第44話 エピローグ

 一人、ただ立ち尽くすアリス。

 目の前には幾本もの槍に貫かれたマリーの死体がある。

 背後、いや周囲には土気色に変わった人の形の泥が散乱している。


 勿論、彼女一人というわけではない。


 泥の向こうに居る人間達は、皆平伏している。


 そういえば、先ほどチラリと見えた教皇の一行は姿を消していたが。


「なーるほど。マリーは悪魔だった。」


 そういう状況なもので、アリスは文字通り驚いて飛び跳ねてしまった。


「ランスロットくん……生きて……たの?」


 すると、彼はバツの悪い顔をしながら、自身の服をひらひらとはためかせた。


「予想とは違ったけど、ある程度は読めていたからね。」


 マリーが使役していた悪魔があっさり消えた理由、それはランスロットが実は生き残っていたからだった。

 でも、彼女は神にも悪魔にも見捨てられたから、文句を言う者は誰もいない。


「ただの破魔の鎧じゃダメそうだったし。これ、海外から伝わった綿花で作られている服。加工がしやすいから、目一杯の護符を仕込んでおいた。……それでも寿命の半分はごっそりもっていかれたけどねぇ」


 銀髪の彼は笑顔で言うが、寿命の半分という言葉にもうすぐ大人扱いとなる少女は悲哀に満ちた顔をした。

 ただ、彼はそれに気付いた様子もなくこう言った。


「言うなれば、プチバロアならぬプチメロウ帝国かな。個々が力を持つ多神教世界で、弱者が立ち上がって唯一神教の世界になる。僕の国もこれからどうなるか分からないし、リスガイアもそれは同じ。ベルトニカは国土復興からだし、雪解けで帝国は北方ががら空きになる。トルリアも後ろ盾を失って、どうなるか分からない。もう、無茶苦茶になっちゃうかもね。」


 楽しそうな、嬉しそうな、寂しそうな彼。アリスはつい寂しくなってきいてしまう。


「ねぇ。私はどうしたらいい?」

「アリスちゃんはいつも通りにしていたらいいよ。なにせ約束した張本人だからって気張る必要はない。勿論、助けを求める人は多いと覆うけど。……うーん。コツは。そうだね、支えてくれる者に土地や財産は持たせないこと。教会ってのは権力が無い方がいいんだ。お金を持っていて、偉そうに高説を垂れるお坊さんと、お金が無くてその辺の木の棒で話をするお坊さん。アリスちゃんはどっちがいい?」


 なかなかに難しい質問。後者は本当に皆から慕われるのだろうか。

 それでも、アリスはちゃんと知っている。


「うん。権力は無い方が良いね。その方が多分、……みんなから尊敬されるし、高貴な気がする‼」


 彼は嬉しそうな顔をして、アリスの横を通り過ぎた。

 そして、彼が向かうのは。


「ランスロット君!」

「分かっているよ。悪魔だもんね。でもね、宗教ってさ。異教の神を悪魔にすることだってよくあることなんだ。」


 彼は槍を丁寧に抜き取って、黒い髪になったマリーを抱え上げた。


「……それに彼女は道を示してくれた気がするんだ。僕の母はミルテ神話っていう妖精の話が好きなんだ。でも、その話をし過ぎると悪魔崇拝って言われる。たかが妖精の話なのに、だよ。……だけど、どうだろ。僕はミルテの魔法具は使えないけど、マリーはあんなに使って見せた。」


 アリスも少し前から気が付いていた。彼のそれは歪んだ愛だけれど、愛には違いない。

 歪んだまま、彼女を愛している。


「グリトン島に連れて帰る……の?」

「流石にケジメはつけないとね。……僕にとってのマリーは君と同じなんだ。もしかしたら、あの時ついていた悪魔は本来僕たちが崇拝していた神様かもしれない。だからケジメをつけさせたら、連れて帰る。……いや、ずっと僕の側に置いておくかな。」


 彼はあぁ、言うが。

 周りの市民はうろんな目つきで彼と彼女を見ている。

 今にも、魔女を引き裂かんばかりの顔で。だから、アリスは彼の後を追った。


 そして、パリーニについた時。


「今回のローヌ川の戦いの首謀者は、マリー・ラングドシャだ。だから、今からベルトニカが開発していたギロチンで、彼女の首を落とすよ。勿論、もう死んでいるけど、これは一応のけじめだ。」


 これは死者への冒涜である。だが、彼女は悪魔崇拝の女。パリーニ中が盛り上がる。

 そして、盛り上がりが最高潮に達した時、彼は断頭台の刃を落とした。

 見事に命中して、ごろりと彼女の首が桶に落ちる。


「あとは好きにしてくれ。僕はあまり知らないけど、三者会って久しく開かれていないんだろ。そこでこの国をどうするか、みんなで決めるんだよ。勿論、聖女様への相談は忘れずに」


 すると、今度はアリスに視線が集まる。

 今は一族郎党逃げ帰ってしまったが、ラングドシャのお陰でどうにかお姫様に見える、そうだろうとは思うがやはり恥ずかしい。

 そんなこんなしていたら、いつの間にかランスロットは消えていた。


 しかも、マリーの首が入った桶と一緒に。

 この瞬間、アリスはもう二度とランスロットに会えないと直感していた。


 そして、その通り。

 彼はグリトン島には戻らずに、自分のルーツがある島へと渡るつもりらしい。


 そういえば、彼はパリーニへの道中でこんなことを言っていた。


「マリーから聞いてると思うけど、王族ってのは過去を遡って、また引っ張り出されるんだ。その国が民主化を果たしたいなら、そうはならないかもだけど。とにかく、先のことは気にしなくていい。そいつらが勝手に歴史のほころびを繋ぎ直してしまうだろうからね。」


 その中で、アリスはアリスらしく、自分の人生を歩むように言われた。

 だから、私は——


     ◇

     ◇

     ◇


 銀髪の青年は大事そうに桶を抱えていた。

 そして、何度も何度も桶の中の彼女に笑顔を向ける。


「どうだい。全てが失敗した感想は……」


 桶の中では苦悶の表情を浮かべた女の頭が転がっている。

 因みに、ランスロットは馬車を用意しており、車内は彼と彼女の生首のみ。

 御者は終始顔を引き攣らせていた。



 そこで。


「……やっぱ、あんたも魔法具持ってきてたんじゃない。ダグザの大釜。忘れられたゴッドアイテムだわ」


 その大釜の中からは途絶えることなく食べ物が溢れてくるという。

 西洋の魔女がぐつぐつ煮込んでいるのは、これがモデルとされる、のだが。


「やってみるもんだね。死んだ豚が生き返るなら、……って、マリーが豚ってわけじゃないからね!」


 そんな冗談を言われても、マリーの顔は青いまま。

 この男だけは。これなら地獄に落ちた方が——


「って、顔してるね。でも、安心して。僕がこれを使えて、君に効果があったってこと。君はエメラスに見捨てられたから分かるだろうっけど、これってつまり。」

「……もしかして、あんた。エメラス教から改宗するつもり?」

「当たり前だよ。僕は国に戻らないし、大海も渡らない。母方の家を辿って、アイルー諸島に渡るつもり。あ、僕はもう。エメラス教じゃなくて、マリー教の信者ね!」

「はぁ?頭だけの私を拝むつもり?ってか、なんで私は声が出せるのよ。おかしくない?っていうか、馬車のサスペンション、安物なんじゃないの?」


 どれだけ文句を言っても、男はニコニコだった。きっとこの大釜から出されたら、マリーは今度こそ行き場を失って消滅するというのに。


 いや、それまでに消滅しなかったのは、この男の信仰があったからだろう、か。


「誰かに見せるつもりなんてないよ。僕は首だけの君を愛し続けるからね。抵抗できないから、これは一方的な愛のカタチだけど。」



 気持ちが悪い。


 だから、マリーは頭だけの状態で心の中で誓う。


「絶対に逃げ出してやる」


 ただ、どうも頭だけだと調子が悪いらしく。


「声に出てるよ。だったら僕も誓う。絶対にその気にさせる。僕はねちっこいから、そこのとこ宜しくね。」



 こんなグロテスクな愛でこの物語を締めようと思う。


 ダグザの大釜の神秘性が高まり、マリーを元通りにするのか、それともこのままで結局マリーが折れるのか。


 それは誰もいない孤島での出来事になるのだろうから、歴史で語られることはないだろう。

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悪役令嬢は圧倒的強者です。それでも私を凋落させたい?だったら、戦争でもしましょうか? 綿木絹 @Lotus_on_Lotus

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