幕間 従者の戯れ

 やはり此処に来たのは間違いだっただろうか。

 情に絆された訳では無い。押しに負けた訳でもない。けれど日頃から私の我儘に付き合わせ、何かと迷惑をかけている社の頼みだ。ただ仕方なく、本当に渋々だけれど、たまには彼女の望みを聞いてあげてもいいかと、そう思っただけ。


 軽い気持ちで、なんて訳でもない。

 恐らくは、私にとって面倒なことになるだろうとは思っていた。けれど多少の面倒事ならば、今回くらいは目をつぶって上げようかと、そう思っていたはずなのだけれど。今目の前で繰り広げられている光景は、多少どころの面倒事ではなかった。


 白雪の所有する島に到着し、純白を吹き飛ばしてから向かった別荘。そこで着替えて───勿論水着などではない───から海岸へ。さしもの私も、ここまで来て別荘に引きこもるなんて事はしない。とはいえ、あの子達と共に遊びに興じるなんてつもりもない。それでも、一応は目の届くところに居ようかと思っただけ。


 そして今。

 社の用意してくれたパラソルの下、サマーベッドに背中を預けて読書をしていた私の足元へと影が落ちる。本から視線をずらして見れば、眼の前には形容し難い姿の馬鹿娘が立っていた。先程までは純麗や聖と海で騒いでいたと思っていたのに、本当にいつの間にか。

 いくら読書に集中していたとはいえ、人が近づいて来れば気づく程度には意識は向けていた筈。そんな私の警戒網を、こんな時だけすり抜けて。

 水着姿は別にいい。ここは海で、彼女は今まで遊んでいたのだから当然だ。多少派手な水着だとは思うけれど純白には良く似合っていたし、人の目もないのだから。


 けれど、その右手に持った蛸は一体何かしら。その左手に持った魚は何かしら。そのどちらもが生きたままで、どちらもが純白の手の上で元気に動いている。どうやらこの娘は素手でそれらを捕まえてきたらしい。


「はぁ……何かしら?」


「良くぞ聞いてくれましたわ!実は今、純麗さんとお姉様の三人で賭けをしていますの」


 あぁ、これは絶対に面倒な話だ。

 関わり合いになるなど絶対に御免被る。


「……そう。それじゃ、頑張りなさい」


「内容は『誰が一番禊さんを怖がらせられるか』ですわ。普段からクールで物怖じしない禊さんの、ちょっと可愛いとこ見てみたい的な発想から生まれた新競技ですの」


 聞け。ふざけるな。勝手に私を参加させるな。

 島に到着してすぐ頭から海に叩き込んでやったというのに、どうやらまるで効果はなかったらしい。心底楽しそうな顔をする純白だが、出しにされた私は堪ったものではない。一体誰が考えたのか知らないけれど、随分余計な事を吹き込んでくれたものだ。


「ちなみに発案は社さんですわ」


 あの女ッ!

 普段から私を弄って遊ぼうとするきらいのある彼女だけれど、彼女の悪い部分はこんな所まで来てもなお健在だった。表向きは従順そうな顔をして、真面目なふりをして行うのだから質が悪い。社の中で唯一と言っていい、私の嫌いな部分だ。

 私の知らない所で、既に賽は投げられているらしい。つまりここで純白を無視したところで、第二第三の挑戦者がやってくるのだろう。渋々ながらも姿勢を変え、純白へと向き直ることにする。私、最近やたらと舐められている気がするのだけれど?


「……そう。残念だけれど、それでは可愛らしい声は出せそうにないわね」


「そんなぁ!捕まえるの苦労したんですのよ!?それに普通の女の子はこういった生物が苦手な筈ですわ!!」


 だったらその生物を両手に抱えている貴女は何なのかしら。

 そもそも捕まえるのに苦労しただとか、そんなことは私の知ったことではない。


「さて、それじゃあ不正解者の貴女には、お手付きの罰が必要よね?」


「えっ」


『えっ』ではない。このまま時間無制限で何度も張り付かれるなど、とても許容出来ない。楽しそうなところ悪いけれど、私を玩具にした代償は払ってもらわなければ。感応力リアクトを脚に纏い、準備を整える。とりあえずは暫くの間、泳いでいてもらおうかしら?


「ちょっ、禊さん!?待っ─────」


「駄目。待たない」


 最後まで言葉を紡ぐこと無く、大量の砂を巻き上げて純白が舞い上がる。大体2kmくらいは飛んだだろうか、遥か遠くの方の海で水しぶきが上がるのが見えた。普通の人ならば休み無く泳いでも一時間近くかかりそうな距離だけれど、無駄に体力のあるあの子の場合は、もっと早いかもしれない。


 そうして邪魔者を排除し、読書に戻ろうとした時だった。面倒な事に、もう次の挑戦者が来たらしい。挑戦者は自らの背中に何かを隠し、飛んでいった純白の姿に大笑いしている。


「あははは!いやぁ、よく飛んだねぇ!あれはあれで、なかなか出来ない体験なんじゃない?」


「……はぁ。次は貴女なの?」


「そういうことだね。実は結構自信あるよ?」


 そういって聖が、背中に隠していた何かを突き出した。彼女の両手の上には、二匹の蛸が乗っていた。今の私の気持ちが聖に分かるだろうか。溜息の一つも吐きたくなるだなんて、それどころではない。この姉妹はどうしてこれほど自信満々で居られるのだろうか。それとも、私はそれほどまでに蛸が苦手そうな顔をしているのだろうか?


「……なんというか、この姉にしてあの妹ありとでも言えばいいのかしら」


「おや?それはどういう意味────え、嘘。もしかして被った?」


「それじゃ、貴女はプラス1kmよ」


「え、ちょ、なんで─────」


 先程の純白と同じように、聖が砂煙に呑まれて舞い上がる。先程よりは力を込めたつもりだけれど、どのくらい飛んだか正確なところは私にも分からない。適当に1km上乗せとは言ったものの、そもそも私は手加減がそれほど得意ではないのだ。


 二人目の邪魔者を吹き飛ばした私は、既に読書を諦めていた。

 どうせこのあと純麗が来るのだろう。いちいち読書を中断するのも面倒だし、このまま待機しておいて、純麗を吹き飛ばしてから読書の続きに戻ろう。

 そう決めてから数分後、予想通りに純麗がやってきた。彼女は両手を合わせ、手の中に何かを閉じ込めているようなスタイルでやってきた。この時点で大凡の想像はつくけれど、ここまで来た以上はもう最後まで付き合ってみることにした。


「あ、あはは~……そのぉ……私はこんなゲームやめようって言ったんですよ?」


「ならその手は一体なんなのかしら?」


「え?あ、いえいえ。これはその、一応ですね?」


 ヘラヘラするな。

 どうやら純麗はこの巫山戯たゲームに加担しておきながら、自分だけは罰を避けようとしているらしい。私は心の中で、聖の更に1km先まで飛ばすことを決めた。


「面倒だから早く出しなさい」


「あ、あはは~……それじゃあえっと、私はこれです」


 そうして開かれた純麗の両手から飛び出したのは、案の定フナムシだった。よく勘違いされるけれど、フナムシは節足動物であって昆虫ではない。けれど見た目がその手の虫に似ていることから、嫌いだという人が非常に多い。それに動きが素早く、素手では捕まえるのも難しい筈なのだけれど。


「……貴女、意外とこういうの平気なタイプなのね」


「そうですね。虫や蛙なんかも平気ですよ。釣りの生き餌も手で付けられちゃいますよ」


「そう。意外と言えば意外だけれど、不思議と納得出来るような気もするわ」


 普段は引っ込み思案、というよりも純白の後ろで一歩引いている印象のある純麗だけれど。対抗戦の時もそうだったように、彼女は意外と肝が座っている。大人しそうな見た目とは裏腹に、むしろ純白よりずっと強かな一面を持っている。それを考えれば、それほど意外でもないのかもしれない。

 まぁ、それとこれとは関係がないのだけれど。


「あー……この感じだと、禊さんも平気なタイプですか?」


「そうね。別に好きではないけれど、私にとっては同じことよ」


 これでフナムシが凄まじい力を持っていて、私の感応力リアクトでも壊せないとなるとまた印象は変わってくるけれど。いずれにしても怖いなどとは思わない。


「駄目かぁ……あ、それじゃあ私はこれで」


「駄目よ。例外は認めないわ。私で遊んだのだから、ちゃんと罰は受けてもらうわよ」


「いえ!だから違うんですよ!私は─────」


 逃げようとして背を見せた純麗が、先の二人のように舞い上がってゆく。サマーベットの少し先には、三つ分の穴が空いていた。

 これで三人とも、一時間近くは帰って来ないだろう。漸く訪れた平穏に感謝し、私は読書へと戻ることにした。そうして脇に設置しておいたテーブルからドリンクを手に取り、口に含んで再びサマーベッドに背中を預けようとした、その時だった。


「───ッ!!」


 私の首筋に、何か冷たい物が触れる。

 氷などではない。水でもない。それはぺっとりと肌に張り付き、私の首筋から離れない。私の背後には誰も居なかった筈だ。というよりも、私の背後はサマーベッドの背もたれしか無い筈なのだ。人が入る隙間なんてありはしない。


 万が一、もしも、仮に。そんなスペースが絶無な場所に誰かが居たとしても、私が気づかない筈がない。けれど私の首筋には、今も何かが張り付いている。

 ならばこれは、人ではない何かの仕業か。物理的な干渉を受けない、何者かの。


 そうして恐る恐る振り返ってみれば、そこに居たのは────


「……湿布?」


 首筋にぴたぴたと触れていたのは、よくある一般的な湿布だった。よく見てみれば、その湿布からは糸が伸びており、背後にあった崖の上へと繋がっていた。その糸に導かれるように上を見上げれば、そこには湿布の付いた釣り竿を片手に、崖の縁から顔を出している社の姿があった。


「おや。見つかってしまいましたか」


「……」


「それにしても、『───ッ!!』は無いです。普通お化けが苦手な女の子は『きゃあっ』とか、そういう感じの可愛らしい声を上げるものですよ?これでは禊様の弱点を知っていてなお、私の負けになってしまうではありませんか」


「……」


「いえ、勿論誰にも言っていませんよ?まさかあの天下の『緋』が、幽霊が苦手だなんて。それも理由が『感応力リアクトで壊せないから』ですから。可愛げの欠片もありはしません。このような事が知られれば────」


 私はそっと崖に手を添え、感応力リアクトを発動した。



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