「お前さんは何処か遠い国か場所から来たんだろう?」


「はい。何故それを??」


「イムブルクで育ち生まれた人間に基本まともな奴をまともに見たことがない。特に海沿いの辺境な最南端の場所、、この辺りは特にそうだ!」


どうやら幸村が最初に流れ着いた場所はイムブルクの南端であったようだ。


「だが俺には加護が付いてる。だからこうして外を歩いて品物を探してお前さんと会話が出来る」


ルトーはヒヒヒと笑うと、空を見上げる。

変わらずに一羽の白い鳥が飛んでいる。彼にはあの鳥が見えているのだろうか。


彼は自らをまともと言うが、外見からすればここまで出会った理性や自我を無くし狂気と化した人間達とそう変わりなかった。


肌にもはや色はなく、痩せこけている。


まあこの世界に来てエレや牢獄で出会った老人を除き、初めてまともに会話が出来る人間と出会った事は良かった。


それにこの流れは何処か安全な場所か、まともな人間達の居る場所へ連れて行ってくれるのだろうと期待しながら幸村は言う。


「何処へ向かってるんですか?」


「オーランド城だ。ほら、あれだよ」


ルトーが指を指すと、聳え立つ大きな城が迫っていた。

世界がこうなる前はさぞ立派で栄華を誇る城だったのだろうな、そう感じるように息を呑んだ。


城門は首を痛めるほど見上げねば全てを確認出来ない大きな槍を構えた石像が左右並び立つ。


思わず幸村はその場で立ち止まり、見惚れてしまった。


「ヒヒヒ、お前さんの居た国には城とな無かったのか?そんなカチャカチャうるせえ身なりしといて」


「ついてきな。お前さんみたいな他所モンが居るぜ」


その言葉にハッとした幸村は急ぎ後を追った。

緩やかな坂道が続き、2人の頭上には白い鳥が飛ぶ。

遠い背景は薄く輝く海面が穏やかに揺らいでいる。

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