第72話 言葉足らず

 私はこれまでと同様、授業へは顔を出したり出さなかったりしていた。教室へ入る度に好奇と畏怖、憧れや尊敬、純白曰くのそんな感情をたっぷりと向けられるのだから、その居づらさと言えばそれはもう中々の物だった。もういっそのこと、正面から話しかけて来られたほうが幾分マシな気すらし始めている。


 これまでは私のことなんて、教室に居たところで誰も気にしていなかった筈なのに。毎回同じ席に座る上に不思議とその席だけ空いているものだから、多少は気になっていた生徒もいるかもしれないけれど。


 そんな居心地の悪い学園生活を送ること数日。今日は土曜日ということもあって学園は休校である。私はいつものように、朝から天枷家の別邸にて日課の鍛錬を行っていた。別に一日二日やらなかったところでどうということはないのだけれど、これはもはや私にとってのルーティーンだ。


 私は常々、感応力リアクトに頼ること無くとも戦えるよう己を磨いている。技術面で言えば今更何か新しい発見があるわけじゃないけれど、それでもやって無駄な事は何もない。感応力リアクトを使えない状況なんていくらでもあるし、何より『感応力リアクトがないと戦えません』なんて、恥ずかしすぎてとても口には出せないと思っている。

 これは私にとって、一応の教え子でもある純白や純麗にも伝えていることだ。感応力リアクトに頼り切りで、それがなければ何も出来ないなどとはあの二人にも絶対に言わせない。純麗はともかく、純白に関してはきっと白雪家のほうから似たようなことを言われているだろうけれど。


 そうして身体を動かすこと暫く、日課を終えた私はそのままシャワーへと向かう。本当は湯船に浸かってゆっくりとしたいところだけれど、それは朝起きた時に既にやっている。比較的入浴が好きな私だけれど、流石に二度続けてはやりすぎだろう。さっと汗を流すに留めて食堂へ向かう。


 そんな風呂上がりの私を食堂で待っていたのは、なにやら良いことでもあったのか、ニコニコと上機嫌な様子の私の父、天枷凪だった。これから朝食を作ろうと思っていただけに、出鼻をくじかれたようで非常に面倒くさい。


「やっほー禊ちゃーん。元気してるぅ?」


 否、この人がヘラヘラしているのはいつものことか。とても天枷家の当主とは思えないその軽薄な態度。我が父ながらもう少ししゃんとして欲しいとは思うのだけれど、実際にこれで優秀なのだから手に負えない。私はそんな姿を見たことが無いけれど、仕事中にはちゃんと威厳があるのだとか。とはいえ社がそう言っていただけだし、話の信憑性は怪しいところだけれど。


 それはともかくとして、一体何故この人はここにいるのだろうか。ここは家中から忌み嫌われている天枷の鬼の住処である別邸。比較的顔を出す頻度の高い父だけれど、それでも週に多くて一度か二度といった程度のものだ。天枷の当主が何処に居たって別に問題はないのだけれど、用もなく訪ねてくるとは思えなかった。


「……何の用でしょうか」


「うわっ、すっごい面倒臭そうな顔してる!酷いなぁ、僕だって傷つくこともあるんだよ?父親が娘の顔を見に来るのに理由が要るっていうのかい!?」


「ええ」


「でしょ?僕はただ禊ちゃんの顔が───え、要るの!?」


 芝居がかった口調と表情で驚いて見せるお父様。どうでもいいからさっさと用件を言って欲しい。一般的な家庭ではどうだか知らないけれど、こと天枷家に於いて、この別邸に来る者は皆須く私に用件がある者だ。


 それはお父様だって例外ではない。週に数度、この別邸に顔を出しては先程のように『顔を見に来た』だなんて言うけれど、毎回必ず何かしらの用件を伝えて去ってゆく。それが元々の用件なのか、それとも私の顔を見て思い出したものなのかは分からないけれど。その重要性はさておき、少なくとも何かしらの連絡事項は常に持っているのだ。


「本当に何の用もないとすれば、お母様に『サボっている』と報告しなければなりませんが」


「わあぁぁぁぁあ!!」


 朝から喧しい人だ。

 こうなってくると、本当に真面目に仕事をしているのかやはり疑問が残る。お父様には申し訳ないけれど、もういっそ無視してしまおうか。そんな風に考えた時だった。


「禊さん、そのくらいにしてあげて頂戴」


 食堂の入り口から声が聞こえた。最後にその声を聞いたのは対抗戦の時だっただろうか。聞き慣れているというほどではない、けれど比較的親しみのある声だった。それは殆ど異常事態だった。私がこの別邸に移ってから二人が揃って私に会いに来ることなんて、ほんの数回しかなかった筈だ。それこそ、片手の指で数えられる程度には。


「……一体どういうことでしょうか、これは」


「あら、おかしなことを言うのね。母が娘に会いに来るのに理由がいるのかしら?」


「……それはもう聞きました」


「あら?」


 声の主は私の母、天枷神楽のものだった。

 お母様がこの別邸に直接来ることは酷く珍しいことだ。天枷家の実務を担当しているお母様は、そもそも家を空けていることが多い。何か用件があり、仮に顔を合わせるとしても、呼び出しを受けた私が本邸に赴く場合が殆どで。そんなお母様が直接、かつお父様と共に来るなんて、これはどう考えたって何かある。私の中で、言いようのない不安が渦巻いてゆく。ああ、そうだ。どう考えたってこれは面倒事だ。


「はぁ……少し時間を下さい。着替えて来ます」


 こうなっては逃げることなど出来はしない。普段から好き勝手に振る舞っている私だけれど、この二人が嫌いな訳では無いのだ。むしろ、自由にさせてもらっている負い目さえある。一般的な家族とはかけ離れた関係だと理解っているけれど、それでもやはり、私にとっては家族なのだ。


「そう、なら朝食の準備はしておいてあげる。ゆっくり着替えてもらって構わないわ」


 そんなお母様の言葉に、私は顔が引き攣ったことを自覚した。天枷家では、食事を用意するのは基本的に専属の料理人だ。私も本邸で過ごしていた頃はそれを口にしていたし、当然ながら味は申し分ない。それが何を意味するかと言えば、つまり───


「……まさかとは思いますが、お母様が作るおつもりですか?」


「あらあら?うふふ、もしかして不満だったかしら?」


「はい。食材に失礼ですので」


 そう、お母様は料理が出来ないのだ。出来ない、というと少し語弊があるかも知れないが、とにかくまともな料理が出てくることはまず無い。分かりやすい言い方をするのなら『メシマズ』というやつだ。まぁ、本来の意味とは違う使い方なのだけれど。


「ひどぉい!……まぁ冗談なのだけれど。私も自分の腕は理解っているもの。ちゃんと別に用意してあるから安心して頂戴」


 お母様のその言葉を聞いて、私は本当に安心した。恐らくは今ここに居ない社か、或いは久奈妓くなぎあたりが来ているのだろう。そんな風に考えていたところで、厨房からひょっこりと顔出した社と目が合った。直後、彼女は何者かの手によって厨房へと引き戻されていった。どうやら私の予想はどちらも当たっていたらしい。あの二人はそれほど仲が良かっただろうか。同じ天枷の従者と言うこと以外に接点は無いはずなのだけど。


 ともあれ、着替えを済ませた私は食堂へと戻り、その後はお父様とお母様の二人と共に朝食を摂った。思えば、こうして同じ食卓を囲むのは一体何時ぶりだろうか。遡ってみても、既に私の記憶の中の浅いところには存在しない。私が感応力リアクトに目覚めた頃、つまりは祖父母との関係が悪化して、私が別邸に移動してから初めてなのではないだろうか。だからといって、別にどうということもないのだけれど。


 そうして食後のお茶を飲んでいるところで、漸くお父様が今回の訪問、その理由を話し始めた。ただ用件を伝えるだけだというのに、酷く時間がかかったものである。


「さて、久しぶりの親子水入らずも楽しんだところで、そろそろ本題に入るよ。禊ちゃんは回りくどい話が嫌いだろうから、単刀直入に言うよ」


 もう既に随分と回りくどいと思うのだけれど、それを口に出せば更に時間がかかるので黙っておくことにした。それに、単刀直入に言ってもらえるのは確かに有り難いのだけれど、この二人がわざわざ直接やってきた時点で既に面倒事なのは確定している。本音を言えば話の内容がどうであろうと、そもそも聞きたいとすら思っていない。


「天枷の先代───つまり僕の両親だね。排除することにしたから、力を貸して欲しい」


 はて、聞き間違いだろうか。今、何かとんでもないことを言っていた気がするのだけれど。普段は家のことなど興味がない私だけれど、これには流石に動揺してしまった。


「……は?」


 そんな私の感情はそのまま口から出てしまった。

 お父様がまるで悪戯でも成功させたかのように、なにやら楽しそうな顔で私を見つめている。どうやら聞き間違いではないらしい。言葉の意味が分からず訝しんでいた私を見て、お母様もまたどこか嬉しそうな顔をしている。


「もう凪さん、それじゃ言葉が足りないわ。禊さんが変な顔しちゃってるじゃない」


「あれ、そうかい?」


「私がちゃんと説明してあげるわね」


「……お願いします」


 今は天枷家所有の遠く離れた地に居る先代達だが、その影響力は今でも大きいと聞いている。天枷家の方針についても度々口を出してくるようで、お父様が愚痴を言っている姿も何度か見ている。摂政でも気取っているのか、既にお父様に当主を譲って引退したのだから、黙って見守っていればいいと思うのだけれど。


 成程。先程のお父様の台詞は、どうやら言葉足らずであったらしい。冷静に考えれば当たり前のことだ。危うく言葉をそのまま受け取ってしまうところであった。


「もうホント、目に余るくらいに邪魔なのよ。だから排除しちゃおうと思って。それで禊さんにも力を貸してほしいのよ」


 そういってにっこりと微笑むお母様。

 先のお父様の言葉も、どうやら聞き間違いではなかったようだ。それに言葉足らずでもなかった。なにせお母様は、お父様と全く同じ事を言っているのだから。

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