第81話 闇中

 未だ小競り合いの続く山の中、天枷家の従者が部隊員を背負って走っていた。背負っている男は腕から大量の血を流し、背負われている女は足がおかしな方向に曲がっている。両者ともに戦闘継続が困難な状態だ。


「ちッ……あいつら、急に勢いづきやがって!」


 従者の男は悪態を吐きながらも、急ぎ斜面を下ってゆく。お互い命に関わるほどの大怪我というわけではないが、しかし放置しておけば流石にマズい。

 これまでこなしてきた任務であれば、医療系能力者が部隊に一人は配属されていた。しかし今は天枷家にとって有事であり、大家と謂えどもそのような配置は望めない。元より医療系能力は数が少ないということも手伝って、怪我の治療を行うためには一度本陣まで退却する必要があった。


 だが如何に天枷の、それも鍛え抜かれた感応する者リアクターである彼と謂えども、負傷した状態かつ大人一人を背負っている状態では、なかなか思うように進めない。一般人とは比にならないその身体能力を以てしても、山中という地形の移動は難しい。


「最悪、私は置いていって」


「うるせぇ」


「明らかに敵の動きが変わった。このままでは追いつかれるわ」


「黙ってろ、舌噛むぞ」


 この二人は天枷家に於いて、従者としての序列が比較的近かった。それはつまり、感応する者リアクターとしての実力も似通っているということ。そういった理由から、二人は普段からバディを組むことが多かった。故に互いの実力も、能力も、考え方も、その殆どを知り尽くしている。そんな相棒とも呼べる相手を、こんな敵地のど真ん中、それも夜間の山中に置いていくなど出来るはずがない。


 天枷家の従者は暗殺任務に就くこともある。そういった任務を得意とする従者も存在する。だがそれはあくまで任務の内のひとつというだけの話であり、それらを専門とした非道な暗殺集団ではないのだ。私有の特殊部隊、或いは軍と呼ぶのが最も近いだろうか。当然ながら従者間には信頼関係が存在するし、余程絶望的な状況で無ければ仲間を切り捨てたりはしない。


 そんな情の尻尾が、二人の首を刻一刻と締め続けていた。


「どうせまた様子見だろうと高を括った私のミスよ。ここで二人とも離脱すれば、神楽様の指揮に支障が出るかも知れない。置いていくべきだわ」


「見捨てた方が余程怒られると思うがな……それより今どのへんだ? 適当に走り回った所為で方角が分からん」


「……夜の山中だもの。一度方角を見失ったらもう分からないわ」


 森の中をアテもなく動き回る事の危険性は、敢えて説明する必要もないだろう。もちろん彼らとて、そんな事など百も承知だ。だがそれでも、敵の追撃を振り切るにはそうするしかなかった。そして結局方角を見失い、しかも敵の追撃すら振り切れていないという、なんともお粗末な状態であった。


「俺達の後ろには天羽さん達の隊が配置されていた筈だ。斜面を下っていけばそのうち───」


「危ないッ!」


 男が言葉を言い終えるその前に。背負われていた女従者が警告と共に、男を思い切り押し倒す。突如として全体重をかけられた男は半ば転倒するかのような体勢で、そのまま斜面を滑るようにして身を隠した。互いの信頼関係が築かれていなければ到底出来ない、瞬時の判断だったといえるだろう。そんな二人の頭上を、人間の頭部ほどもあろうかという大岩が凄まじい勢いで通過してゆく。木々を圧し折り、けたたましい音と共に。


「っ……助かった!」


「まだ助かってない!」


 当たり前だが、そこらの岩がひとりでに宙を舞うことなどありえない。つまりそれは、敵の感応力リアクトによる攻撃だということ。


「クソッ、しつこい!」


「相手も二人。なんとかなる?」


「馬鹿言え。そこまでヌルい相手なら、そもそもこんな状況になってねぇよ」


「確かに」


 絶体絶命の状況だというのに、どこか楽しそうに軽口を叩く二人。正直に言えば、二人はこの時点で殆ど諦めていた。ともに満身創痍の今、戦ってどうにかなる状況ではない。今の彼らに出来ることなど、息を潜めてやり過ごすくらいであった。


「……でも、だからといってタダでやられるのは天枷従者の名折れよね」


「だな。どうせ死ぬなら、少しでも痛い目見せてやるか」


 互いに顔を見合わせ、天枷の為に殉じる覚悟を決めた二人。だが待てど暮らせど、追手が二人の方へ近づいてくることはなかった。


「……なんだ? どうなった?」


「───嘘、どうして……」


 斜面の下側に位置する男からは視界が通らず、上の方がよく見えない。代わりに相棒へと状況を問えば、しかしどうにも要領を得ない答えが返ってくる。見れば女は目を見開き、驚愕と安堵が綯い交ぜになったような複雑な表情で、ある一点をじっと見つめていた。女が見つめていたのは追手が迫ってきている山の方ではなく、斜面の下側であった。つまりは自分達の後方だ。


 釣られるように男も背後を振り向けば、そこには───。


「あら……貴方達、天枷の従者ね? お勤めご苦労さま」


 闇夜に溶ける漆黒の髪。身に纏うは学園の制服。右手には長大で異様な一振りの刀。眼の前に広がる光景になど、まるで興味がなさそうな声色。追手の感応する者リアクター二人と対峙してなお、整った顔は不敵に微笑む。そこには確かに、ある種の狂気を湛えて。


 天枷家に仕える者で、その顔を知らぬものなど一人も居ない。

 昏い闇の中から現れたそれは、世界にたった七つしかない色。中でも一等理不尽な歩く災害。瞳に宿るは怪しい緋。


「そっちは桂華家の感応する者リアクターかしら? 初めまして、ごきげんよう。そして───」


 不敵な笑みを絶やさず、まるで挨拶でも交わすかのような気軽さで。


「さようなら」


『災禍の緋』が、戦場に降り立った。

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