第4話

 それから少女は、毎日、異形の紳士を呼び出した。呼び出す場所は決まって少女の家。少しのおしゃべりとお茶を啜るだけ。たった、それだけのことが繰り返される。

 その繰り返しの中で異形の紳士は、少女のことを知っていった。

 少女が母親と二人暮らしで、中学を卒業したら働き出すということ。

 働き出して暫くして、少女の母親が亡くなってしまったこと。

 その時、一生分の涙を流したのではないかというほど、泣いたこと。

 そんな時でも頑なに願いを叶えなかったこと。


 そして、更に時を経て少女から女性となっても彼女の心は変わらない。

 相変わらず願いは叶えないし、古いアパートからも出ないし、最低限の慎ましやかな暮らしの中に身を置くだけ。

 異形の紳士は彼女を見ながらお茶を啜り続け、いつしか願いごとを叶えて貰うことを諦めていた。只々、呼び出されて僅かな時間だけ会話する日々を繰り返していた。

 でも、異形の紳士は悪魔で、彼女は人間。同じ日を繰り返しても、必ず終わりが来る。


 …


 異形の紳士が最後に呼び出されたのは誰も居なくなった病院のベッドの前だった。

 面会時間が終わり、真っ赤な夕日が病室を橙色に染め上げていた。

「ごめんなさいね。こんな失礼な格好で呼び出して」

「いえいえ、気になさらず」

 出会った時と変わらず、異形の紳士は丁寧な口調で言った。

 話を続けようとする元少女は黒髪を白髪に変え、何本もの深い皺を刻んでいた。手足もやせ細り、長い年月を生き抜いた結果を迎えようとしていた。

「そんな状態になっても、まだ叶える願いはありませんか? 若返ることも、永遠に死なないことも出来るのですよ?」

「ええ、そんなことは望まないわ」

 異形の紳士は大きく溜息を吐いた。

「私には分かりません。一体、あなたの人生には何があったのでしょう? 結婚もせず、友達も作らず、何が楽しかったのですか? 幸せな人生だったのですか?」

 悪魔ゆえに遠慮せず、異形の紳士は最期を迎えると分かっていたから彼女に問い掛けた。

 その問い掛けを聞いて小さな笑みを浮かべた彼女は、ゆっくりと口を開く。

「願いは、あといくつ叶えられるのかしら?」

「ご存知でしょう。出会った時から今日まで変わっていません。七十二個ですよ」

「そう……。いつも『叶える願いはないか』としか言わないから、数なんて忘れていたわ」

(そういえば、そういう問答の繰り返しでしたね)

 呆れている異形の紳士に目を向け、彼女は告げる。

「今から七十二個の願いを叶えるわ」

「何ですって?」

 病院のベッドの前の椅子に座っていた異形の紳士が思わず立ち上がった。

「今から? しかも、七十二個ですって?」

「ええ、そうよ。あなたにとっても、その方が、都合がいいでしょう?」

「それはそうですが……一体、七十二個も何を叶えるのですか?」

 彼女は可笑しそうに笑いながら両手を広げて異形の紳士へ向ける。

「一つ目、あなたの手を握らして」

「…………」

 何が何だか分からぬまま異形の紳士が右手を差し出すと、彼女は異形の紳士の大きな手を包み込むように握りしめた。

「二つ目、あなたに幸がありますように」

「え?」

 彼女の願いに異形の紳士は戸惑いを見せた。

「な、何を言っているのですか? 私のことなどに使う願いではないでしょう!」

 そう声を大きくする異形の紳士の声が聞こえていないかのように穏やかで柔らかい声で彼女は続ける。

「三つ目、あなたが退屈しない人生を送れますように」

 その後も、彼女は異形の紳士のための願いを叶え続ける。願うものは即叶うものではないものばかりで、己の欲とはほど遠いものだった。

 異形の紳士の旅の安全、信頼できる友達ができるように、願いを叶える権利の五つは異形の紳士に譲渡など、全てを異形の紳士に使おうとしていた。

「最後……七二個目の願い、あなたが健やかでありますように」

 すべての願いを叶え切って、彼女は大きく息を吐き出した。

「さすがに一気に願いを叶えるとなると、疲れるわね。途中、思いつかなくて、いくつかはあなたに譲渡したから好きに使ってね」

「一体……」

 低く漏れる異形の紳士の言葉に首を傾げ、彼女は異形の紳士を見続けている。

 異形の紳士は遂に我慢できずに大声を出した。

「一体、何をしたかったのですか⁉ 貴女は‼」

 いつも持っているステッキを力いっぱい握りしめ、異形の紳士は肩で息をしていた。

 それを面白そうに見ながら、彼女は答えた。

「他の人の様子を伺ってばかりで、自分に対して向けられる目には鈍感なのね」

「何が言いたいのですか? 私に向けられる目は欲望を叶える便利な道具か、見た目通りに怯えるかのどちらかですよ」

「あら、いつわたしがそんな目であなたを見たの?」

「いつって……」

 思い出されるのは、いつも澄ましてお茶を飲む姿。どんなに年を重ねても変わらなかった、日常。

 それ以外の姿を異形の紳士は思い出せなかった。

「わたしはね……初めて会ったあの日から、あなたのことが好きよ」

「え?」

(……好きだった? 私のことが?)

 長い長い時を生き、いくつもの星と文明を壊してきた悪魔に初めて向けられる感情だった。気づかなくても仕方がないのかもしれない。

 間の抜けた顔で自分を指差しながら異形の紳士は尋ねる。

「私、こんなに目が大きくて、口が裂けてますよ?」

「とっても可愛いわ」

「サイズだって、人よりも一回り大きいですよ?」

「大きな手で器用に湯呑を持つのが、とてもおかしかったわ」

「あなたに願いを叶えさせて、自分の願いを叶えようとしていた姑息な悪魔ですよ」

「ええ、こんな正直な人をわたしは知らないわ」

 ペタンと椅子に腰を落として足を投げ出し、異形の紳士はシルクハットの鍔を引っ張り、顔を伏せる。

「よく分かりませんよ……こんなの。貴女も、私に向けられる感情も」

 疲れ果ててしまった様子の異形の紳士を見て、彼女は小さく笑って言う。

「少し種明かしをしてあげるわね」

 異形の紳士が僅かに顔を上げて彼女を見た。

「毎回、呼び出されるのを不思議に思わなかった? 呼び出されるのに願いがないって?」

「それは、まあ……。しかし、私の能力は漠然としたものも都合よく叶えてしまいますから、貴女の言った通り、都合よくコントロールできるのかと……。正直、自分の願いを叶える能力など、明確に調べたことはないので」

 彼女はクスリと笑った。

「そうだと思ったわ。だから、わたしの嘘に気付かなかったのね」

「……嘘?」

「ええ、呼び出す願いの強さのコントロールなんて要らないの。『願いを叶えたい時にあなたが呼び出される』『願いはあなたに直接言わなければ叶わない』という、この二つを組み合わせて使うの」

「願いを組み合わせる?」

 彼女は頷いた。

「わたしは、あなたのことが好き。これは本当のこと」

「はあ」

「そのわたしが『あなたに会いたい』と思うと、どうなると思う?」

 異形の紳士はステッキを脇に挟み、腕を組んで考え出した。

(ふむ……はてはて、どうなるか? 順を追って考えますか。まず、彼女が『私に会いたい』と思うことで、私が呼び出されますねぇ。次に願いを叶え――ん? これ、思うことと願うことが、イコールになっていませんか⁉)

 異形の紳士は目を見開いて答える。

「貴女が『私に会いたい』と願った時は願いがありますが、呼び出された後には願いが叶い終わってしまっています!」

「正解」

 つまり、こういうことになる。


 彼女:

  『異形の紳士に会いたい』と願う(思う)。


      ↓


 異形の紳士:

  彼女に呼び出される。

  この時、彼女の願いは叶っている。

  しかし、願いは消費されない。何故なら、『願いは異形の紳士に直接言わないといけない』から。


 彼女は微笑み、異形の紳士は顔に右手を当てて笑った。

「やられました……。初めてです。私が裏を掻かれるなど」

 そう宙を仰いだあと、異形の紳士は大きな顔をヌッと彼女に近づけて訊ねる。

「でも、よろしいのですか? 私に願いを叶える機会を与えて? 悪魔の私は、これから世界を滅ぼすかもしれませんよ?」

「だから、死にそうになった時に願いを叶えたのよ。わたしは聖人君主でも世界を守る救世主でもない、欲深いただの人間。大好きなあなたを独り占めしてきただけで、十分」

 異形の紳士の頬に右手を当てて彼女は言い切る。

「好きにしなさい。世界を壊しても、宇宙を吹き飛ばしても、何でもいいわ。こんな面倒くさい女に付き合った代償に、それぐらいしても誰も文句は言わないわよ」

「……いや、貴女は良くても周りの人が許さないでしょう……って! 何で、私が突っ込むのですか⁉」

 異形の紳士の一人ツッコミを見て、彼女は可笑しそうに笑った。

「ありがとう。とっても楽しい人生だったわ。そろそろ死ぬから、もう帰っていいわよ」

「……あの、縁起の悪いことを笑顔で語らないでくれます?」

「次に寝て覚めた時は死んでると思うわ。老人になると、そういう感覚って分かるの。……じゃあね」

 そう言って、彼女は穏やかな寝息を立て始めた。

 異形の紳士は後頭部を掻き、大きな溜め息を吐く。

「私、何をやっているんでしょうねぇ……。好き勝手やって楽しんでいるように思っていましたが、彼女に比べると『ただ無理やりに楽しんでいるのだぞ』と生きてきただけのような気がします」

 大きすぎる力を持ったがゆえに願いを叶える感覚がおかしくなっていたのは、今まで願いを叶えてきた人間ではなく、自分の方かもしれないと異形の紳士は思った。

 ふと、『退屈しない人生を送れるように』という彼女の叶えた願いが頭を過る。

「退屈……退屈だったんでしょうねぇ。そんなところまで見透かされていたとは」

 年老いた彼女の寝顔を見ながら異形の紳士は裂けた口を更に裂いて笑みを浮かべる。

「確かに退屈しませんでしたよ、貴女との時間は。色々と考えさせられましたし、最後の最後で種明かしをされて騙されるのも新鮮でした。願いを組み合わせるというのも、実に独創的でした」

 異形の紳士は立ち上がると、ゆっくりと歩き出す。

「私は、この星を出ます。よい旅路を」

 シルクハットを上げて一礼すると、悪魔はこの星を去った。

 そして、それと同じくして彼女もゆっくりと息を引き取った。

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77の願い 熊雑草 @bear_weeds

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