第71話 憂鬱
「お帰りなさいませ、禊様」
「ええ……なんだか随分疲れたわ」
「おや。私の予想ではそれほど騒ぎになることはない筈だったのですが」
「……ある意味、騒がれるよりも余程面倒だったわ」
全ての授業を終えて車へと戻った私を待っていたのは、意外そうな顔をした社だった。私が学園で授業を受けている間、どうやら彼女はずっと作業を続けていたらしい。一体何の作業なのかは知らないけれど、どうせ碌なものではないだろう。聞いたところで疲れるだけなのは目に見えているし、止めろといったところでどうせ聞きはしない。
ため息を一つ吐き出し、車の後部座席へと背中を預ける。
けれど中々動き出さない車に違和感を感じて横目で運転席のほうを見てみれば、そこには学園での出来事を聞きたくて堪らないといった表情の社が、座席の間から顔を出していた。
「……」
無言で社の頭へと手刀をお見舞いすれば、素早い動きで回避されてしまう。いっそ車ごと破壊してしまえばよかっただろうか。
「はぁ……いいから出しなさい」
「ふふ、畏まりました」
これ以上弄れば私が本気で怒ると思ったのだろう。運転席へと引っ込んだ社は大人しく車を発進させる。そうして漸く動き出した車の中で、私は今日の出来事を反芻する。何か思う所があるといった訳では無いけれど、予想が外れたのもまた確かだったから。
* * *
結果から言えば、危惧していたような騒ぎになることはなかった。どうやら二限は実技だったようで、私が食堂で時間を潰した後に時間を見計らいこっそりと教室に入った時、クラスの生徒は誰一人教室に残っていなかった。そうして独り、いつも通りの最後列の席で読書をすること十数分。授業から戻ってきた純麗と純白が私に気づくのは早かった。
当然のことだけれど、授業から戻ってきたのはこの二人だけじゃない。単に純白達が先頭だったというだけで、彼女達の後からは続々とクラスメイト達が教室内へとやってくる。何度か会話───会話とも呼べないようなやりとりだけれど───したことのある生徒もいれば、一切言葉を交わしたことのない生徒も居る。
純白と純麗はすっかりクラスに馴染んでいて、友人も随分増えたようで。けれど授業はおろか学園に足を運ぶことすら稀な私からすれば、名前どころか顔すら分からない、そもそも同じクラスだということすら知らない生徒が殆どだ。というよりも、純麗と純白以外となると私は一ノ瀬さんくらいしか知らないのだけれど。
そしてそれは彼等からしても同じことだった。
対抗戦の一件もあって、彼等は当然私の事を知っているだろう。けれど関わりは極端に薄く、私と彼等クラスメイトの間にある関係性なんて本当にただのクラスメイトというだけでしかない。いつの間にか教室に居たり居なかったりする怪しい人物。『七色』という肩書を除けば、彼等から見た私なんてそんな程度の認識だった筈だ。そんな殆ど初対面と変わらない相手である私に対して、気安く声をかけられるような者は一人も居なかった。
別に人見知りが激しいという訳ではない私だけれど、だからといって見ず知らずの人間と積極的に話すような性格でもない。普段から教室の隅で静かにしていたことが功を奏したのかも知れない。そんな私の性格と、不本意ながらも広まってしまった『七色』としての認知度が合わさって、どうやら私は『謎の人物』から『酷く扱いづらい級友』へと昇格していたらしい。有り体に言えば『浮いている』ということだ。
けれどそれは私にとってはとても都合が良かった。彼等が私を恐れているのか、それとも腫れ物のように扱っているのかは理解らないけれど、少なくとも当初恐れていたように騒ぎ立てられるようなことにならなかったのだから。今まではおおっぴらにすることのなかった私の素性だけれど、それが割れた今となっては面倒な質問攻めにあうのではないか、などと思っていた。
自意識過剰じゃないか、なんて思ったりもしたけれど、エリカやソフィアの様子を見ているととても楽観は出来なかった。対抗戦でのあの二人の騒がれ様を見れば、如何に他人に興味のない私といえど警戒するというものだ。
ともあれ、そういった諸々の事情のおかげで私は命拾いしたというわけだ。その後の授業中、何やらそわそわしたり私の方をチラチラと覗いてみたりと、クラスメイト達の様子がすこしおかしかったような気もするけれど、面倒事を回避出来た私にとっては彼等の様子なんてどうだっていいことだった。私にとっての学園生活など、白雪家からの依頼のついででしかない。別に学園生活を円満にしたいだなんて考えていないし、純白達のように友人を作る必要性だって感じていないのだから。
全ての授業を終え、社の待つ車へと向かう途中。
『もっとちゃんと学校にくるべき』などと私に訴える純白へ、前述のような話をおおまかに語ったところ大いに呆れられた。ため息を吐き出しながら胡乱げな瞳を私に向けるとは、随分と失礼な駄犬である。隣へと視線をずらせば、どうやら純麗と一ノ瀬さんも同意見であるらしい。純白と同じように、何やら呆れたような瞳を私へと向けていた。
曰く、私が学園を休んでいたこの数日は大変な騒ぎであったらしい。クラスメイトはおろか他クラスの生徒、果ては他学年の生徒までもが教室へと押しかけて来ていたのだとか。
彼等が押しかけた理由は当然のように私だった。対抗戦の後、私は閉会式と表彰式に出席することなくそのまま帰宅した。学園のスケジュール的にそのまま夏季休暇に入るということもあって、大凡二ヶ月の間学園に顔を出していないことになる。その所為で、私を一目見たいだとか、何かしら話をしてみたいだとか、声を聞いてみたいだとか、そういった連中は随分と長いお預け状態に陥っていたらしい。
そうして溜まりに溜まった好奇心を開放するため教室へと押しかけてみれば、肝心の私は初日から欠席。一体どういうことなのかとそれはもう随分な騒ぎになったのだとか。まぁ、仮に出席していたところでそんな見ず知らずの彼等と話すようなことは何もないのだけれど。
ともあれ、そんな野次馬達を抑えたのが他でもない純白達であったらしい。他の者達よりもずっと私の性質を知っている彼女達は、面倒事を嫌うという私の性格を説明したそうだ。挙げ句、『機嫌を損ねると暴れるので、お願いだから騒ぎ立てないでくれ』などという非常に失礼───一人二人は実際見せしめにするかもしれないが───な印象操作でどうにか騒ぎを乗り越えたのだとか。
どうやら授業中のクラスメイト達の怪しい態度はそれに起因していたようだ。抑え込んだ好奇心と、『七色』である私に対して失礼な行いをしてはならないという理性のせめぎ合いの結果、ああしてチラチラと気にすることしか出来なかったというわけらしい。
つまるところ、私が『想定していなような騒ぎは起こらなかった』などと呑気に考えていたのは全くの間違いだったというわけだ。否、確かに騒ぎにはならなかったが、それに至るまでには純白達の涙ぐましい努力があった、ということだ。
成程、純白達には感謝しなければならないだろう。よくよく考えてみれば、そもそも純白の姉である聖が、私を対抗戦へと引きずりださなければこんなことにはなっていないのだけれど。連帯責任の類ではないだろうか。
とはいえ、最終的に出場を決めたのは私の意志だ。今更それに対して文句を言うつもりは無い。
そうして純白と純麗、一ノ瀬さんへと素直に礼を告げ、その後三人と別れて帰路についた。
* * *
そして今。
こうして車に揺られ、今日の学園での出来事を思い返すだけでどっと疲れが押し寄せる。確かに私が思っていたような騒ぎにはならなかった。けれどそれは一時的なものだろう。この面倒事はきっといつか爆発する。少なくとも、同じクラスの生徒達からの追求はどう足掻いても免れないような気がする。
「はぁ……」
ため息も出るというものだ。
ため息を吐く度に幸せが逃げるなんていうけれど、もしかすると暫く
一体どうしてこうなったのだろうか。私は何を間違えたのだろうか。対抗戦に出たことだろうか?それとも初日から学園を休んだことだろうか?最初から開き直っていれば、問題を先送りにしなければ、こんな憂鬱な気持ちを抱えずに済んだのだろうか。これからのことを思い、全身が鉛のように重くなってゆくのを感じる。このままでは本当に不登校になってしまいそうな、そんな鬱々とした気分だった。いっそ、ほとぼりが冷めるまで学園を休んでやろうかしら?
そんな風に考えていた時、運転席から社の声が聞こえてきた。
「禊様、ため息を吐くと幸せが逃げるそうですよ?」
うるさい。
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