酒を帯びる

ナナシマイ

 物心ついた頃から「モアイ像のような顔だ」と揶揄われてきた僕だった。

 周囲のみんなは剥きたてのゆで卵のようなつるつるした肌を持っていたし、均等にのっぺりしたつらには甘い無表情を乗せておくのが主流なものだから彫りの深い顔立ちの僕に対する当たりは当然のように強く、顔を合わせればつらつら悪口を言われたあげくシャリンジャリンとぶつかられた。

 それでも僕は整形だけはするまいと心を強く保ち、体を張り、耐えてきたのだ。


 やはり風呂に入るときの視線がわかりやすく、不躾なそれが表面の汚れを落とすだけでは足りないと訴えてきたとしても僕は無視を決め込むことにしていた。むしろサウナの中でふやけながらも無言の主張を継続する彼らには感心したほどで、その辺りからなんだかみんなを憎めなくなっていることに気づいた。

 考えてみれば僕らは同じ場所で生きる仲間なのだから、反発し合う理由もないのだ。


 ……が、楽観していられたのはそこまでだった。


 飛んできたのは、ぽわぽわと得体の知れない物体。白っぽいそれは僕たちの中に紛れ込む。紛れては触れて、未知へと引き摺り込んでゆく。

 僕たちの輪郭が薄れてゆく。

 あれほど僕の悪口を言っていたみんなも、羞恥心をかなぐり捨てて蕩けてしまっていた。

 僕だってそうだ。仮面のように分厚くしていた表面がいとも容易く外れてしまう。ああ、いよいよ僕も正気ではいられなくなってしまったのだと哀しくなる。

 哀しいはずなのに悦び浮つく心を自覚する。

 ぽわぽわが増える。境がなくなってゆく。

 どれだけ己に意識を向けていても無駄だった。トランス状態の仲間たちが意味のない声を発していて、正常な判断などできるはずもない。この思考だってつらつらと流れてゆき、僕でない誰かのそれと入り混じる。


 ふと、心地よい歌が聞こえてくる。 

 わずかに掠れたテノールの、腹の奥をなぞるような艶のある声。

 揺らぐ頭にも優しいそれがどうにも擽ったく、ふつり、ふつりと言いようもない感情が湧き上がる。湧き上がったそばから甘い香りに変換されてゆく。

 共鳴して、共感して。これが本当に僕のものなのか、わからない。


 ――ここは、どこだろう。


 ふわふわ夢見心地で足もとが覚束ない。

 きっと今、僕は、僕たちは、最高に美味しい獲物となっている。それでもいいと思えてしまうほどの強い酩酊。自分の輪郭すら見失い、「モアイ像のような顔」を手放してしまう。

 けれども自らの芳醇に酔いしれて永遠にループしてしまう罪深さはなににも代えがたく、また悦びが溢れてくる。


 とろとろに溶けてゆく。

 ああ、やっぱり。

 溶け合って、混ざり合って。あれだけバラバラだった僕らはもう、ひとつになってしまったのだ。そう思うと堪らなく切ない。切なさが押し寄せて僕らを圧迫する。

 キュッと絞られるような息苦しさ。

 ……その答えを僕はもう知っている。抜け殻になった僕らにも、光は当てられる。


「これがカスです」

 ――またここでも悪口か、などとは思わない。

 事実、今の僕はかつて守ってきた「モアイ像のような顔」によりかろうじて米の形を保てているだけの酒粕にすぎないのだから。

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