第69話 らしくはないけれど

 すっかり日が落ちて、空には星が煌めいていた。

 静寂を取り戻した森に、一人分の足音が響き渡る。正確には『森だった場所』だけれど。眼前に広がるこれが森だと呼べるのならば、開発中の工事現場だって森と呼べそうだ。それくらい、私の前方に広がる光景は酷いものだった。


 落ち葉を踏みしめる音は、誰かが足早に駆けていることを私に知らせてくれた。否、『誰か』なんて言っておきながら、私はこの足音の主を知っている。


「禊様!!」


 やって来たのは予想通り社だった。

 ホテルに戻ろうにも、景気よく吹き飛ばされたおかげで、私の格好は上から下までボロボロだった。もしも社が来てくれなければ、私は人目を忍んで着替えを取りに行かなければならなかっただろう。それはもう火事場泥棒のように、だ。


「良いタイミングね。見ての通りの有様なのよ。お願い出来るかしら?」


「直ぐに」


 社は余計なことを一切聞くことなく、ただ私の言う通りに衣服を。ほんの数秒の内に、すっかり新品同様となった制服に満足する。けれど社の感応力リアクトは生き物には効果を発揮しない。


 ───『追憶メモリア

 彼女が『浄化』と称して隠している、私と社だけが知っている彼女の本当の感応力リアクト。それは治療や再生などといったものではなく、当たり前だけれど万能とは程遠い。要するに傷までは元には戻らないということだ。


「有難う」


「いえ、傷は治せませんので。急いで戻りましょう」


感応力リアクトに覚醒して以来、私の身体が異様に頑丈なのは知っているでしょう?見た目ほど大した怪我じゃないわ。精々、骨が何本か折れている程度かしら」


「それを一般的に大怪我というのですよ。肩を」


「はぁ、一人で歩けるわよ・・・」


 そういう私の言葉をまるっきり無視し、社が私に、半ば背負う形で肩を貸してくる。本当に要らないと言っているのだけれど、こうなった社は頑固だ。問答するのも面倒だし、したところでどうせ聞かない。

 そうして大人しく社の肩を借り、ほんの少し歩けばすぐに森の外へ出た。全く気づいて居なかったけれど、『天魔』は私を、どうやら随分と吹き飛ばしてくれたらしい。


 そうして森の外に停めてあった社のバイク、その後ろに乗ってホテルへと向かう。

 バイクに乗っていたのはほんの数分間。それでも社は随分と上機嫌だった。本音を言えば、私としては徒歩で帰りたかった。夜の帳が下りた今、閑静なこの一帯に響き渡る排気音は非常に煩い。何が悲しくてこんな目立つ登場をしなければならないのか。


 散々爆音を撒き散らし、ホテルの前へと到着したとき。そこには迷惑な二人が待ち受けていた。実は、戦闘中に視線を感じることがあったのだけれど、恐らくこの二人のものだろう。私の戦いを、どこかしらから見ていたのだと思われる。


「ミ~~~ソ~~~ギィィィィぶげっ!」


 何やら人の名前を叫びながら、低空を飛行してきた金髪の痴女を踏みつける。こんな下らない事で脇腹が痛む。最悪だ。


「お疲れ様。まさかアレをたった一人で倒してしまうとはね・・・凄いね、君は」


「別に大したことないわ」


「あはは、アレを大したことないの一言で済ませられるのは、きっと君くらいのものだよ」


「大袈裟ね。それよりも、八月女史はどこかしら?治療をお願いしたいのだけれど」


「ああ、彼女なら日本校のホテルにいるよ」


「そ」


 それだけ言って、私は二人の横を通り過ぎた。

 どうやら自分で思っていた以上に、私は疲れているらしい。今は彼女達の相手をしていられるほどの体力が残っていない。どうせ彼女達とは、少なくとも来年の対抗戦までは会うことも無いだろう。分かれを惜しむような仲でもなし、面倒事からは急いで離れるに限る。


 そんな私の背中へと、ソフィアが最後に声をかける。


「そうそう。閉会式と表彰式は予定通りに明日行うらしいよ」


「・・・は?」


 その言葉に、私は耳を疑った。

 確かに、会場自体は無事なところもあるだろう。けれどこれだけの事があって、もっと言えば森は吹き飛び、山は崩れているのに?

 壊した張本人である私が言うことでもないかもしれないけれど、普通に考えれば中止するのが当然だろう。大方、各国の下らない面子や意地の張り合いといったところだろうか。


「ふふ、君の言いたいことは分かるよ。けどまぁ、それだけ対抗戦の結果というのは重要なものなのさ。君は出席するのかい?」


「・・・しないわよ。興味ないもの。先に社と家に戻るわ」


「そうか。君とはもっと話したいこともあったんだけど・・・ま、それはまた今度にしておこう。それじゃあ、きっとそれほど遠くない何時かに、また」


「・・・ええ」


 そんなソフィアの言葉に不穏な物を感じつつも、藪蛇になりそうな気がして、それ以上は何も言わないでおくことにした。

 この数日間の、ソフィアとエリカから被った迷惑の数々を思い起こす。遠くない何時か?直截に言って、二度と御免だ。

 我ながら随分と素っ気ないけれど、これがこの対抗戦中に彼女と交わした最後の言葉だった。


「禊さぁぁぁぁぁぁぶげっ!」


 日本校のホテルへと戻れば、殆どタックルのような勢いで純白が飛びついて来た。もはや先程のエリカと大差が無い。とりあえず踏みつけ、後を純麗に任せる。

 その後は学園長や風花教諭達といくつか言葉を交し、簡単に報告をしてそのまま八月花鶏の元へと向かった。

 どうやら思いの外大きな怪我だったらしく、治療の為、今夜は医務室で待機する羽目になってしまった。お風呂に入れないことが非常に不愉快だったけれど、仮にも医者である八月花鶏にそう言われてしまっては仕方がなかった。


 そうして医務室のベッドで一夜を過ごした翌日。

 八月花鶏の治療によってすっかり体調の戻った私は、対抗戦最後となる閉会式の配信をホテルのロビーで見ていた。


『昨日は大変なことが起こりましたが、それはさておき!!今年の対抗戦も、本日の閉会式をもって終了となります!!』


『さておいても良い事件ではありませんが・・・』


『そっちはどうせニュースとかでやってるからいいんですよ!!私達には、全力で戦った選手達の勇姿を、皆さんにお届けする仕事があります!!』


 配信の実況解説は今までと同じ、星野小晴ほしのこはれ白糸冠しらいとかむりの二人組であった。会場に残っていた各メディアの者達同様、彼等も事件の被害者であるというのに、それをまるで感じさせない程の元気である。


 星野小晴ほしのこはれが軽く触れたように、昨日の一連の事件は大々的にニュースで取り上げられていた。おかげで朝からその話題で持ちきりである。

 曰く、記録的な境界振が発生した。曰く、怪我人は出たものの死者は出なかった。曰く、『天魔』が現界したものの『緋』が単独で討伐した。

 最後はともかく、死人が出なかったのは不幸中の幸いというべきだろうか。そう思っているのは皆同じ様で、現地で対応にあたった『軍』の評価は鰻登りとなっている。不本意ながら、ついでに私もだ。

 私の場合はその前日、対抗戦で悪目立ちした所為もある。そこに『天魔』の討伐等というものが重なった所為で、必要以上に取り上げられているといった印象だ。


『今!大会委員長から優勝旗が手渡されました!』


 そんなどうでも良い思案をしていると、配信では笑顔で優勝旗を受け取る聖の顔がアップで抜かれていた。無観客なおかげで歓声等は聞こえないけれど、それでも日本校の生徒達は喜び、他校の生徒達はそんな彼等を拍手で讃えている。


 心底嬉しそうに喜びあう、そんな彼等の様子を見ていると、なにやら胸の奥に少しだけ感じるものがあった。これまでには感じたことのなかった、けれどそれほど嫌な気にはならない不思議な感覚。


 そうか。これは───これが、『不純物』か。


「ふふっ。らしくないわね。本当に、らしくないわ」


 手のひらを見つめ、そう自嘲する。

 私は別に、彼等を守ろうと思ったわけじゃない。ただいつも通り、好き勝手に壊して、そのついでに彼等が助かっただけ。ただそれだけのことだ。


 直後、フロントの扉が開き、社が私の元までやってくる。


「禊様、準備が出来ました。何時でも出せます」


「そ。それじゃあ─────帰りましょうか」


 そうして社と二人、学園の生徒達に先だって帰路につく。

 聖の依頼で渋々参加した対抗戦だったけれど。こうして思い返せば────


「禊様、機嫌が良いですね。何かありました?」


「ん・・・特には何も。ただ────悪くは無かったと思って、ね」




 * * *




 天枷家の本邸。

 そこでは現当主である天枷凪と、既に会場を後にしていた天枷神楽が二人、久奈妓くなぎからの報告を聞いていた。


「『闇御津羽くらみつは』の解析結果が出ました」


「ご苦労さま。いやぁ、禊ちゃんが派手にやってくれたおかげで、スムーズに事が進んでくれて助かるなぁ」


「禊さんの力が、彼等の想定を越えていたのでしょう。まさかこうも思惑通りに炙り出せるとは」


「禊ちゃん様々だねぇ。で、結果はどうだった?」


 二人の会話を聞いても顔色一つ変えず、久奈妓はただ淡々と聞かれた質問に答える。

闇御津羽くらみつは』とは、天枷家と白雪家が合同で開発した、境界振の震源を割り出すシステムのことである。震源とはすなわち、境界振が引き起こされた場所のことである。


 故に本来であれば、このようなシステムは全く必要の無いものだ。境界振が発生した場所と震源は、普通であれば同じ場所になるのだから。

 しかし今回ばかりは違う。極論をいえば、『闇御津羽くらみつは』は今回の為だけに開発したのだ。


「御二方のご想像通り、震源は島根でした」


「いやぁー、まぁそうだよねぇ。境界振を人為的に引き起こす感応力リアクト。まさか本当に存在するとはねぇ。当たって欲しかったけど、外れて欲しかった。複雑な気持ちだなぁ」


 何処か緊張感のない、飄々とした態度で凪が言う。

 そんな凪とは反対に、その隣で静かに佇む天枷神楽は目を細めて怒りを露にしていた。普段物静かな人間であればあるほど、怒りを見せたときの振れ幅は大きく恐ろしいものとなる。神楽の纏う雰囲気も、その例に漏れなかった。


「島根ということは、やはり桂華けいかですか。あの老人達が手を組んだのが、寄りにも寄って。凪さんの両親といえど、こうなった以上は────」


「そうだね。こればっかりは仕方ない。禊ちゃんと祓ちゃんが生まれた時、僕の一番は彼等じゃあなくなった。例え両親と言えど、これ以上の専横は認められない」


 先程まではへらへらとしていた凪の表情が一変する。

 そこには普段の胡散臭い、柔和な表情は無かった。天枷家という名家を背負う者として、覚悟と責任を持った鋭い瞳だった。


「彼等が今回と同じ事をするには、相応の時間が必要な筈だ。その間にケリをつけよう」


「では」


「うん。それじゃあ──────大掃除を始めようか」


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