第9話

 2人は213号室を走り回る。入室したときはあれほど広いと感じていたこの部屋はこういう状況だとかなり狭く感じる。


 逃げる私と追う翔子ちゃん。部屋をグルグルと回り続ける。だけど次第に疲れて私の歩みは遅くなって、二人の距離はどんどん近くなっていく。


 さっき少しだけ飲んだビールの酔いが今頃回ってきたのか、頭がクラクラした。ついに歩けなくなって、床にへたり込む。後ろは壁。追い込まれてしまった。


「うふふーおとなしくしてー」


 あ、もうだめだ。このまま翔子ちゃんにセカンドキスを奪われて、それから……それから一体どうなってしまうんだろうか。


「つかまえたー」


 翔子ちゃんが私に抱きついてくる。私は咄嗟に目を瞑る。





 しかし、いくら経っても翔子ちゃんは何もしてこない。


 おかしいと思って目開けてみると翔子ちゃんは私にもたれかかったまま、眠っていた。


「な、なんとか助かった、かな?」


 私は翔子ちゃんをベッドまで運んで寝かせた。


 何事も無かったかのように、すやすやと眠る翔子ちゃんを眺めながら、私はさっきの会話を思い出していた。




 

 

 私たち2人はずっと一緒にいられると勝手に思い込んでた。物心がついてから今まで当たり前のように隣に翔子ちゃんがいたから。


 でも、高校進学で初めて2人が離ればなれになろうとしている。2人とも二高に行けばまた3年間一緒だけど、翔子ちゃんが一高に行けばもう離ればなれ、むしろ翔子ちゃんの学力を考えれば一高に入学するほうが自然だ。


 それなのに、翔子ちゃんは二高に行きたいと言った。お母さんと喧嘩してまで、私と一緒にいたいと思ってくれていた。


 なのに私は何も考えていなかった。そもそも私が二高に落ちてしまっても2人は離ればなれで、翔子ちゃんの決心も無駄になるのに、毎日ろくに勉強もせずに過ごしていた。もう私たちは自動的に一緒にはなれないというのに。


「私ってバカだ」


 バカだ、本当に。


『お互いに友だちでいたいって思ったら友だちでいつまでも友だちでいられるよ、きっと!』


 私はさっきそんなことを言ったけど、本当はそうじゃない。友だちでいたいと思うだけではずっと一緒にはいられない。一緒にいるように努力しなくちゃ。


 翔子ちゃんは努力していた。中学になってから、別の部活動に入ったり別のクラスになったりして2人はでいられる時間は減った。でも翔子ちゃんは一緒に帰れるように私の部活動が終わるまでいつも待っていてくれたし、休日は2人で遊べるように時間を作っていてくれた。


「私は何にも考えていなかった。こんなんじゃだめだ、私だって……」


 そうやって色々考えていたら、いつのまにか眠くなってきて、ベッドにもたれかかったまま私は意識を失った。







 




 





「アスカ起きなさい」


 私は翔子ちゃんの声で目を覚ました。


「……あれ? 翔子ちゃんもう起きたの?」


「たった今起きたばっかり。それにしても何よ、この部屋の散らかりようは」


 周りを見回すと、確かに色々散らかってる。昨日あれだけ翔子ちゃんが走り回ったりしたからだけど。


「ねぇ、昨日のこと覚えてないの?」


「昨日のこと?」


「私がお風呂にはいってる間にビール飲んだんでしょ?」


「え、何で知ってるの? うん、飲んだわ、アスカがお風呂に入ってる間にちょっとだけ飲んでみようと思って。一口飲んですごく苦かったけど、なんだか頭がクラクラして不思議な感じがして……」


 そこで翔子ちゃんは首を傾げて考え込む。


「えーっと、それでなんだか気分が良くなって、そうしてたらアスカがお風呂から出てきて、それから……」


 翔子ちゃんの表情がだんだん青ざめてくる。


「それからどうしたの」


「わ、私あああああああああああああああ」


 翔子ちゃんは顔を手で覆って絶叫した。


「なんてことを! ああああああああああ!」


「あれなんだよね、翔子ちゃんは寂しかったんだよね」


 私はそうちょっとだけからかう。


「言わないで! 忘れて!」


 翔子ちゃんのさっきまで青かった顔が、今度は真っ赤になっている。


「わかったよ! 全部忘れるから!」


「……迷惑かけたわね、本当に」


「そんなことないよ、私と翔子ちゃんの本音が聞けて嬉しかったし」


「全部忘れるって言ったでしょ!」


「いや、そこは覚えててもいいじゃん」


 たまにこういうとこ面倒くさいな、翔子ちゃん。


「……まあ私も本音を言えてよかったと思う。お陰で決心がついたし」


「決心?」


「私第一高校を受験するわ」


「え?」


 第一高校、私の今の志望校とは違う高校。


「翔子ちゃんはそれでいいんだね」


「私だってできればレベルの高い高校に行った方がいいとは思ってたから。アスカとは離ればなれになるけど。でも言ってくれたじゃん『お互いに友だちでいたいって思ったら友だちでいつまでも友だちでいられる』って」


「翔子ちゃん……私はずっと友だちでいたいと思ってるよ」


「私だってそうよ。なら離ればなれになっても寂しくなんてないもの」


「どうせ毎日泊まりに行くし」


「それはお断りよ」


 そう言って2人で笑い合う。多分どこに行ったって2人は友だち、そんな確信が持てた。








「あ、ああああ!」


 突然翔子ちゃんが素っ頓狂な声を上げた。


「ど、どうしたの急に」


「時計見て! 時計!」


 翔子ちゃんに言われてベッドの時計をみると、もう14時になっている。


「え、ヤバ! もうこんな時間なの?」


 やばい、お母さんたちカンカンになってるよ。携帯電話を確認する。


「やばい、すごい量の着信履歴が……」


「お母さんたちのことはどうでもいいのよ!」


「え?」


「延長料金」


 翔子ちゃんはテーブルの上のホテル案内を開いて私に見せてきた。


「え? 『延長料金30分1000円』って一体いくら……」


「今は14時。本来11時チェックアウトだから延長料金だけで6000円……」


「う、嘘……」


 基本の宿泊料金と合わせたら、私たちの手持ちでは絶対足りない。


「だめね。もう終わったわ」


 私たち2人はその場に崩れ落ちる。でもいつまでもそうしているわけにはいかない。こうしている間にも料金は上がり続けているのだから。


「とりあえず、色々片付けてそれからフロントに電話して事情話そう。そうするしかないよ」


「ねぇ、私たち高校生になれるかしら」


「わかんないよ、もう」


 一体私たちはどうなってしまうのだろう。

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