第73話 氷解

「直截に言うけれど、先代は祓さんを次期当主に据えたがっているわ」


「そのようですね」


「禊さんはどう思うかしら?」


 質問の意図が理解らない。

 次期当主を決めるのは当代の当主であるお父様だ。そこに先代が口を出してきているのは私も知っているけれど、何れにしても私には関わりのない話だ。決定権は疎か、意見を述べる立場にすらない。どう思うか?なんて聞かれても、答えようがなかった。だからそのまま、口から疑問を出した。


「……質問の意図が理解りかねます」


 私の妹、天枷祓あまかせはらえ

 数年前まではそれなりに会話もあったけれど、私が別館で暮らすようになってから───いいえ、それよりもずっと前から、私達姉妹には会話なんて無かった。


 その原因が先代の口出しにあることも一応は知っている。私を嫌っているあの人達が、妹である祓にあることないことを吹き込んでいる、と。私から妹に対して思う所なんて何も無いけれど、妹が私のことをどう思っているかは分からない。


 妹は私のような異常者とは違い至ってまともだ。

 だから先代が妹を当主に据えたいと思うのも、個人的には理解出来る。そもそも老い先短いあの人達が、二代も下の当主問題を何故そこまで気にするのだろう、とは思うけれど。どうせもうすぐ居なくなる人達なのだから、別に関係ないじゃない。


「ふふ、そうね。それじゃあ質問を変えましょうか。このままじゃ祓さんが可哀想だと思わない?」


「……可哀想、ですか?」


「そう。先代達からはプレッシャーをかけられ、姉妹である禊さんからは引き離されて。私達の力不足もあるから、あまり偉そうな事は言えないけれど」


 はて。

 その言い様ではまるで、妹は私のことを嫌っていないみたいじゃない。確かに先代から色々と吹き込まれたのは可哀想だけれど、結局のところそれを信じるか否かはあの子次第だ。情報を取捨選択するのは、他でもないあの子自身だ。別居中とはいえ同じ天枷の敷地内で過ごしている以上、会うことは何時でも出来る。つまり私と妹が疎遠となっている今の状況は、他でもないあの子が選んだ状況ということ。


 であればこそ、『引き離される』なんて表現は適当ではないと思うのだけれど。そんな風に考えていた私へと、まるで私の考えを見透かすかのようにお母様が言葉を続けた。


「祓さんはね、禊さんのこと好きなのよ?」


「……は?」


「やっぱり気づいてなかったのね。素直に甘えられない祓さんも悪いけれど、妹に無関心過ぎる禊さんも悪いのよ?我が娘達ながら、随分と不器用な姉妹だわ」


 あの子が私の事を?

 私はあの子に、姉として何かをしてあげたことなんて一度もなかった筈だけれど。一緒に遊ぶだとか、勉強を教えるだとか。そんな一般的な姉妹らしい出来事なんて、少なくとも私の記憶にはない。

 強いて言えば、何度か武術についての手本を見せたことはあっただろうか。といっても、それだって本当にただ手本を見せただけ。手取り足取り、なんてものじゃなかったし、詳しい説明をしてあげたこともなかった。つまり私には、あの子から好かれるような理由が何一つないということだ。


「あの子は禊さんに憧れているのよ。対抗戦だって、鍛錬を急いで終わらせて観戦していたそうよ?あの子からすれば、禊さんは今も昔も目指すべきお手本なのね」


「……」


「禊さんも知っていると思うけれど、あの子は優秀よ。けれどそれはあくまでも一般的な感応する者リアクターと比べての話。禊さんほど特別な力を持っている訳ではないわ」


 それは───そうかもしれない。

 私は私の異常性を自覚している。そんな私の性格が関係しているのかは分からないけれど、確かに私の力は他の感応する者リアクターよりもずっと上だった。けれどあの子はそうではない。戦闘能力は優秀の域を出ないが、その性質は至って善良。だからこそ、先代は妹を次の当主にしたいと思っているのだろう。まぁ、私がこんなだから他に選択肢がないとも言えるけれど。


「そんなお姉ちゃん大好きな頑張り屋さんの祓さんだけれど───それは当主としての器とは別の話よ。ただ頑張るだけでは務まらない。それが六家、それが天枷家の当主という立場」


「僕は全然いいと思うけどねぇ」


 そう言ってへらへらと笑うお父様。

 外敵の駆除という代々受け継がれてきた天枷のお役目を考えれば、お父様も中々に異色の当主だといえる。戦闘こそそれほど得意ではないけれど、人を使うという一点に於いて、お父様ほど秀でている者もいないだろう。だからこそ、戦闘に長けたお母様を傍に置くことで互いを補い合う形がとれる。そうして今の天枷は成り立っている。つまりお父様は、祓が当主になったとしても私を補助に据えればやっていけるだろう、と考えているのだ。その是非はともかくとして、私もそう思う。


「凪さんは少し特殊なケースだもの。私は祓さんのことも大好きだし、能力至上主義というわけでもないわ。でも、だからこそ祓さんが心配なの。実力に見合わない立場に担ぎ上げられるというのは、必ずしも幸せな事だとは言えないもの」


 けれどその体制を採るには問題が一つあった。そう、お父様と祓には決定的な違いがある。一点とは謂え他に類をみない程の才覚を持つお父様と、万能ながら特に秀でたものを持たない妹。お母様が言いたいのはそういうことだろう。仮に二人体制で天枷を統率するにしても、片方が凡庸では成立しないということだ。


「人を率いるには、誰にも真似の出来ない優れた何かが必要よ。でも、祓さんにはそれがない。そんなあの子がこの天枷の頂点に据えられて、その期待に応えられるとは思えない。そうなればどうなるか、禊さんにも分かるでしょう?あの子は何も悪くないのに、分家や他家からの勝手な期待に押しつぶされてしまう。私にはそれが我慢ならないわ」


「それで可哀想、ですか」


「そ。私は母として、あの子には笑っていて欲しいのよ」


 お母様の言っていることは概ね理解した。つまりこのままでは妹が望まぬままに当主に据えられ、そして潰れてしまうということだ。


「それで……どうしてそれが、あの老人たちを排除するという話に繋がるのでしょうか」


「もう、せっかちねぇ……まぁいいわ。結論から言えば、私達は禊さんを次期当主にしたいと考えています」


 まぁ、そうでしょうね。

 ここまでの話を聞けば、そうなるであろうことは分かっていた。色々と思う所は当然あるけれど、この際、私自身の感情については置いておく。これまで好き勝手に振る舞っていた私だ。一度でも天枷としての恩恵を享受したことがある身としては、そういう覚悟もしていなかったわけじゃない。こんな私だけれど、嫌だと嫌だと駄々を捏ねるほど子供ではないつもり。勿論面倒だし、猛烈に嫌だけれど。


 けれどそれにはいくつかの問題があるはずだった。何も問題がないのなら、そもそも最初から私が次期当主に選ばれていた筈なのだから。そんな私の疑問は、続くお母様の言葉によって氷解した。


「その為に、私達はこれまでいくつかの手を打っていたのよ。理解のある分家や他家を取り込んだり、主な実行部隊となる従者達の入れ替えを行ったり。時間はかかったけれど、少しずつ天枷の掌握を進めていたの。そして極めつけが先の対抗戦。あの活躍によって、素質という点で禊さんに疑義を抱く者は随分と減ったわ。少なくとも、先代派と五分で戦える程度には力を付けたと言えるでしょう」


「これまで辛い立場に置いてしまってごめんねぇ。でももう大丈夫だから」


 お父様が申し訳無さそうな顔で頭を下げる。

 特に辛いなどと思ったことはないけれど、親の立場からすれば成程、確かにそう見えるのかもしれない。近頃の妙な動きにも得心がいった。つまり白雪聖───というより、白雪家全体がグルだったというわけだ。

 恐らくは純白の護衛に関しても、学園に通わせたいという親心が半分、私の力を少しずつ知らしめるという目的が半分といったところか。加えて、半ば強引な対抗戦へと出場要請も、お父様がそれを後押ししたのも、全ては私を当主の座に据えるためだった。


 成程、よく出来ている。

 なにしろ私はそんな意図に全く気づかなかったのだから。


「そうして私達は勢力を拡大しつつ、先代達には穏便に退場してもらうつもりでした。でも、そう悠長なことを言っている訳にもいかなくなったの」


 私の意志を無視しながら、それでも全てが順調に進んでいたように聞こえる。けれど、どうやらそうではないらしい。つまりはその『悠長には出来なくなった』原因こそが、先代を排除することに決めたその理由なのだろう。


「私達の動きに気づいた先代達が、実力行使による妨害に出たのよ。思いの外天枷を掌握されていたことに焦ったのでしょう。その妨害というのが、天枷家としても、六家としても、とても看過出来るようなものではなかったのよ」


「……というと?」


「先の『天魔』による対抗戦会場への襲撃。あれは先代と桂華家が共謀して引き起こしたものよ。彼らは多くの死傷者を出すことで、対抗戦を取り仕切る白雪家の力を削ぐつもりでいた。同時に、白雪と協力関係にある私達の力も。結果として禊さんの名を広めることに繋がったけれど、無関係の人間を巻き込んだその手段は到底見過ごせないわ」


 そう言ったお母様の瞳が、ひどく厳しいものへと変わる。確かに今の話が本当なのだとしたら、外敵の駆除を役目としている天枷の人間としては見過ごせないことだろう。それが同じ天枷の人間が引き起こしたというのであれば、実力行使による排除を決意したというのも頷ける話だ。

 会場には海外の感応する者リアクター達も多く居たし、犠牲者が出れば白雪家は大きな影響を受ける。白雪家が力を失えば、彼らの協力を得ているお父様達の派閥も縮小せざるを得ない。つまりはそういった筋書きか。


 けれど今の話にはおかしな点がある。言わずもがな、『天魔をけしかけた』という点が理解出来ない。境界鬼テルミナリアは人類にとって神出鬼没の外敵の筈だ。出現位置を予測することは出来ても、それを誘導することなど出来はしない。少なくとも、そんな方法が開発されたなんて話は私の記憶にはない。


「ふふ。そんな方法はない、と言いたいのでしょう?私達も最初はそう思っていたのだけれど……」


「先代に協力している桂華家の秘蔵っ子。彼の感応力リアクトが問題でね。僕らの入手した情報によれば、『境界振を任意の場所に作り出す』ことが出来るらしいよ。眉唾だったけど……結果は禊ちゃんも知ってのとおりさ」


 なんとまぁ、それはとても魅力的な───剣呑な感応力リアクトだ。そんな感応力リアクトの話は初めて聞いたけれど、もしも本当ならば恐ろしく危険な能力だ。


「流石に連続して使うことは出来ないらしいけどね。大きな境界振を起こすにはそれなりに長い期間が必要みたいだし、この間みたいなのがすぐにまた起こることはないよ。でも、だからといって放置は出来ないよねぇ」


「それは残念───重畳です」


「禊ちゃぁん……」


 お父様が呆れたような情けない声で私を呼ぶ。

 言いたいことは分からないでもないけれど、こればっかりは仕方ない。私は自分のこの悪癖が気に入っているし、治すつもりもないのだから。


「ともあれ、そんな危険な感応力リアクトの情報を察知していた私達は保険を打っていたの。私が会場に居たのもそれが理由よ。まさか『天魔』が出るとは思っていなかったけれど……あっ、勿論一番の理由は禊さんの活躍をこの目で見る為だったのよ?」


「いえ、それはどうでもいいです」


 確かに、お母様が会場に来ているというのは不思議に思っていた。けれどこうして理由を聞かされれば、納得せざるを得ないだろう。筋は通っている……ような気がする。といっても、私にとってはどうだっていい。次期当主争いも、先代の妨害も、私が境界鬼テルミナリアを壊す邪魔さえしないのであれば。


「さて、長々と説明をしたけれど」


 そんな風に考えていたところで、お母様が話を最初に戻す。そう、こうして二人が私を尋ねてきたのは、何も怪しい動きの答え合わせをするためではないのだから。


「祓さんを助けるためにも、禊さんには次期当主の座についてもらいます。そのためにも、もはや国賊と化した先代を排除します。結果として実力行使になってしまうのは残念だけれど、この際致し方ありません。というわけで禊さんにも手伝ってもらうから、そのつもりでね?」


 にっこりと笑いながら、真正面から私に向かってそう告げるお母様。隣をみれば、お父様も同様ににっこにこの表情を浮かべている。一体何がそんなに楽しいのやら。


とはいえ、私にも一応思う所はあるわけだ。これまでは口を挟まずに黙って聞いていたけれど、話が一段落した今ならば聞いてもいいだろう。


「……お話は理解しました。一応お伺いしますが……当主なんて面倒なだけですし、断っても?」


「駄目よ?」


そう思って投げかけた私の問いは、いい笑顔のお母様にバッサリと切り捨てられることになった。


「だってお姉さんだもの。可愛い妹の為に頑張らなきゃ、ね?」

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