同僚たちの
同僚の羽振りが急に良くなった。今まではことあるごとに倹約を説き、お昼を具のない握り飯ひとつで済ませていた男が、途端に外食を好むようになった。しまいには、仕事にも身の入らない始末で、昼休みも知らぬ間に姿を消し、午後の仕事が始まる二分前にホクホク顔で帰ってくる。ある時は、あまりにも怪しい黒いビニール袋を持っていた。中身を問うてみると、彼はバツが悪いような顔をして、そそくさと自らの鞄にそれをしまった。鞄にしまう折に僕は少しだけその中身を覗き見ることができた。数え切れぬほどの札束が、その価値をも忘れられたように、無造作に放り込まれていた。
それ以来、僕は同僚の動向を追うようになった。昼休みになるとそそくさと外に向かう彼を、それとなく僕も追いかけた。週に三度は彼の言葉通り、外食をしているようだった。チェーン店ではなく、相応に価格帯の高い店を選んでいる。食事に給与を割く余裕のない僕は、店の前で彼が食事を終えるのを待つほかなかった。二度目からは、あらかじめ朝ご飯をきちんと食べるようにして、昼時間帯は彼の追跡に時間をさけるようにした。選り好みをしているのか、彼は毎度異なる店を選んでいた。そのうちお気に入りのルーティンが決まったのか、選別の済んだ店で食事するようになった。選ばれたのは僕らの会社、役職にはとうに似合わないようなお店で、それだけで彼の懐具合の余裕がうかがえた。
軽率に彼に羽振りの良さの理由を問うてみてもよかったのだが、一度聞いてしまえば、彼は警戒して心を閉ざしてしまう恐れがあった。所詮は職場が同じで年齢が近いだけの同僚で、さして仲が良いわけではない。何より彼に隠そうという意思が垣間見える以上、それは彼に知られぬところで覗き見るべきものであるように思えた。
僕自身、同僚の秘密という餌に、踊らされていた側面もあったのだろう。人の秘密をうかがい知ることほど自身に優越を感じさせることもなし、こと歳も近く、切磋琢磨している同僚のこととあれば、なおさら彼の秘密は垂涎ものだった。
外食をしない残りの二日は、彼は会社の周辺をぶらぶらと散歩していた。炎天下の季節であるにも関わらず、彼はそれをものともせず、涼しい顔で街を練り歩く。気分転換に散歩したくなる気持ちも優に理解できる。ただ彼の行動の背景には、もっと重大な何かがあるように思えてならないのだ。
僕も、何ら根拠をなく彼に言いがかりをつけているわけではない。というのも、僕自身、彼の後を追う中で、彼の姿を見失ってしまう場面も多々あるのだ。ある時は角を曲がった時に。ある時はほんのひと時の瞬きの合間に。彼は忽然と姿を消す。僕の尾行に気づき、撒かれたのかと最初は焦ったが、後から言及してこないあたり、彼は彼の目的のために姿をくらましているように思われた。僕は時間が余っていればコンビニで軽食を購入して、収穫を整理しながら会社に戻る。会社に戻ると、彼は何食わぬ顔で自席についている。黒いビニール袋は、こういった日にこそ、彼の手中に収められているのだと理解できた。
彼を見失ってしまうような日にこそ、彼の行動を突き止めねばならない。ただ、彼の姿を消す契機がまったくわからない。場所も異なれば、時間も天気も異なる。どれだけ注視しているつもりであっても、気づけば彼はいなくなっている。糸口は全くつかめず、ただ無為に彼の姿を見失う日々を繰り返している。
そんな折、彼が当日になって急に午後半休を申し出た日があった。午後に用事があるのだろうと推察したが、それにしては彼の様子がいつもと違って見えた。そわそわと、何か大きな秘め事が暴かれようとしているような、期待や不安に満ちた表情だった。入社して三年になるが、そのような彼の姿を見たのは初めてで、僕はますます訝しんだ。何かとてつもないチャンスが、僕の目の前に提示されたように感じた。
彼が会社を出たのを見計らって、僕は体調不良のふりをして会社を抜けた。半ば強引ではあったが、僕にはこのチャンスをものにする義務があった。やや遅れて会社を出たが、彼の後を追う日々を繰り返した賜物で、すぐに彼に追いつくことができた。彼は外食をしない昼休みのように、会社を出てそのまま散歩に興じていた。
彼は大きなリュックサックを持っていた。ただその中身はほとんど何も入っていないようで、歩くたびに力なく揺れ、重厚感はまったくなかった。否応にも黒いビニール袋のことが思い出され、僕は唾を飲み込んだ。いつにもまして、彼にバレぬ細心の注意を払った。
ふいに彼が立ち止まった。知らぬ会社の植え込みの前で、彼は周囲をうかがうようなそぶりを見せた。僕は慌てて物陰に隠れる。後ろから歩いてきたサラリーマンにぶつかりそうになったが、かまっている余裕はなかった。
同僚は歩いてきたサラリーマンが過ぎ去るのを待った。明らかに、誰もいない瞬間を待っているようだった。人の歩くのが妙に遅く感じられ、暑さも相まって頬を汗が垂れていくのがわかった。
次の瞬間には、彼の姿はなくなっていた。瞬きもしていないはずなのに、僕には彼が消えた理由が理解できなかった。風景は何事もなかったかのように動き出して、僕はやや取り残されたような寂しさを感じる。心の奥底がむず痒く、力及ばぬ事象に体皮がそばだっているのを感じた。僕は彼がいたはずの場所に足を向けた。そこで、植え込みのところに小さな切れ込みが入っているのを見つけた。
切れ込みに手を当てると、僕は山の中にいた。鳥の鳴く声が聞こえ、安心感を覚えた。奥深い森の中だった。やや傾斜がついてはいるが、人が歩いたような道があったので、文明の外にはじき出されたような疎外感は感じずに済んだ。
起きた事に対して、冷静でいられる自分を発見した。直前に人が消えるような現象を目撃していたのも相まって、自分の身に何が起きたのか、脳にはまだ届いていないが、体は理解しているようだった。この山道を登った先に彼がいる予感があった。生き物の気配があって、それを心の拠り所にした。山登りは経験がない。ただ子供のころに雑木林で遊んだ記憶を掘り出し、落ちぬように、足を滑らせぬように斜面に体を寄せて、前傾姿勢で足を動かした。
季節が変わり損ねたかのように涼しく、汗を乾かすための風が吹いていた。想定に反して体は軽く、デスクワークばかりの日々であっても体はまだ生きることをあきらめていないのを感じた。しぶとくも図々しく、この先を見るための活力が湧いてきた。同僚の彼がふいに現れることへの警戒も怠らなかった。ここが彼のホームグラウンドである以上、部外者の僕はすべてに対して友好的であらねばならない。他の足音に耳をそばだて、自分の足音を極力押し殺しながら、道をなぞらえるように進んでいった。
声が聞こえた。聞き覚えのある声だった。弾む感情を乗せたような明るい声で、僕は岩陰に身を潜めた。
行く先には同僚の彼がいた。見失ったときと変わらぬスーツ姿のままで、この山道には似つかわしくない。革靴のままこの山道を登ってきたのだろうか。自分の姿を顧みて、スーツ姿の男が二人いる現状を可笑しく感じた。彼は一本の木に向き合っていた。純金でできたような、金色に光り輝く木だった。
「ふふふ、踊るような収穫だ。これでまだまだ先にゆけるぞ」
枝の先には紙幣が実っていた。彼はそれを一つ一つ収穫して回っている。束になっているものもあって、僕が覗き見た黒いビニール袋の中身は、この木から収穫されたものなのだと悟った。かなりの豊作だった。木は取っても取っても余りあるほどに紙幣を実らせていて、彼が粗雑にリュックサックに詰め込んでいっても、まだまだ富を蓄えていた。やがて彼のリュックも目いっぱいになり、彼は満足げに腰を下ろす。リュックサックの口を厳重に閉めて、収穫作業を終え、一息ついていた。
これが、彼の秘密。僕はそれを静かに見守っていた。唾を飲むことすら躊躇われた。僕は僕をここにいないものとして扱った。彼はしばらく微睡にうつつを抜かすと、すくっと立ち上がった。紙幣でいっぱいになったリュックサックを器用に背負いあげて、また山道を下っていく。岩陰に隠れた僕には、最後まで気づかなかった。自分のこれからのことしか見えていないのだろう。順風満帆なときこそ、己に驕り、周りが見えなくなる。
僕はその愚かさに助けられた。彼がいなくなったのを見届けてから、僕も金ぴかの木に駆け寄った。自然に生み出されたようには到底思えなかったが、人間がこのような奇跡を起こせるとは思えなかった。夏の暑さが見せた幻であったとしても、目の前にあるものを真実と信じる他なかった。
そっと葉のひとひらに手を伸ばす。そのひとひらは紙幣になっていて、同僚の彼が熱心にかき集めていたものだ。触れると、確かに紙幣の質感だった。まぎれもなく本物。比べてみる限り、シリアルナンバー等も精巧に区別されており、誰が見ても、本物と相違ないと判断するだろう代物だった。
葉を摘み取ろうと少し力を込めた。葉はびくともしなかった。枝がしなることさえなく、金ぴかの木は沈黙していた。
もう少し力を込めた。さらに力を込めた。自分に出せる実力のすべてを余すことなく発揮してなお、僕には適格がないとでもいうように、枝葉はその形を変えることすらしなかった。
別の葉に対象を変えても同じだった。僕は門前払いを食らったように、木の前に立ち尽くした。何も収穫がないままに帰ることはできなかった。ここまで費やした労力と、同僚の秘密を暴いた快感が目に見える成果を求めていた。
この果実を収穫し、同僚の前にぶら下げることで、僕は彼に対して優位に立ちたかったのかもしれない。自らの能力を誇示し、彼よりも上にいることを認めさせたかったのかもしれない。ただ現実は逆を行く。ホクホク顔の同僚を思い返しながら、惨めな僕は己の力不足を嘆くほかなかった。
金ぴかの木の根元に腰を下ろした。対話が何を解決するだろう。ただ傍にいれば、いつか許しを得る日がくるだろうか。希望的観測であることは目に見えていた。強固な枝葉は、もはや取り付く島もなかった。ただ僕は僕が彼よりも劣っていることを認めたくなかった。自分自身であるために、認めるわけにはいかなかったのだ。
金ぴかの木の根元で、枝葉が風に揺らされるのを見ている。ふとしたきっかけで、葉のひとつでも落ちてこないか。
見上げることにも疲れて、じうじうと身を焦がしている。
チャップ・ブック ちい @cheeswriter
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