空き巣

旗尾 鉄

第1話

 親友の奈々美から、泣き声で電話がかかってきた。

 部屋に空き巣が入ったという。

 電話の向こうで泣きじゃくる奈々美をなだめてから、私はすぐに彼女のマンションへと足を運んだ。


 奈々美のマンションは、最寄り駅から徒歩十分といったところにある。

 2DKの賃貸マンションで、部屋は一階の端だ。

 去年までは別のワンルームマンションで一人暮らしをしていたのだが、今年になって浪人生だった弟さん(浩司君というのだが)が大学に合格した。


 私と奈々美は、高校の入学式で知り合って以来の親友だ。

 お互いの家に何度も遊びに行っているから、この浩司君のこともよく知っている。

 私たちより五歳年下で、なかなかのお調子者である。


 その浩司君が、いざ合格して上京するという段になって、奈々美といっしょに暮らすと言い出した。

 炊事や洗濯など、一人暮らしのあれやこれやが面倒になったらしい。

 ご両親はそのほうが経済的にも助かるし、奈々美は浩司君を昔からとてもかわいがっていた。

 そういう事情でここへ引っ越し、姉弟で生活しているのだ。


 着いてみると、マンションの前にはパトカーが一台と、見慣れないワゴン車が停まっている。

 奈々美は私の姿を見るなり、涙目でかけ寄ってきた。


「理沙! ありがとう……うっ、あたし怖くて、なんかパニックだよ……」


 奈々美は内気なタイプで、こういう突発的なトラブルに対処するのは大の苦手だ。

 奈々美は涙ぐんだり震えたりで、話は要領をえなかったが、なんとか経緯だけはわかった。

 それによると、最初に発見したのは浩司君だ。大学の午後の講義が休講になって早めに帰宅したところ、部屋が荒らされていたという。

 ダイニングの引き出しに保管していた生活費七万円あまりと、奈々美のヘソクリ、現金十万円が盗まれている。


 少し離れた場所では、若い男性が警官と話をしている。

 浩司君だ。

 コロナ以降、三年ほど会っていなかったけど、すぐにわかった。

 背が伸びて髪形をツーブロックに変えていたけど、子供っぽい雰囲気が全然変わってない。


 奈々美をなぐさめていると、グレーのスーツを着た、五十代くらいの男性が近づいてきた。

 がっしりとした体格で、丸顔の、温厚そうなおじさん、というのが第一印象だ。

 失礼だけど、後退しつつある額の生え際がテカテカして、つい目がいってしまう。

 男性は身分証を見せて名乗った。


「盗犯係の村田です。現場検証は終わったので、もういちどお部屋の中、いっしょに見てもらっていいかな? えーっと、お友達の方?」

「はい。友人の笹倉理沙です」

「あ、あの、理沙は高校時代からの親友で……」


 私の返事を聞くと、村田刑事はちょっとほっとした表情になった。


「じゃあね、笹倉さんもいっしょに。そのほうがね、安心できるだろうから」


 奈々美には申し訳ないけど、テレビドラマのような展開に、私は不謹慎ながらワクワクしていた。




 部屋に入る前に、村田刑事はドアの前で立ち止まった。ドアノブをゆびさす。


「ここ、鍵穴のところに傷がついてるでしょ。これピッキングっていうんだけど、よくある手口なんですよ」


 たしかに、鍵穴の周囲に不自然な傷がついている。


「さ、中どうぞ」


 玄関を入ってすぐのダイニングはまさに、ザ・犯行現場という感じだった。

 戸棚、小物入れ、キャビネット。

 すべての引き出しが開けっ放しにされている。

 ただ、椅子がひっくり返されたり、食器が壊されたりといった乱暴さはなかった。

 村田刑事が奈々美に確認する。


「さきほどのお話だと、ダイニングでは現金七万円がなくなっている、と。そういうことですね?」

「はい、あ、いえ、えっと、一万円札は七万円ですけど、あと小銭もなくなってて、えっと、いくらあったかちょっと覚えてなくて、五百円玉が一枚あった気がするんですけど……」

「あー、はい。七万円と小銭ですね。場所はこのキャビネットの上から二番目の引き出し、で間違いないかな?」

「は、はい。あの、お金の場所とかは決めておくことにしてて、たまに違う場所に置くときもあるけど、でも……」

「奈々美、大丈夫だからね。落ち着いて聞いてもらおう、ね」

「う、うん」


 私は、いっぱいいっぱいの奈々美を落ち着かせようと声をかけ、肩をさすった。

 村田刑事が私を同行させた理由が、なんとなくわかる。


「では次、奈々美さんのお部屋のほう、お願いします」


 奈々美の部屋は、八畳くらいの洋室だ。

 壁の一面は、約半分がクローゼットになっている。

 家具はベッド、机、タンス、書棚。

 奈々美は図書館の司書なのだが、学生時代とほとんど変わらない部屋だ。


 この部屋も、あきらかに物色された形跡がある。

 タンスの引き出しは、一番上と一番下が開けっ放しになっている。

 引き出しの中が引っかき回されて、セーターや靴下がはみだしていた。

 下着の引き出しでなかったのが、不幸中の幸いだ。

 さらに、書棚のうちの一段は、本が床にぶちまけられている。

 クローゼットも中は無事だったが、扉が全開になっていた。


「こちらのお部屋では、現金十万円が被害にあっている。タンスの一番上の引き出しに保管されていたと。間違いないですか?」

「はい」


 奈々美が震え声でうなずく。

 村田刑事はうんうんと軽く首を振ると言った。


「ご協力ありがとうございます。被害にあったのは、この二部屋でした。ここじゃちょっとショックだろうから、いったん外に出ましょうか」


 私たちは村田刑事にうながされ、部屋を後にした。




 外に出ると、村田刑事はマンション駐車場のすみにあるベンチに私たちを座らせた。

 自販機で缶コーヒーを買い、私たちに一本ずつ手渡す。


「お疲れさまでした。大変だったでしょう」

「あ、ありがとうございます」

「んーと、今夜はどうします? この部屋じゃちょっと休みにくいよね?」


 この刑事さんは、けっこう気をつかってくれる。

 人情派、っていうのかも。


「奈々美は私のとこに泊まってもらいたいんだけど、いいですか?」


 私が尋ねると、村田刑事はうなずいた。


「うん、そうしてあげてください。それで今後のことなんですが、警察署のほうに被害届を提出してほしいんですよ」

「ひがい……とどけ?」


 これも聞いたことがある単語だ。

 まさに二時間サスペンス的に話が進んでいる。


「ええ。なに、書類を書くだけです。ただですね……」


 村田刑事は言いよどんだ。

 なにか不都合があるのだろうか?


「被害届を出す前に、弟さん、浩司君とよく話をしてもらいたいんですよ。警察で聞いてもいいんだけどね、そうなると取り調べみたいになっちゃうし、浩司君まだ二十歳未満だしね。なるべく穏便にしたいから」

「えっ……」


 私たちは絶句した。

 もしかして、浩司君が疑われている?

 どうして?

 こうなると、テレビドラマのようだなどと間抜けなことは言っていられない。


「それって、浩司君がなにか空き巣に関係あるってことですか?」


 固まってしまった奈々美に代わって、私はおそるおそる尋ねた。


「いや、空き巣が入ったのは状況的に間違いないですね。ただ、ちょっとね。まあ、私の考えすぎならいいんだけども。ともかくよく話して、警察には正直に話したほうがいい、そうお伝えください。では」


 村田刑事は軽く一礼すると、パトカーで撤収していった。

 そして私たち二人は、果てしなく続く疑問と不安を胸に、夕暮れのベンチに取り残されてしまったのだった。








 翌日。

 私たちは浩司君を連れて警察署へとおもむいた。

 昨夜、真相を聞いた私たちは、あまりのことにすっかり意気消沈していた。

 私たちの詰問に最初はしらばっくれていた浩司君も、警察が目をつけていると知るとついに観念し、白状したのである。


 空き巣に荒らされたところまでは本当だった。

 ただし、その被害はダイニングだけだったのだ。

 大学入学早々、開放感でよろしくないお遊びをいろいろと覚えてしまった浩司君は小遣いに困り、空き巣の仕業に見せかけて奈々美のヘソクリをネコババしてしまったのである。


 話を聞いた村田刑事は、かなり厳しく説教した。

 昨日の温厚な雰囲気とは大違いである。

 最後は二度とやらないと誓約書を書かせ、浩司君はようやく解放された。


 ひたすら謝罪する奈々美と浩司君を先に行かせ、私は村田刑事にあいさつした。


「お世話になりました。さっきのお説教、すごい迫力でした」

「あはは。こういうのは最初が肝心なんですよ。一回でも成功しちゃうと、どうしてもそっち方向に流れてしまいがちなんだよね。絶対にやったらだめなんだ、と思ってもらわないと」


 村田刑事は、昨日見た温厚なおじさんに戻っていた。


「あの、どうして浩司君だとわかったんですか?」


 私は、昨日からどうしてもわからない謎を思いきってぶつけてみた。


「空き巣っていうのはね、引き出しを下から順番に開けるものなんだ」


 村田刑事は、デスクの上の書類ケースを引き寄せると、一番上の引き出しを開けた。


「二段目を開けて物色するには、どうする?」

「一段目を閉めて、それから、二段目を……あ!」

「そうそう。一回閉めなきゃいけないよね。でも下から順番だと、いちいち閉める手間と時間が短縮できる。プロの空き巣ってのは、そういうもんなんだよ。ダイニングはこうなってたけど、奈々美さんの部屋のタンスは……」

「一番上と一番下しか開いてなかった!」

「うん。しかも、な感じで、意味もなく本を散らかしたりしてる。だから、ダイニングとは別人の、しろうと。で、状況的にやれるのは浩司君だけ」

「そうだったんだ……」

「推理ってほどのものじゃあないけどね。じゃあ、気をつけて」


 村田刑事、実はスゴイ人なんじゃないだろうか。




 奈々美たちと合流しての帰り道。

 お咎めなしと決まったことで、浩司君は元気を取り戻し、冗談を言っている。

 奈々美と浩司君、これからも先が思いやられそうだ。

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空き巣 旗尾 鉄 @hatao_iron

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