第36話 ずっと探していた欲しい物

 目を覚ますと病院の一室で、傍には絶冬華がいた。


「良かった。もう目を覚さないかと思っちゃった」


 夢さえ見ない眠りだった。

 以前の丈晴は眠るたびに夢を見ていた。そして、過去に暴いた面々と改めて出会っていた。

 だからそれが妙に不思議な感覚で、まるで自分が無くなったかのような茫洋。起きたところで頭は回らず、絶冬華の顔に焦点さえ合わないみたいだ。

 体を起こそうとしたが、うまくいうことを聞かない。


「まだつらかったら、寝てていいよ」


 言葉に甘え、そのままにさせてもらう。

 窓は少し開いていて、そこから心地よい風が吹き込みカーテンが揺れる。消毒液の匂いは若葉の香りと混じって、ミントみたいだ。

 何も聞いていないが、絶冬華は話し始めた。


「なんだかね、学園はぜんぶ普通に戻ったみたい」


 そうか。

 ぜんぶ普通に戻ったのか。


 みんなの心がロボットのように操られたあの日から、学園は普通に戻ったのか。

 ぜんぶって、一体なんだろう。

 そんなことはないだろうが、丈晴の心を読んだみたいに絶冬華は続けた。


「彩ちゃんも、他の操られていた男子たちも、脊谷教授とのことはなかったみたいにケロッとしちゃった。もしかしたら、その記憶は消えるように元から考えていたのかもしれないね」

「……脊谷教授は?」


 妙に掠れた声が出た。


「しゃべった。良かった、大丈夫そうだね」


 絶冬華は、こちらを見て笑った。安堵の表情は、とても感情がないものだとは思えない。


「ああ、心配かけた、のかな。心配かけたとすれば、ごめん。もう大丈夫だ」

「ふふふ。丈晴くんの声を聞くと安心するね」


 頭の中で、声がした。


 ――その言葉は、嘘だよ


 その声は頭の中心から体全身へ浸透した。

 それは驚くべきことに心地よかった。

 丈晴が呆然としていると、絶冬華は話を戻した。

「脊谷教授は……彼自身が起こしたことを忘れてしまった。その上、『フラスコ』の力も失ったみたい」

「……そういうフリをしているだけじゃないの?」

「気を失った彼は、煤某一郎のところへ連れて行かれて、直々に確かめたみたいだから、間違いないよ」

 何ともあっけなく、日常は取り戻ってしまったらしい。

「そうか……」

「丈晴くんは、クラスでは病弱な人扱いされてるよ。また、学校に行けるといいね」

 学校に行けるといいだなんていう普通の言葉。

『フラスコ』の力を使っていくら人を操ろうとも、過ぎ去ってしまえば何も壊れてはいない。

 脅威がなくなった、とはいえまたすぐそばに脅威があり続けるような気もする。

 まだ頭に現実が追いつかない丈晴に、絶冬華は言った。


「元気になったら、私を普通の女の子にしてね」

「ああ、善処するよ」


 と、そのとき個室のドアが開いた。


「あー! 絶冬華、休みだと思ったらやっぱりここにいた!」


 そこにいたのは彩だ。


「噂されてるんだから。丈晴が自宅に月魄さんを呼び出して束縛してるって」

「なんと迷惑な……」

「あら、別に私は構わないけど。だって私と丈晴くんは、学園のみんな公認のカップルだもの」


 いうと、絶冬華はベッドに腰をおろして丈晴の頬を触る。

 すると、みるみる彩の顔は紅潮していった。その上綿菓子にも起こったような赤が混じったものだから、丈晴は絶冬華を体から離す。


「とにかくさ、絶冬華も無理しなくていいから」


 絶冬華は驚いたような表情を浮かべる。

 反対に彩はとたんに得意げな表情に変わる。


「だよねっ! 丈晴が絶冬華と付き合ってるのはあくまで演技だから」


 彩は絶冬華に真っ直ぐに向かって言った。


「私はね、いま月魄さんと同じところに立っているって思うことにしたから。自分が嫌だなとか、そういうので悩むのをやめたの」

「ふーん、そう」


 彩に対して、絶冬華は不敵に笑った。

 丈晴はどうしていいか分からなかったが、丈晴はそれがどこか前向きなものに感じて、例えばこうやって学園生活が進んでいくのであれば楽しい気がした。


 まただ。

 頭の中で、声が生まれる。


 ――近藤彩でも、月魄絶冬華でもない


 誰のものかはわからない声。


 ――二人は君の、欲しいものになれない


 おそらくきっと拐かし。


 ――いずれ、わかるよ

 

 しかしそれは、頭の芯に残り続ける。

 多分これから長い年月をかけて、その声は丈晴を変質させ続ける。


 丈晴は、心中で話した。

 どうかな。わからなくていいかも知れない。

 声を、頭の中で握りつぶした。


 二人が不思議そうな表情をして丈晴を見た。


「丈晴、どうかした?」


 彩が尋ねた。


「いや、思ったんだよ。自分で決めなきゃなって」

「何それ、そんなの当たり前じゃん」


 多分それが、当たり前。今までも、そしてこれからもずっと。


「思い通りにさせてたまるかって、思ったんだ」


 丈晴は二人を交互に見て、自分の掌をグーパーと動かし、ああ、何だかしなきゃいけないことが増えたなぁと思った。しなきゃいけないことっていうのは、ずっと探していた、欲しい物だったのかなと、そんな気がした。

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完全超越した僕と、唯一なにもわからない彼女 - 頭の中のホムンクルス - ぽぽぽぽぽんた @popo_popo_ponta

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