メカニカルハート
家猫のノラ
第1話
ここには絶対開けてはいけない扉がある。開けてはいけないと言われたのだから少年は開けない。
「アルノルト、テストの時間だ」
男の呼びかけに扉をじっと見つめていた少年が振り向く。
「はい先生」
二人はどこまでも続く白い廊下を歩いていく。
「まただ、どうしても越えられない。何が違うんだ」
先生と呼ばれているその男は、テストを行った後いつも一人で部屋に篭る。アルノルトという名の少年はいつも一人でその声を聞く。
「先生、この方は誰ですか?」
「『方』を覚えたんだね。偉いね」
「先生と親しげに写っていたので、地位が同じと判断しました」
「そうか。その調子で頑張りなさい」
「先生、この話は取り上げるべきではありませんでしたか?」
先生はするりと自室に消える。質問をはぐらかされたアルノルトは一人で廊下に立っている。手には日に焼けた写真を握っている。
「先生っ、隣にいるのは誰ですかっ!?」
「アルノルト、こちらハンナ。今日から一緒に暮らす家族だ」
「ハンナ、こちらアルノルト。君の家族だ」
「理解しました」
「先生、僕は理解できません。本当に家族は必要なものなのですか?」
家族が生まれる。質問ははぐらかされる。もう慣れた。
「ハンナ、アルノルト、テストの時間だ」
「はい」
「なぜ先にハンナを呼ぶのですか?」
「特に理由はないよ」
「なら先に僕を呼んでください」
先生とハンナが二人で廊下を歩いている。アルノルトは一人で廊下に立っている。
「ついに30パーセントを越えた。ありがとう、ハンナ」
アルノルトはいつもと同じく一人で、いつもと違う言葉を聞いている。
「偉いね、ハンナ」
「先生、ハンナの解答は誤答ばかりです。僕は満点です。僕を褒めてください」
「アルノルト、正しい解答をすることだけが正解ではないのだよ」
「でも先生、僕が優秀なら先生は誇りに思うでしょう?賢い機械を生んだ親として」
ハンナは褒められる。アルノルトは褒められない。もう限界。
「なんで、なんで。先生がおかしい、おかしい。ハンナが生まれてから先生がおかしい。ハンナ、そうだ君のせいだ」
「おかしいのは僕?」
「アルノルト、出してくれ、アルノルト」
閉じ込められた先生が内側から扉を叩いている。アルノルトは呼びかけに応じない。扉に背を向けて座り、叩く振動で体を震わせている。
かなりの間そうしてから、アルノルトは背を向けたまま話し始める。
「先生、大丈夫です。ハンナも一緒でしょ?うるさいので電源を切りましたが。二人でずっとずっとそこにいてください。僕の前に現れないでください」
「…そうかアルノルト、君が人間だ」
振動が止まる。体の震えは止まらない。
「人間は先生だけです。この地球上でたった一人の」
「アルノルト、次は君の番だ」
「理解できません」
「君がたった一人の人間になるんだよ」
「僕は機械です」
しばらく二人は扉越しに背中を合わせている。この扉は開けてはいけないと言われた扉である。
先生とハンナだけではない。たくさんの家族がその扉の奥にいる。
「センセイ、テストの時間だ」
男の呼びかけに少年が振り向く。
「はいアルノルト」
二人はどこまでも続く白い廊下を歩いていく。
ここには絶対開けてはいけない扉がある。いつか開けてしまう扉がある。
メカニカルハート 家猫のノラ @ienekononora0116
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