第二章

第70話 二学期

 もう10月だというのに、車の窓から見える通行人達は未だに半袖一枚の者が多い。日差しこそ随分とマシにはなったものの、未だにじっとりと汗ばむような気温。かくいう私も未だに半袖だし、日焼け止めはしっかりと塗っている。街路樹は徐々に色を失い始めているというのに、今秋は酷くちぐはぐな印象を受ける季節になっている。


 一般的な高等学校に比べ、感能力者養成学園の夏季休暇は長い。

 対抗戦が始まるまでが一学期。対抗戦が終わった後は二ヶ月程の休暇を経て、漸く二学期となる。夏季休暇中は例年通りに、学園生活で思うように動けなかった分まで全国各地の境界鬼テルミナリアを壊して周った。他にもいくつかの雑事はあったけれど、私の夏季休暇は概ね、ストレス発散としての役目を全うしてくれた。


 対抗戦で優勝を果たした日本校は、全世界から注目の的となった。なにせ日本校が設立されてから数十年、初めての出来事だったのだ。当然といえば当然かも知れないけれど、国内はお祭り騒ぎである。

 日本校の優勝が決まった翌日の朝、ニュースではどの局も対抗戦の話でもちきりだった。それは私も現地のホテルで確認した事だけれど、まさか二ヶ月たった今でも話題が尽きないとは思ってもみなかった。もう流石に味がしないほど十分に噛み締めたのではないかと思うけれど、どうやら国内はまだまだ騒ぎ足りないらしい。


 そんな国内の状況なんて、普段ならばどうでもいい下らないことだと、何も気にすることなく過ごしている私だけれど、今回ばかりはそうもいかなかった。

 不本意ながら、話題に上がっているのは私自身の事なのだから。人の噂も七十五日、なんていうけれど、それならそろそろ飽きてもいいんじゃないかしら?

 聖と共に舞台に上がったあの瞬間、ある程度の覚悟は決めていた筈だった。けれど世間の興味は、そんな私の覚悟を遥かに上回っていたようだ。顔写真の使用こそ天枷は許可しなかったけれど、対抗戦の映像が残っているのだから大した意味はない。お父様の『一応抑えようとはしているんだよ』といった、形だけの言い訳が聞こえてくるようだ。


「はぁ……面倒だわ」


 そんな憂鬱な新学期が始まってから数日が経った今日、私は初めて学園へと向かっている。今の状況を鑑みるに、初日から真面目に登校などしていられない。地方での境界鬼テルミナリア討伐があったこともそうだけれど、面倒事を避けたかった私はここ数日、学園には一歩たりとも足を踏み入れていなかった。

 もしかすると自意識過剰なのかもしれない。けれど用心するに越したことはない。私にとっての平穏は健やかに境界鬼テルミナリアを壊すこと、ただそれだけでいい。覚悟を決めたからといって、自ら進んで目立つつもりなんて毛頭ないのだ。


 境界鬼テルミナリアの情報がついに途絶えてしまい、渋々ながらも登校することになった今日だって、念には念を入れて登校時間をずらしている。現在時刻は10時を少し回ったところで、二限にギリギリ間に合わないくらいだ。他の生徒たちが二限を受けている間に侵入し、食堂で少し休んでからこっそり教室に紛れ込む算段である。一学期の時もよく同じような方法で登校していた私だ、もうすっかり慣れてしまった登校手段とも言えるだろう。そもそも私が学園に通う理由なんて、今となってはすっかり形骸化している。


 私がこの学園に入学した最たる理由は、純白の面倒をみることだった。けれど今となっては、私の手助けなんて必要ないくらいにあの子はクラスに溶け込んでいる。むしろ、私のほうが純白よりも余程浮いているだろう。要するに、白雪家が懸念していた純白の学園生活については既に何の問題もなく、私が無理に登校する理由も特に無いという訳だ。

 面倒事が待っている可能性が高く、それでいて登校する理由もない。それでも私が今こうして学園に向かっているのは、偏に白雪家への義理立ての為だった。純白の面倒を見る必要が無くなった今でも、白雪家からの情報提供は続いているのだ。そして私はそれを有り難く享受している。天枷家からの情報が不十分な訳では無くて、ただ情報源は多ければ多いほどいいというだけの話だ。


 元々義理堅いだなんて言える性格でもないし、それほどの付き合いがある私じゃないけれど、一方的に施しを受けるのは気分の良いものではない。要するに、形だけでも純白の面倒をみるという、ただその体裁の為だけに私は登校している。


「禊様、もうすぐ学園に着きますよ。そんなに暗い顔をしないで下さい」


 運転席から聞こえた声は勿論社のもの。何が嬉しいのか、彼女は朝から随分と機嫌が良さそうだ。普段は決まって私が朝食を作っているくらいの時間にやってくるくせに、今日に限っては私が起きるよりも前から全ての準備を済ませて待っていた。


「どの口が言っているのかしら?私の陰鬱な気分の原因、その一端は貴女にもあるのよ?」


「おや……何のことでしょう?」


 そう言って白を切る社だけれど、顔を見ずとも声色だけで彼女がニヤついているのが理解る。この小憎たらしい従者は、対抗戦前に北海道へ行った時からこちら、面倒な気質がいや増している。対抗戦が終わってからなど特に顕著で、何かに付けて私を表に引きずり出そうとしている気がする。

 そんな彼女が仕出かした、私が憂鬱な気分になっている原因。それは件のファンクラブについてだった。興味もないし馬鹿らしい、そういって放置し、彼女の好きにさせていたそれは、対抗戦の直後から随分と賑わっているとのこと。その理由が、社がファンクラブに会員限定で投稿した一件の動画だ。


 詳しくは知らないけれど、最初は謎の動画だったらしい。ただカウントダウンが行われているだけで動画の中身は一切ない、そんな不思議な動画。普通ならそんなもの誰も見ないと思うのだけれど、わざわざファンクラブに入るような暇人達はこぞって考察を始めたとか。やれ私の誕生日だの、重大発表があるだのと。そうして謎が謎を呼び、ファン達の間では結構な話題になっていたらしい。後になって聞いてみれば、どうやらお母様も関わっていたらしいそれは、悔しいけれど注目を集めることに成功していた。

 そうしてカウントダウンが終わったその日、動画は更新された。内容は北海道での私の戦い、その一部始終を収めたものだった。正式に前鬼・後鬼と呼称されるようになった、あの二体のS級境界鬼テルミナリアとの戦いだ。いつの間にか社が撮影していたようで、有り難いことに───もちろん皮肉だ───画質も最高だった。


 そう、対境界鬼テルミナリア戦の動画だ。

 私は対抗戦の時に初めて人前で戦った。けれどそれは学生相手の、謂わば手加減をしたお遊びのようなもの。そして境界鬼テルミナリア戦の私は、全力では無いけれど手加減はしていない。それは敵を壊すための、より私らしい姿だ。

 対抗戦での戦いは既に収拾がつかないくらいに広まっているけれど、私が境界鬼テルミナリアと戦っている姿はファンクラブの会員にしか見られない。あまり詳しくない私には一体どういう技術なのか理解らないけれど、その動画はどうやっても保存することが出来なかったらしい。

 そういう理由から、忌々しいあの謎のファンクラブは大層盛り上がり、噂を聞きつけた者達が集い、今なお会員数を増やし続けているとか。


「貴女とお母様が何を企んでいるのかは知らないけれど、随分と余計な事をしてくれたものだわ」


「ふふふ……まだまだ、もっと多くの方に禊様の素晴らしさを知って頂かねば」


「それをやめろと言っているのよ……」


 ちなみに、裏で社を操っているであろう首謀者のお母様には、いの一番にクレームを入れている。直接話したわけではないけれど、『余計なことはしないで下さい』とだけ打ったメールを事件発覚直後に送っている。

 すぐに弁解、もとい言い訳が凄まじい長文で返ってきたけれど、最初の一文が『違うのよ』から始まった時点で読むのをやめている。


 そんな数々の面倒事が私の頭をぐるぐると泳ぐ中、私を乗せた車はいつの間にか学園の駐車場へと停まっていた。授業中であるためか学園内はすっかりと静まり返っていて、忍び込むには絶好のタイミングと言えるだろう。気は進まないけれど、ここまで来た以上は予定通りにやるしか無い。


「はぁ……行ってくるわ」


「はい、いってらっしゃいませ。よい学園生活を!」


「……チッ」


 滅多にしない舌打ちを一つ、満面の笑みを浮かべる社にプレゼント。それでも顔色一つ変えることのない彼女は、助手席から様々な機材を取り出し自らの作業へと没頭していった。悲しいことに、最近は彼女がPCを触っていると嫌な予感しかしなくなった。また何か余計なことをしているんじゃないかと、彼女の一挙手一投足から目を離したくないという、そんな気持ちが湧いてくる。


 とはいえ、何時までも彼女を見張っているわけにもいかないのが現実だ。私は私で、自らの決めた仕事をこなさなければならない。学生は勉強するのが仕事だ、なんて言葉をよく聞くけれど、成程、今の私には随分と皮肉の効いた言葉だ。


 隣に置いてあった鞄を手に、無駄に高級な車を降りる。

 ああ、憂鬱だ。鉛のように重い足を引きずりながら、私は校舎へと歩き始めた。

 こうして私の、気の進まない学園生活は再び幕を開けたのだった。


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