スピンオフ短編

言葉を買った女

「言葉屋に行くわよ」


 母親の口から聞き慣れない単語が出てきたことよりも、母親から自分に声を掛けてきたことの方が、ひじりにとっては驚きだった。母親は、普段自分に自分から話しかけるような真似などしないのに、と。


「……言葉屋、って?」


 母親曰く、貧困層や言葉を使う仕事、言語障害者のために言葉を売買する店のことらしい。それでも聖は分からなかった。


「な、んでそんなところに」


 問う聖の腕を掴み、母親は答えず応える。


「いいから。聖はお母さんの言うことをきいていれば」


 聖は困惑していたが、久しぶりの母親との会話に内心少し喜んでいた。中学三年生の聖は、反抗期もなく、大人しい子供であった。


   *


 なんてことのない、寂れたアーケード街の、片隅と呼ぶのも烏滸がましいそこに、言葉屋は鎮座していた。年甲斐もなく母親に手を引かれ入店した聖は、店内の陳腐で異様な雰囲気に気圧される。ただのオフィスの内装なのに、どこかこの世のものではないような空気を、聖は勝手に感じていた。

「いらっしゃい。おや、新しいお客さんですか。言葉をお売りになりたいと?」

 入り口から見て中央のデスクに座ってこちらを見る男。店の店主のようで、横には秘書らしき女性が立っている。


「違うわ、言葉を買いにきたの」


 落ち付きつつも圧のある店主の語気に負けじと母の声が静かな店に響く。


「ほう。ところで、お客さん。言葉屋については」


「噂程度しか」


 大人たちの会話に耳を澄ませつつ、聖は黙って下を向いていた。


「そうですか。では東屋くん。説明して差し上げて」


「はい。関さん」


 東屋、と呼ばれた秘書の女性が、タブレットを取り出す。

 説明を要約すると、人間の語彙を換金できる機械を使い、言葉の売り買いを行うのが言葉屋のようだ。言葉によってそれぞれ売価買値が異なり、特に再学習が難しい概念的な言葉ほど高価になる。それで五百万円儲けた物もいるとか。

 東屋がここまで説明して、関と呼ばれた店主の男が口を開く。


「今回は言葉を買いたいということですので、その説明もさせていただきます」


 東屋がタブレットの画面をスワイプさせる。


「こちらのタブレットのカタログ画面にて言葉を選んでいただきます。一覧に言葉を売った人が匿名で表示されていますね」


 画面に、『七十歳男性 元作家』『五十六歳女性 専業主婦』などの文字が並ぶ。


「彼らの売った言葉一覧をご覧いただき、この中から五~十人お選びください。自動で、被りを防ぎつつ数百~数千語ずつ売らせていただきます。人単位でお売りする理由は……わざわざ一語一語選んでいたら時間が掛かって仕方ありませんから」


 関は口元に微笑みを貼り付けて、説明をこなした。


「それでも、大きい買い物になると思いますので、数日お考えになるのがお勧めですよ」


 東屋も微笑みを貼り付けた顔で言った。


「それはダメよ」


 母親の鋭利な声に、聖は顔を上げた。


「明日、この子の入学試験があるの。明後日は面接。なのにこの子、新聞も本も読まないから国語の成績は悪いし人と話だってまともにできない。だからここに来たのよ。最後に、藁にも縋る思いでね」


 聖は自分の痛いところを人前で話され、ばつが悪くなったのか再び視線を落とした。


「なるほど。しかし、今日はもう間もなく閉店の時間でしてねえ。選ぶ時間が……」


 思ってもいない溜息を吐いた関は、聖を一瞥する。時計は午後七時を指していた。


「……そうだ。この『七十歳男性 元作家』の言葉を全て買い取るわ。そうすれば、試験も面接も完璧にこなせるはず」


 母親は関の前に置かれたテーブルに身を乗り出し、自分の閃きを嬉しそうに語った。


「……この方は余命が残り少ないとのことで、ほぼ全ての語彙を売り、その資産を孫のために残したらしいです」


 東屋がタブレットに目を通しながら言う。


「それがどうしたの」


「人一人分の語彙を全て買い取るということは、その人の――」


「あーもう、長い説明は聞き飽きたわ。時間の無駄よ。その元作家の言葉を全部売ってちょうだい」


「ですが」


 東屋が言いかけたところで、関が制した。


「細かい話は、こちらの契約書に。よく目を通されてから、サインしてくださいね」


「あら、話が早いじゃない」


 話を聞いていた聖は、何となく嫌な予感がして、母親に小さく「もう帰ろう」と言ったが、母親は「大丈夫だから」と聞かなかった。


「サインしたわ。さあ、早くして。この子、明日に備えて早く眠らないといけないから」


 関は母親のサインが書き足された契約書を受け取り、聖に再び目を遣った。


「たしかに、受け取りました」


 言葉の売買はとても簡単だった。聖の頭によく分からない機械を被せ、また他のよく分からない大きな機械に頭の機械から配線を繋ぐ。作動して、一分も経たなかっただろう。東屋が口を開いた。


「終わりました」


 機械を外された聖は、静かに椅子に座っている。


「これで、この子の語彙力は作家並みになったのね?」


 母親が嬉しそうに言う。


「ええ。間違いなく」


 関が笑う。


「聖。気分はどう?」


 問いかける母親に、聖はこう答えた。


「……私、こんなことをしている場合じゃない」


「え?」


「高校には進学しない。やらなくちゃいけないことがある。……そうだ……そうなんだ……この世界を、描かなければ」


 聖はそう言うと、茫然と動けない母親を置いて足早に店を出て行った。


「ちょっと! どうしたの!?」


 狼狽える母親と、平然としている関と東屋。


「ねえ! どうなってるのよ!?」


「……契約書を、よくお読みにならなかったのですか?」


 わざとらしい溜息を吐いた関は、母親の持つ契約書を指さす。


「契約書……?」


【一人の人間から大量に言葉を買い取った場合、買い取った人間の人格に影響が出ることがありますが、当店はそれによる損害・損失等の責任を一切負いません】


「……そ、んな……」


 母親はしばらく茫然として、ふと思い出したかのように我が娘を追って店を出ようとした。


「おっと、お客さん」


 そんな母親に関は声を掛ける。


「合計、八千六百三十二万円、十日以内にお振込みをお願いしますね」


 母親は青ざめて、怒りと困惑に顔を歪ませながら店を出て行った。


   *


店に関と東屋が残る。静かだった。


「……関さん、悪ふざけが過ぎるのでは?」


 東屋が控え目に聞く。


「いいんだよ、私はああいう母親が大嫌いだ」


「…………そうでしたね。それにしても、こんなことも起こり得るんですね、これ」


 東屋が機械を見下ろす。


「ああ。いつかも誰かに言ったが、人間のあらゆる感情も、記憶も、思想も、言葉によって形作られる。言葉が人間を形作り、その者の未来を決定づける。まして中学生の多感な少女が老作家の言葉たち全てを手にしたら、影響を受けないわけがないだろうね」


 関は肘を付き、吐き捨てた。


「でもまあ、あの子はもしかしたらあれでいいかもしれないな。未来の大作家になるかもしれない」


 ほくそ笑む関を横目に、東屋はコーヒーを入れに店の奥へ歩きながら言う。


「関さん、冗談もほどほどにしてくださいよ」


「冗談? まさか。私は冗談を言わないだろう。これでいいんだ。少女はやりたいことを見つけ、母親は自らの身勝手に気づく。痛快じゃないか」


 陽が沈み切った空に、カラスが鳴いた。


                   終

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言葉を売った男 水村ヨクト @zzz_0522

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