第3話

 異形の紳士が待った時間は思っていたほど長くなかった。

 時間にして一日。昨日の今頃の呼び出しであった。

 呼び出されたのは小さなアパートの一室の玄関。ひび割れたコンクリートの玄関は極端に狭く、一目で築年数が相当なものであることを分からせた。

 目の前には、少女がいつもの制服とは違う私服で立っていた。

「やっぱり、ここで呼び出して正解ね。部屋の中だと、土足で踏み込まれるから」

 異形の紳士は、それとなく辺りを見回したあと、いつもの台詞を言う。

「何か叶えたい願いがあるのでしょうか?」

「ないわ」

 そして、返ってくる答えも変わらない。

(まあ、分かっていたことです。じっくりと願いを聞き出すと決めていましたからね)

 少女は振り返り、そっと促す。

「靴を脱いで、中へどうぞ」

 異形の紳士を置いてきぼりにして、少女は入ってすぐに突き当りを曲がって異形の紳士の視界から消えてしまった。

 チョコチョコと頬を掻き、異形の紳士は呟く。

「成り行きに従ってみますか」

 普通の人間よりも一回りも大きな黒の革靴を脱ぎ、異形の紳士はきしむ床板を踏みしめて奥へ進んだ。

 進んだ先の部屋は小さなテーブルと座布団が二つ置いてあるだけで小ざっぱりとしており、見回せば部屋のオマケで付いていたような台所で少女がやかんをガス台に掛けていた。

「そのテーブルの前に座っていて」

 背中を向けたまま言われた異形の紳士は言われた通りテーブルの前に置いてある座布団の上で正座をした。

「随分と年季の入った建物ですね?」

「関東大震災があった時ぐらいに建ったらしいわ」

「そんな前に? では、地震などで倒壊してしまうかもしれませんね?」

「そうね」

「あなたが願えば、直ぐ様、このアパートも立派な家になりますよ」

 コンロの火を止め、少女は急須に茶葉を入れてからやかんのお湯を注ぐ。お盆に湯呑を二つ載せ、異形の紳士の対面のテーブルの前の座布団に正座をする。

「お茶ぐらい飲めるでしょう?」

「はい、もちろん」

 急須から日本茶の香りと一緒に深い緑のお茶が湯呑に注がれる。

 味が均等になるように交互に注いだ湯呑の一つを、少女は異形の紳士の前に置いた。

「これは、ご丁寧に」

 そう言って異形の紳士は、大きく裂けた口で器用に啜って見せた。

「おいしいですね」

「よかったわ」

 そう言って、少女もお茶を啜った。

 大きく息を吐き、異形の紳士にいつも見せる表情よりも幾分か穏やかな表情で口を開く。

「別に贅沢がしたくないわけじゃないのよ」

「……ん? 先ほどの私への答えですか?」

「ええ」

 少女は湯呑のお茶に顔を落として続ける。

「自分だけが願いを叶えるという不公平に、きっと耐えられないから叶えないの」

「願いの叶え方次第では平等にすることも可能ですよ。例えば、あなたが叶えた願いの分だけ、誰もが願いを叶えることが出来る、と願えばいいのですから」

「それは無理よ」

「何故?」

「世界中で混乱が生じる。自分一人の我が儘を押し通したと想像するだけで耐えられないのに、世界中で願いが叶いだして大混乱が起きたら、その責任を取る自信はないわ」

「なるほどなるほど」

 異形の紳士は顎の下に右手を当てる。

(自分の欲望よりも、それに対する不公平や障害が発生した時の責任を感じるタイプのようですね。些か普段の傍若無人な振る舞いと差があるようですが、自分のテリトリーである家に居ることで本音を語ってくれているようです)

 異形の紳士はお茶を啜る。

(この家で会話をしていけば願いを叶えてくれそうですね。私はアドバイザーの役に徹し、彼女が叶える願いを無理のない範疇で提案していくのがいいでしょう)

 異形の紳士は避けた口を更に開き、少女に話し掛ける。

「僭越ながら、私も一緒に考えさせてください。当たり障りなく、あなただけが得をして、誰の迷惑にならない願いを」

(あからさまね)

 そう思いながらも、少女は頷く。

「ええ、そうして貰うわ」

 そう言って湯呑の中のお茶を飲み干し、少女は立ち上がる。

「そろそろ夕飯の支度をしないといけない時間なの。あなたも、それを飲んだら帰ってね」

「はい、分かりました。ところで――」

「何?」

「――昨日の数々の呼び出しは何だったのでしょう?」

 少女は宙に視線を漂わせ、暫くすると思い出したように答えた。

「練習と実験よ」

「何です? それは?」

 真っすぐに異形の紳士を指差し、少女は言う。

「あなたを呼び出す練習と願いが叶う強さの実験」

 異形の紳士は眉根を寄せる。

「今一、分からないのですが……」

「わたしの願いは、別にあなたに制約を持たせるためだけではないの」

 少女は変わらぬ視線を向けたまま続ける。

「本当に願いは叶うのか? 漠然とした願いでどれだけ融通が利くのか? 願いを叶えたい時、呼び出されるあなたは、一体、どれぐらいの強さで願えば現れるのか? とかね」

 両手を返して肩を竦め、少女は小さな笑みを浮かべる。

「……まあ、最後のは願いを叶えるというシステムに興味があって、ちょっと調べてみようと思った出来心だけどね。基本的には、あなたに叶えて貰った願いを使って、あなたの能力を探ってみよう……って、ところ」

 異形の紳士は、ハトが豆鉄砲を喰らったような顔で呟くように言う。

「……正直、驚きました。今まで色んな方を見て来ましたが、私の願いを叶える能力を調べようという人は居ませんでした。皆、有効に願いを叶えることにばかり執着していましたから」

 本当に少女らしくクスリと笑うと、少女は玄関へ向けて歩き出した。

「もう、スーパーのタイムセールの時間だから」

 扉の閉まる音と共に残された異形の紳士は、そのまま後ろにゴロンとひっくり返った。

「これは願いを叶えて貰うのは難しそうですね」

 目的はなかなかに叶いそうにない。

 しかし、異形の紳士は可笑しそうに笑っていた。

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