第83話 地図
「……どうしたものかしら」
敵方の
祓はちゃんと本営に着けただろうか。あちらには
ふと、自分が『らしくない』考えをしていたことに気づく。
妹の心配をするなんて、自分はそれほど常識的な人間だっただろうか。天枷家の未来がどうだのと考えるなんて、それこそ初めての経験だ。どうやら私自身、いつもとは違った心持ちでいるらしい。
「はぁ……ペースが狂うわね」
先程敵を吹き飛ばしたおかげで、私の周囲にはぽっかりとしたスペースが生まれている。邪魔な木々が無くなったことで、桂華本邸の屋根が遥か遠くに確認出来る。視界の悪い夜の闇の中、やたらと輝く篝火が目印だ。最終目的地が既に見えているのだから、とりあえずそちらに向かって進めば間違いは無いだろう。間違いはないのだけれど───。
小さく、微かに見える篝火の灯りは本当に遠い。どうやら車から降りるのが早過ぎたようだ。勢い余って飛び出した私の自業自得なのだけれど。そうして渋々歩き出そうとしたところで、背後から声がかかった。
「あ、あの───」
「あぁ……そういえば、貴方達の事を忘れていたわね」
恐る恐る、といった様子で話しかけてきたのは、先程襲撃に遭っていた二人組の天枷家従者だった。どちらも傷を負っているけれど、みたところすぐに命の危険があるわけじゃない。男の方は右腕の裂傷と骨折。女の方は左足の骨折。身体能力や治癒力に優れる
「何かしら?」
「その、これを……」
肩を借りた状態の女従者が、そう言って私に差し出したもの。それは耳に装着するタイプの小型通信機だった。私は特に何も要求していない。この二人も、細かい事情を聞いてくるわけではない。ただ黙って通信機を差し出したあたり、どうやらこの二人の従者は、私への解像度が高い部類らしい。
基本的には家中の人間から忌避されてきた私だけれど、何も全員というわけではない。社ほど親密な者は他にいないけれど、挨拶をしてくる程度には私に敬意を払う者もいた。それこそ
受け取ったイヤホン型の通信機を耳に着け、側面を何度か指で叩く。すると目の前に小さなホログラムが浮かび、周辺の地図が表示される。現在位置と方角、そして味方が身に着けている通信機の位置。これで必要な情報は大凡手に入ったかしら。惜しむらくは、獲物の場所が分からないことだけが不満だけれど────そう思っていたところで、男の方が補足情報を寄越してくれた。
「このまま北───あちらの方角にまっすぐすすめば、最短距離で桂華本邸まで行けます。そしてその分、敵の数も多いです。恐れながら、禊様ならばそちらのほうが好みかと」
「あら、気が利くじゃない」
中々に優秀な従者だ。少なくとも、私の好みを理解している時点で評価に値する。とはいえ、所詮は名前も知らない二人なのだけれど。
「それじゃ、私は行くわ」
「はい、どうかご武運を」
戦いに赴く前、社以外の人間に見送られることなど一体いつぶりの事だろうか。負傷した身体で、精一杯姿勢を正しての一礼をする二人。軍隊でもあるまいし、別にそんな必要なんてないのに。もちろん私は、血気盛んな物語の主人公なんかじゃない。見送られたからどうとか、負けられない戦いがどうとか、使命感だとか、他人からの期待とか、世界の平和だとか。そんな下らないモノは毛ほども持ち合わせていない。やる気が出るだとか、気分が高揚するだとか、そんな事は微塵もない。ましてや、見知らぬ従者に武運を祈られたところで。
私がここに来たのは、別に家の為なんかじゃない。当然、そこの従者を救ける為でもない。ただ私が私であるために、私がしたいことをするためにやって来た。両親の手を煩わせる心配だってない。だってそうでしょう。ここにはこんなにも、壊してもいいもので溢れているのだから。幼かったいつかに壊した、元従者のように。
二人に返事はしなかった。
私の気分を高揚させてくれるのは、いつだって『敵』だけだ。
* * *
禊が立ち去ってから、たっぷり1分ほども後。
二人の従者はまるで息を吸うのも忘れたかのように、暫く直立し続けていた。自分たちが大怪我をしていることなど、すっかり思考の外であった。
「……ぷはっ」
「き、緊張した……」
禊が視界から消えても尚、こうして身動きが出来ないほどに緊張していた二人。それもその筈、彼らは従者部隊の中でもそれほど序列が高いわけではないのだ。天枷本家の人間と直接会話が出来る者など、従者のでもほんの一握り。それこそ、序列一桁クラスでなければ叶わない。そうでなくとも、禊と好んで会話をしたいと思う者など極稀だ。それほどまでに天枷家内での禊は恐れられているし、忌避されている。
「アンタ、よく噛まずにあんな長台詞が言えたわね……過去一尊敬したかも」
「悪いが、自分が何を喋ったか全く覚えてねぇ。俺なんか変なこと言ってなかったか……?」
「多分……というか、少しだけ禊様の機嫌が良くなったように見えたわ」
女従者の目には確かに、途中から禊の機嫌が良くなったように見えた。普段からムスっとしていることの多い禊だ。それと比べれば表情の差は歴然。ほとんど遠目からしか禊の事を見たことがない女従者でも、簡単に分かってしまうほどだった。
「マジでか……もしかすると顔、覚えてもらえたか?」
「いえ、びっくりするくらい興味なさそうだったわよ」
「……だよなぁ」
残念そうに、わかりやすく肩を落として見せる男。なにということはない。この二人は天枷従者部隊の中でも数少ない────奇特ともいうが────禊フォロワーだったというだけの話である。実はしっかりとファンクラブにも入っている立派な『難民』なのだが、禊がそれを知ることは恐らくこの先もないだろう。
そうでなくとも天枷家が内部分裂をしている今、主に禊を忌避していた者達は大半が先代側に付いているのだ。故に現在天枷に残っている者達には、禊に対してフラットか、或いは『怖い相手だと聞いているから、自分も怖い』といった微妙な感覚の者が多い。自らの意思で悪感情を抱いているわけではなく、他人の評価にただ流されているだけの者達。そんな彼らの前で活躍すれば、一体どうなるのか。
自らの欲求にだけ従う禊には、想像も出来ない話であった。
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