あの曲のメッセージ

きと

あの曲のメッセージ

 10年以上前のある日。有名なミュージシャンが、亡くなった。

 誰もがその死を悲しみ、誰もがその死をなげいた。

 もうあの素晴らしい歌声を聞くことができない。

 もう彼の新たな曲を聞くことができない。

 そう思われていたが、その状況が一変する出来事が起きた。

 彼が生前、作曲をしていた机から、未発表の楽曲の楽譜と音声の入ったCDが見つかったのだ。

 その楽曲は、すぐさまインターネットに載せられて、再生回数は3日足らずで1000万を超えた。

 その楽曲は、愛と感謝の歌だった。

 彼は、自らの死を悟っていたようだった。

 家族や友人たち、そしてファンへの感謝。

 彼は、死してなお、後世に残る楽曲を残したのだ。


「……以上が、おおやけになっている事実です」

 ワンピースを身にまとった女性は、コーヒーを口へと運ぶ。

 場所は、誰もが知っているようなチェーン店のカフェだ。

 周りにも大勢の人が、会話を楽しんだり、仕事をしたりしている。

 だからこそ、目立った真似をしなければ自然に溶け込める。

「それは分かりましたが……、分からないことが増えました」

「何がです?」

「なぜその話を俺にしたか、ということです」

 女性の向かい側に座るスーツに身を包んだ男性は、女性にそう返した。

 話を進めようとした女性の前に、店員がケーキを運んでくる。

 女性は、店員にお礼を言った後に、続きを話し始めた。

「何故か、なんて本当は分かっているんじゃないですか? あのミュージシャン……私の父とあなたは、特に親交が深かったではありませんか」

「確かにそうかもしれませんが、あなたが話そうとしているのは、なんというか、その……もっと踏み込んだ話ではないですか?」

 男性の言葉に、女性は声や態度には出さなかったものの、おどろいたようだった。

流石さすがですね。そう、私が話したかったのは、もうひとつの楽譜のことですよ、明智あけちさん」

 今度は、男性――明智が面を食らう番だった。

「もうひとつ……?」

「はい。父は、感謝の気持ちを伝えたあの曲以外にも、もうひとつ楽譜を残していたのです。といっても、見つけたのはここ最近の話ですが」

「……! それは、こんな所で話している場合ではなく、すぐにでも公に発表するべきでは?」

 明智の言葉に、女性は首を振る。

「いえ、それはできません。恐らくは、父もそれを望んでいないでしょう。それに、その新しい楽譜は、ピアノの曲です。歌詞も何もない、ボーカルいらずの曲ですから」

 ピアノの曲。

 その言葉で、明智は自分が呼ばれた理由を理解した。

「要は、俺にその曲を弾いてほしいというわけですか?」

「ええ。お願いできますか? この国を代表するピアニストで、父の親友といっても過言ではないあなたにしかお願いできないのです、明智さん。あの曲は、あなたのための楽曲でしょうから」


 明智は、女性に案内されて、とあるピアノの前に座っていた。

 明智の親友にして、女性の父であるミュージシャンのピアノだ。

「こちらが、その楽譜です」

 ピアノの前で、緊張していた明智に楽譜が渡される。

 楽譜に目を通し、一息入れて、音楽をかなでだす。

 だが。

「なんというか、父にしては平凡ですね」

 弾き終わった後、女性はポツリとこぼす。だが、明智も同じ感想を持った。

 女性の言う通り、よくあるピアノの曲だ。

 彼らしさが、まるでない。

 首をかしげる明智は、もう一度よく楽譜に目を通してみた。

 だが、特別なものは見つからない。

 いろいろと、弾き方を変えて曲を弾いてみるが、それでも何かあるわけではなかった。

「……明智さん。すみません、私がなにかを勘違いしたようです。この曲は、恐らく書きかけのものだったのでしょう。何か、手を加える途中のものだった、というオチです。ご足労そくろういただいて、本当に――」

 女性が謝罪をする直前。

 明智は、ピアノを強くたたいた。周囲に美しい音色が流れる。

「明智さん……?」

「分かりました。この曲……、俺がアレンジを加えないといけない曲なんです。あいつは、何度もピアノのパートに関して、俺にアドバイスを求めてきた。これも、俺がアレンジすることで完成するんです」

「でも、明智さんがどうアレンジするかも分からないのに……」

「あいつなりの信頼でしょう。それと、ひとつ聞きたいことがあります」

「……な、なんでしょう?」

「この楽譜。どこで見つかりましたか?」


 1週間後。明智は、再びピアノの前にいた。あのミュージシャンのピアノだ。

 少し離れた所には、あのミュージシャンの娘の姿もある。

 明智は、短く息を吐くと、演奏を始める。

 この前とは、違う。

 かつて多くの人を魅了した、あの人らしさがある。

 綺麗きれいな曲だ。

 やがて、ピアノの音が消える。

「明智さん。ありがとうございます。これこそ、父の、いえ、父とあなたの音楽です」

「ありがとうございます」

 これで、曲のメッセージは伝わった。

 お前なら、大丈夫だ。

 もしかしたら勘違いかもしれないが、明智は、そう受け取った。

「それで、明智さん。もうひとつのメッセージは、何か分かりました?」

 もうひとつのメッセージ。

 それは、曲ではなく、楽譜に、正確に言うなら楽譜に書かれている音符に書かれていた。

 このピアノの曲は、本に挟まれていた状態で見つかった。

 楽譜を挟んでいたのは、推理小説だった。

 この推理小説は、明智とあのミュージシャンが、親交を深めるきっかけとなった本だった。

 その小説は、最後に暗号が出る。

 楽譜の音符に意味を持たせる形の暗号が。

 その暗号の解読法をに当てはめることで、はじめて意味を持った文になる。

 ただ音楽を残すだけなのは、あいつらしくない。そう思ったのは確かだが、いくらなんでも遠回りすぎる。第一、本が開かれることなく捨てられていたらどうするつもりだったのか。

 いや、そうはならないと確信していたのだろう。

 とんでもない信頼だな、と明智は、嬉しさもあったが呆れもした。

「もうひとつのメッセージは、あいつの音楽への思いでしたよ。『お前なら分かるだろ?』って感じで書かれてましたよ」

「そうでしたか。それは、きっと私が読んでも、全く分からないかもしれませんね」

「正直、俺にも分からないことが多いですよ。きちんと論理的に語っている個所もあれば、感覚で語っているところも多々あります。あいつは、結構感覚で音楽をやっていることが多かったですから」

「ふふ、父らしいです」

「でも、最後のメッセージは、あなたでも分かるものですよ」

「? なんて書かれているですか?」

「『俺は、音楽を愛している』」


 時刻は、夕方。

 明智は、自分の部屋に帰ってきた。

 カバンを置いて、中からあるものを取り出す。

 それは、先ほど弾いた親友のあのミュージシャンのもうひとつの遺作だ。

「私が持っていても、仕方ありませんから」

 そう言われて、あのミュージシャンの娘から譲り受けたのだ。

 明智は明かさなかったが、もうひとつの遺作の最後のメッセージは、『俺は、音楽を愛している』ではなかった。

「ったく、これは自分の口から言えよな」

 本当の最後のメッセージは。

『楽しかったぜ、相棒』

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あの曲のメッセージ きと @kito72

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