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 こうなったふたりは何かで雌雄を決するまで落ち着かないこともあるが、毎回そうしなければならないわけでもない。この均衡を崩す存在が登場すれば呆気なくいつもの調子に戻る。そしてその存在というのは大体いつも同じ人物であった。

「……なにを昼間からイチャついてるんだ、お前ら」

 嫌悪感を全く隠さない低い声でふたりを批難する男。表情も同じく嫌悪感を剥き出しにして引き攣らせ、乱暴に後頭部を掻き毟っていた。右目は下ろした前髪で隠れているが、露出している切れ長の左目はいつもよりも鋭さが増して機嫌が悪いのが傍目からもわかる。ふたりの友人・綿奈部綱吉だ。この男は大体いつも何かに巻き込まれている人物で、特に千葉の企みに引き摺り込まれた回数は数え切れない。何につけても綿奈部はタイミングが悪く、本人の意思とは関係なく様々な山場を踏まされてきた。そして現在も、目の前の事象をスルーできない程度にはふたりと親密であったため、彼らの異様な雰囲気に割って入る以外に選択肢はなかった。

 ふたりも綿奈部が店へ入ってきていたのは気づいていたが、所謂『意地』のために睨み合い続けていたのだ。千葉と東雲はお互いに何かと張り合いたくなる性分をしていた。

 自分を批難する言葉を聞いた東雲は握り続けていた手を千葉の方へそっと押し戻すと、視線をゆっくり綿奈部の方へ向ける。そして千葉と鏡合わせになるように頬杖をついて匂い立つような美しい笑顔で返事をした。

「おや、綿奈部くん……嫉妬かい?」

「気色悪い……」

「この時代にホモフォビアは流行らないよ」

 居心地の悪さに内心腹を立てていることが手に取るようにわかる綿奈部の表情に東雲はくすくす笑い声を漏らした。綿奈部が露骨な差別主義者ではないことがわかっている故に揶揄い甲斐がある。

「俺はホモフォビアじゃねえよ。人目を憚らずに白昼堂々イチャついてるのが気持ち悪いって言ってんだ――で、お前らが恋人同士ではないことは知っているつもりだが、どういう質問をすれば納得のいく回答を得られるんだ?」

 綿奈部の周りくどい話し方に千葉をチラリと見ると視線が衝突し、いたずらを企む少年の顔つきで微笑みを返される。考えていたことがおおよそ同じなのか、千葉もほんの少しだけ綿奈部を揶揄ってやろうという気持ちらしい。千葉は左手をずいっと綿奈部の方へ差し出すと口を開く。

「見たまんま質問してみたらええやん。『どうしてお前らはイチャついてたんだ?』って」

 千葉の実に楽しげな口調とは対照的に綿奈部の方はどんどん顔色が悪くなりつつあった。親しい友人グループの中で自分ひとりだけが人間関係の変化に気づいていなかったかもしれない可能性に思い至ると気まずくなるのも道理である。綿奈部綱吉は口が悪くてぶっきらぼうな男だが、傷付きやすくて素直な人間だ。

「…………まさかお前ら、えっ……いつの間にそういう関係に……?」

 想定以上の狼狽ぶりにほんの僅かに東雲の良心が痛み、完璧な笑顔を作っていた眉を困ったように下げた。

「綿奈部くんのご期待に添えず申し訳ないが、僕たちはそういう色っぽい関係ではないよ」

「……人を揶揄ってふざけてんのかお前ら……」

「そういうことだね」

 綿奈部は眉を吊り上げて怒りの表情を見せるも、緊張が解けた全身から安堵を垂れ流していた。本当にわかりやすい男だ。

 こういう悪ふざけも三人にとっては日常の光景であり、綿奈部もこれ以上特に怒りを表現することもなかった。しかし千葉と東雲の距離感が異様に近かったことに関しては綿奈部にとって未だ不可解な事象であることに変わりない。

「で、妙に距離が近かったが、何してたんだ?」

「それがさあ、俺の匂いがいつもと違うって絡んできよんねん」

 千葉が肩を竦めて東雲を見る。その様子を見た綿奈部も不思議そうな表情で両腕を組んでスンスンと鼻を鳴らした。

「匂い? 特に違和感はないが」

「やはり綿奈部くんも気づかないのか……」

「ツナも近寄って匂い嗅いでみる?」

「いいや、遠慮しておく」

 断固拒否というように首を振ると綿奈部は東雲を見て歪な笑顔を浮かべた。

「犬並みの嗅覚が発動したのか、ご自慢の嗅覚がとち狂ったのか。どっちだろうな」

 三人でつるむことは多いものの、綿奈部は東雲との初対面で得た苦手意識が拭えないらしく、東雲に対しては特に棘のある表現でコミュニケーションを図ろうとする節がある。しかし、やはりそれもいつもの光景であり、その言葉の受け手である東雲も、それを聞いているだけの千葉も特別気にすることはない。会話はつつがなく進行していく。

「前者だね……確信を持ったよ。やはりいつもと違う」

「察するに、香水を変えたというわけでもないんだろう」

「せやねん。香水も祥ちゃんに確認してもらったけど……別にいつもと違うことなんかしてへんねんで?」

 これほどまでに思い当たる原因がないのであれば、千葉自身に変化が起こっているということもあり得るが、人間の体臭が可憐な花の香りを放つなどというのは可能性としては非常に低い。

 東雲の不可解な行動の理由がわかった途端に興味を失ったらしい。綿奈部は呆れたように首を左右に振ると千葉の隣の席へ腰を掛け、カウンター奥にいるであろうマスターにホットティーを注文した。

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