第82話 化生

 彼らに課された任務は『それ』と戦うことではない。やむを得ず遭遇してしまった場合は、速やかに遅滞戦闘へと移行。そのまま増援が到着するまで足止めを行う。たったそれだけの簡単な仕事の筈だった。


 見くびっていた訳では無い。数は少ないが、しかし七色の戦闘記録映像は何度も見返した。無論一般には公開されていない機密映像だが、桂華の力を以てすれば手に入れられる。事実、勝てぬまでも時間稼ぎくらいならば、どうにか成し得るだけの備えは出来ていた。七色といっても所詮は人間だと。やりようによっては対抗し得ると。


 だが彼らが見た映像の中には、当然ながら『緋』のものは含まれていなかった。天枷による執拗なまでの隠蔽は、たった一つの記録すら残すことを許さなかった。或いは、そもそも存在しないのかもしれない。そう思わずにはいられない程、『緋』に関する映像記録は出てこなかった。


 彼らが唯一参考に出来た映像記録言えば、先の『対抗戦』での一戦のみ。もはや世界中が幾度も繰り返し見たであろう、学生相手の『お遊戯』映像だ。そんなものに一体何の意味があるというのか。


 対峙して一目で理解した。

 経験則ではなく、ただ本能から理解してしまった。アレは違う。策を弄するだとか、時間を稼ぐだとか。そんなレベルの相手ではない。そう、アレはまるで少女の皮を被った───。


「……化け物」


 男が森の中を必死に駆ける。頬を打つように斬りつける枝木の痛みも、蹴躓きそうになる酷い悪路も、そんなことは最早どうでもよかった。つい先程までバディを組んでいた仲間は、わけもわからない内に消し飛んだ。『アレ』がだと認識した時には、既に独りになっていた。仮にもA級感応する者リアクターだというのに、ほんの僅かにすら抗えなかった。


 どれほど走っただろうか。現在位置も、方角すら定かではない。男は一際大きな木の根元に座り込み、息を潜めるために一度唾液を飲み込んだ。しかし、駄目だった。全力疾走の代償は大きく、息を整えようと試みるもまるで収まらない。恐怖と焦燥に鳴り止まぬこの鼓動さえ、あの化け物に聞かれてしまうのではないか。そう思えてならなかった。そうしていっそこの手で止めてやろうかと、そう考えた時だった。


「休んでいる暇なんてあるのかしら?」


「───ッ!?」


 眼前に一人の少女が立っていた。男の頭で幾つもの疑問が踊りだす。なりふり構わず全力で逃亡した筈なのに、一体いつの間に? 足音も立てず、一体どうやって? そんなぐるぐると駆け回る疑問の数々を、しかし男は刹那の内に端へと追いやる。これまでに培ってきた実戦経験が、既のところで彼を戦士へと引き戻したのだ。


 震える足を一喝し、精一杯の力で以て側方へと距離をとる。そうして着地すると同時、男は感応力リアクトを発動した。


「クソがッ! これでも喰らいやがれェッ!」


 瞬間、男の足元が形を変えた。地面が激しく隆起し、まるで地中から掘り起こされたかのように大岩が姿を現す。形状は鋭く、その様は大きな砲弾のよう。人の頭よりもずっと大きく、強度、質量ともに申し分のない大岩だ。そうして感応力リアクトによって生み出された岩弾が、男の指示によって射出される。


 つい先程、天枷の従者に放った時と同じ攻撃だ。夜の森を高速で飛翔する尖った大岩など、通常ではおよそあり得ない光景だ。だが、感応力リアクトによる攻撃は平気で常識を捻じ曲げる。而して、大岩は木々を切り裂き敵へと向かう。何体もの境界鬼テルミナリアを討伐してきた、男が最も得意としている攻撃だった。


 感応力リアクトの影響下にあるとは謂え、その正体はごく単純な物理攻撃だ。単純であるがゆえに、対処が意外と難しい。直撃すれば人間などひとたまりもないであろう質量。闇の中では視認することすら困難な速度。殺傷力を高めた形状。おまけに相手を追尾する特性まで備えているのだから、あの七色が相手でも通用するのでは。そう考えての一手であった。


 そんな最善だった筈の攻撃は、しかしまるでゴミでも払うかのような動きで阻まれた。むしろ『吹き飛ばされた』と言ったほうが近いかもしれない。男には何が起こったのかまるで分からなかったが、とにかく攻撃は通用しなかった。ただ砂と小石がパラパラと落ちるだけで、彼の放った攻撃はいつの間にか消滅していた。


「は……?」


「……はぁ。いいかしら? 私は壊すのが好きなだけで、別に戦闘狂というわけではないの」


「な……何を……?」


「けれど、弱いものいじめが好きというわけでもないわ」


 真っ白に染まった頭で必死に考えを巡らせるも、しかし男には、この少女が何を言っているのか理解が出来なかった。否、恐らくは世界中の誰にも理解は出来ないだろう。まだ壊したことのないモノを壊したいという、ひどく歪で捻じ曲がった少女の願いなど。


 僅かなりとも戦意を見せた先程とは違い、既に男は呆然と立ち尽くす事しか出来なくなっていた。それを認めた少女は小さく溜め息を吐き出し、そっと踵を踏み鳴らした。


 瞬間、闇に沈んだ森の中に、酷く耳障りな音が鳴り響く。それはまるで空間が、世界が、軋み、歪み、悲鳴を上げているかのようで。その直後、大地が爆発音と共に爆ぜた。大木も、大岩も、土も、草も、そこにある何もかもを巻き込んで。当然ながら、そこには桂華家の男も含まれていた。


 大きな窪みが出来ていた。山の広さを考えれば、吹き飛ばされたのはごくごく一部。しかしその範囲内は僅か数秒のうちに、見るも無惨なありさまへと変貌していた。上空高くまで舞い上がった様々なものの破片を眺めつつ、まるで期待外れだとでも言いたげな顔で佇む少女。先程までは木々に遮られ届かなかった月明かりが、彼女を柔らかく照らしていた。


「この調子じゃ、この先もあまり期待は出来ないかしら……獅子は兎を狩るにも全力、なんて言葉もあるけれど───はぁ」


そうして再び、ゆっくりと歩き出す。

今はまだ遥か先、桂華家の本邸を目指して。


「蟻を踏み潰す時は、一体どんな感じなのかしら?」

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