第8話
1分ほど経ったけど、キスはまだ続いていた。
口の中がぬるい、息ができなくて苦しい。私の頭の中に浮かんでくるのはそう言ってどうでもいいことばかりで、
「何で翔子ちゃんにキスをされたのか」
という一番肝心なことについてはなるべく考えないようにしたかった。だってそのことについて考え出したら、混乱して頭がどうかなりそうだもん。
現状をまるで第三者になったように冷静に分析し始めた。体が熱い、というよりも抱きついている翔子ちゃんの体温が高い。
相変わらず塞がったままの口の中は、さっき食べたラーメンの味がする。スタンダードなしょうゆラーメンの味、これが私のファーストキスの味になるわけだと考えると何だかおかしくなった。
味に集中しているとラーメンの味に混じって別の味がする。なんだろう、この苦い味。初めてのようでそうでないような苦い味……これはもしかしてアレでは。
私は翔子ちゃんを引き離して、ベッドへ突き飛ばす。そして言った。
「翔子ちゃん、もしかして酔ってる?」
翔子ちゃんはベッドから起き上がり、笑った。顔を真っ赤にさせて、普段しないような顔で「えへへ」と笑った。そんな翔子ちゃんを見て、私は彼女が酔っ払っていることを確信した。
「よってないよーちょっとのんだだけー」
テーブルの上のビールの缶。さっき私がひと口だけ飲んだ残りだ。確認すると確かに量が減っていている。さっきよりもほんの少しだけ、ひと口かふた口分くらいだけだと思うけど。
どうやら私がお風呂に入っている間に翔子ちゃんはビールを口にしたらしい。私がお酒を飲むことにもあれだけ反対していた彼女も、好奇心には勝てなかったのだろう。
それにしてもたったひと口ビールを飲んだだけで酔い過ぎだ。将来絶対外でお酒飲めないよ、きっと。
「いや、酔ってるでしょ」
「よってらいよー」
私の冷静な指摘に対して、翔子ちゃんはニコニコしながら返す。
「嘘だ! 絶対酔ってるじゃん!」
「べつにいーじゃない、どっちでもー。それよりこっちにきてよーさびしいからー」
完全に酔っぱらっている。幼なじみとはいえ、翔子ちゃんが酔っ払った時の対処法など私は知らない。当たり前だけど。
「あすかー」
考えている暇はない。翔子ちゃんはふらふらになりながらもこっちに向かってくる。
「ちょ! こっち来ないでよ!」
「なんでーどうしてそんなことゆーの?」
「だって今の翔子ちゃん普通じゃないでしょ!」
「そんなことないよーこれがほんとーのわたしだよー」
嘘つけ、というよりもし仮に今の翔子ちゃんが本当の彼女なのだとしたらそれはそれで大問題でしょ。
「とにかく大人しくして!」
「やー」
翔子ちゃんが構わず私に抱きついてくる。
「ちょ、ちょっと離して!」
思わず翔子ちゃんを振り払ったけど、勢い余って彼女は床に倒れてしまった。
「あ……だ、大丈夫?」
しまった。力が強すぎた。
「う、ううう……」
翔子ちゃんはしくしく泣き出した。
「ご、ごめん」
「……もういいわよ」
「え?」
「ど、どうせアスカは私のことなんてどうでもいいんでしょ?」
翔子ちゃんは突然そんなことを言ってきた。さっきまでの子どもみたいでふわふわとした言動とは違っていて、はっきり喋っている。ちょっとだけ酔いが覚めたのかな。でも言っていることの意味がわからない。
「なんでそんなこと言うの! どうでもいいわけないじゃん! 大切な友だちだよ翔子ちゃんは!」
「嘘! だってアスカは私と同じ高校に行けなくても平気なんでしょ?」
「え? 高校?」
「……私さっき二高に行きたい理由が、一高だと勉強大変なのが嫌だからとか言ったけど、本当はそんな理由で二高に行きたいわけじゃないの」
「え、じゃあ……」
「だってアスカ二高に行くって言ってたから」
「え? じゃあ私と同じ高校に行きたかったの?」
「うん」
酔った翔子は驚くほど素直だった。「照れ」がまるでないので、逆にこっちが恥ずかしい。
「でもね、母さんにはばれちゃったの。『あなた、アスカちゃんと一緒の学校に行きたいから、二高に行こうとしてるんじゃないの』って。アスカの母さんからアスカが二高に行こうとしてるってこと聞いたみたいで。私の考え全部お見通しで……」
「翔子ちゃん……」
「それでね、母さん言うの。『友達と同じ学校に行きたいっていう気持ちはわかるけど、大事な進路なんだから自分のことを第一に考えなきゃダメよ。それにいつまでもアスカちゃんと一緒にいられるわけじゃないんだから』って……」
そうか、今日家出してきたのはそのせいだったんだ。私と一緒にいたいから、お母さんと喧嘩してまで。
「それなのにアスカはいつまで経っても真面目に勉強してくれないし、下手したら二高にも落ちるかもしれないのに。アスカは私と一緒の高校じゃなくてもどうでもいいのかなって思って……」
私は何も考えていなかった。私は大馬鹿だ。
「……平気なわけないでしょ。翔子ちゃんと離ればなれになるなんて、絶対寂しい。でも、例え違う高校に通うことになっても、私たちが1番の友だちなのには変わらないよ!」
「嘘だ! 絶対別の高校に行ったら私のことなんて忘れちゃう! どうせ別の友だちと連むようになって私とは遊んでくれなくなっちゃうんだ!」
「じゃあ私毎日遊びに行く!」
「え?」
「違う高校に通うことになったら私毎日翔子ちゃんの家に遊びに行く。いっそ毎日お泊まりしようか? 服もパジャマも置いてあることだしさ。どの高校に通うかなんて関係ないよ! お互いに友だちでいたいって思ったら友だちでいつまでも友だちでいられるよ、きっと!」
私のメチャクチャな提案に、翔子ちゃんは吹き出して笑う。
「いくらなんでも毎日お泊りは迷惑だって」
「あ、そりゃそうだよね。あはは」
「でも……ありがとう」
「翔子ちゃん……」
「でも、せっかくだから……」
また、翔子ちゃんはうつむく。どうしたんだろ?」
「ど、どうしたの?」
「……せっかくだからもういっかいちゅーしよー!」
翔子ちゃんが私に迫ってくる。
「うわ! まだ酔っぱらってる!」
現在午前1時。2人の追いかけっこが始まった。
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