10)猫屋敷の庭師

 雪山に登って、滑り降りて、飛び降りて。雪玉をぶつけ合って、雪にはまって、引っ張り上げられて、また転んで。


 人も猫も関係ない。遊んで遊んで大騒ぎして、笑って笑って。俺はふと、黒猫が雪を掘り返しているのを見つけた。隣で毛並みの良い猫が見守っている。


 俺は、あの丸太に刻まれていた爪痕を思い出した。あれはあの、黒猫の爪研ぎの木だったのだ。

「なぁちょっと」

俺は仲間に声をかけた。


「どうぞ」

俺は仲間と持ってきた丸太を黒猫の前に置いた。俺たちを不思議そうに見上げた黒猫は、しばらく丸太を突いていた。ようやく俺たちが丸太を持ってきた意味がわかったらしい。バリバリとすさまじい音を立てながら爪を研ぎ始めた。


 子猫は丸呑みだろう。人間だったら、何口くらいに分けて食べるんだろう。ふと、恐ろしい考えが俺のなかに沸き起こってきた。爪研ぎに夢中な黒猫は、俺の恐れなどには気づいていない。上機嫌だ。


 ふと顔をあげた黒猫は、俺と仲間に体を擦り寄せてきた。最初にすれ違ったときの、軽く触れるようなものではない。しっかりと親しげに俺の脇腹に触れた背からは、筋肉の動きが伝わってくる。黒猫のお礼なのだろう。押し倒さそうで恐ろしいが。


 黒猫はしばらく爪を研いで気が済んだらしい。また雪山に突進していった。


 子供の体力と、大人の体力を一緒にしてはいけない。日が天頂に届くころには、大半の大人が、雪で作られた家の中で、焚き火で暖を取りながら、庭を眺めていた。

「元気がよいね」

お若くはない公爵様だ。こんな冬の日に、外で雪合戦をご覧になっておられるのだから、お元気だと思う。


「すすめぇ!」

「おぉ! 」

甲高い子供の号令に、野太い声の男たち応じ、雪玉が空を切る。絶え間ない雪玉の攻撃をくぐり抜けようとする男に、情け容赦なく雪玉が降り注ぐ。朝からの雪遊びのあとだ。未だに体力が残っている連中が、二手に分かれての雪合戦を始めた。総大将は若様のお子様方だ。相手の陣地から旗を奪った陣営が勝利する。というわかりやすい遊びだ。珍しくもない子どもの遊びだが、公爵家の騎士たちの雪合戦は迫力が違う。俺は自分の体力がないことを感謝した。


「今だ! 」

「うぉぉぉ!」

号令を合図に反撃が始まった。


 若様の御長男の陣営が、末っ子が率いる連中を相手に勝利した。そういうものだ。それが兄弟だ。作戦を立てることが出来る兄が勝利するのは当然である。

「先鋒だけでは勝利はない。支える後方、兵站がなくては、細く長い先鋒は折れるだけだ」

若様の言葉に、シュザンヌ様の膝に頭を乗せている黒猫が頷く。太い綱のような尾には、子猫たちが纏わりついてる。


 雪玉をひたすら作っていた連中を、若様の御長男がねぎらっていた。雪合戦である。雪玉がなくては、戦いにならない。作戦勝ちだ。負けて悔しがっている末っ子も、いずれ長兄の勝利の原因を知るだろう。その時、どんな勝負になるのか楽しみだ。


 黒猫がゴロゴロと喉を鳴らしながら、シュザンヌ様に何かをねだった。

「あら、もう一つ召し上がりますか」

シュザンヌ様が手に載せたチーズを、大きな舌が舐め取った。黒猫はご機嫌だ。傍から見ていると、手をばっくり食べられそうで怖いが、シュザンヌ様は優しく黒猫を撫でている。


 色々と色々と、本当に色々あった。もしかしたらそうだろうと疑うことは、本当にそうであるという事実を突きつけられることは違う。


「そういうわけで、この屋敷でこのまま働いてくれるなら、君には誓約魔法が必要になる」

義妹夫婦のように食べさせて欲しいと、若奥様にねだっていたはずの若様が、真面目な顔で俺を見ていた。


 あの綺麗な毛並みの良い猫がシュザンヌ様で、大きな黒猫はテオドール様で。お二人のお子様方は、黒猫に変化してシュザンヌ様に甘えるテオドール様で暖を取っている子猫たちで。


「たしかに必要だとは思います」

前の旦那様の屋敷では、秘密の出入り口のことを口外しないと誓約魔法を使った。万が一、屋敷から逃げるための秘密の出入り口だ。放置していては仕えなくなるから、手入れは俺たち庭師の役目だった。あの通路の誓約魔法よりも、猫屋敷の秘密のほうが、緊張する。


 変化の魔法の使い手の身の安全のための誓約魔法だなんて、格好いい。元勇者テオドール様と、奥方のシュザンナ様、お子様方を守るための誓約魔法だ。庭師の俺が、勇者様の物語に登場する端役になったみたいだ。


「よろしくお願いします」

俺はフェルナン様に頭を下げた。


「ん、じゃぁ明日な。今日は遊びすぎた」

次から次へと料理に手を伸ばすフェルナン様の素っ気なさが、嬉しかった。俺は信頼されているのだ。氷の馬で空を駆けるフェルナン様に。あれこれへんてこ魔法を編み出すフェルナン様だが、本当は優秀な魔法使いでいらっしゃる。公爵家の方々も、今すぐに誓約魔法をとおっしゃることもない。庭師の俺を信用してくださっているのだ。


「どうしたんだ」

「いえ、色々美味しそうだなとおもっただけです」

「お前も食べたら」

「大丈夫です。俺は。フェルナン様は、魔法使ったわけですから、沢山たべてください」

「うん」


 黒猫テオドール様がまた、シュザンヌ様に何かをねだっておられた。


<猫屋敷の庭師 完>

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テオドールと旅の仲間の魔法使い 海堂 岬 @KaidoMisaki

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