第68話 私が思うよりもずっと

 どのくらいの時間、私は此処で戦っているのだろうか。

 既に夕日は沈み、暗くなった空はまるで垂絹が下りたかのようで。瞬く間に過ぎていったような気もすれば、随分と長くこうしている気もする、そんな時間だった。


 時間も忘れてしまうほどに夢中になっていた、そんな至福の時。

 けれど、残念ながら何時までもこうしている訳にはいかない。全てのものにはいつか終わりが訪れるもので、終わりがあるからこそ、今こうして心を躍らせることが出来るのだから。


 こうして私が血を流したのは何時ぶりだろうか。少なくとも、この一年間では記憶に無い。それほどまでに『天魔』は強い。これまで壊してきた境界鬼テルミナリアとはわけが違う。

 致命傷は受けていないけれど、細かな傷は数えればキリがない。制服も随分とボロボロになってしまっているし、ストッキングも伝線しているどころか穴が空いている。ホテルへ戻る前に社のところへ行かなければ、今の私はとても人前に出られるような格好ではなくなっている。


 けれどそれは相手も同じことだった。

 幾度も斬りつけた身体は絶えず煙を上げながら修復を続けている。そんな『天魔』の超回復能力だけれど、それでも追いつかない程に斬りつけ、殴りつけ、蹴りつけた。お陰で敵も、今では身体の至る所から血を流している。


 腕も脚も、首さえも。何度も吹き飛ばしたし、何度も修復された。頭を失っても死なないのには流石の私も驚いた。その度に歓喜が私を包み込んだ。壊しても壊しても、数秒後には直ぐに修復して立ち上がる不滅の玩具。控えめに言って最高だった。抑えようとしたって、私の意志とは関係なく口元は緩んでしまう。


 どうすればを跡形も無く壊せるのか、その大凡の見当は既に付いていた。頭を吹き飛ばしても死なない時点で、この敵の生命活動を担っている中枢が、脳とは別のところにあることは明白だった。

 恐らくは身体のどこかに心臓、或いは『核』のようなものがあるのだろう。それがどういった形をして、どこにあるのか。それは分からないけれど。


「ふふ。やっぱり、跡形もなく消してしまえばいいだけのことよね」


 最初の頃に私が宣言したように、結局はそこに行き着くのだ。

 何も難しい事はない。『核』がどこにあるか分からないのなら、全身を粉々に破壊してしまえばそれで済む話。


 引き絞って放たれた渾身の拳を躱す。伸び切った敵の腕を吹き飛ばす。鎌鼬のような不可視の風刃を、気配と勘を頼りに回避する。その隙に距離を詰める。割れた地面の破片ごと蹴り上げられた脚を、半身になることで間合いに潜り込みつつ回避する。振り抜かれた脚を忌火で斬り飛ばす。

 今この瞬間に至るまで、もう何度も行われた攻防だ。今までは私が敢えて追撃しなかったけれど、今回は違う。名残惜しいけれど、そろそろ終わりにしなければならない。


 宙を舞い、後方へと距離を取ろうとする『天魔』。これを見過ごせば先程までと同じ、また最初の攻防へと戻るだけ。

 だから、私は前に出る。距離を離されないように、ぴたりと肉薄する。再生を終えてすぐさま振り抜かれた拳の下へと潜り込み、肩に担ぐようにして保持した忌火を『天魔』の腕に添える。敵の肉を削ぎ落とすように、そのまま振り下ろす。


 ───『都牟刈つむかり』。

 所謂後の先、カウンターの一種だ。敵の拳の勢いを利用すると共に、腕の下へと潜ることで、私の姿は敵の視界から一時的に消える。


 縦に割断された敵の腕が二股に裂ける。それには一瞥もくれず、私はただただ前進する。この距離ならば相手は蹴りが使えない。そして腕はあと一本。こうなってしまえば彼に出来ることなど、残った腕を振ってみるか、或いは再生能力に物を言わせ、自滅覚悟で風を爆発させるくらいのものだろう。


 ああ、本当に名残惜しい。

 もしかすると、今まで私が生きてきた中で最も充実した時間だったかもしれない。けれどこれで、楽しかった時間もお終いだ。ここで手心を加え『天魔』を逃してしまえば、私の背後に居る多くの人が犠牲になるだろう。

 彼等を守る為には、今ここで決着を──────


「・・・?」


 刹那、私の中に強烈な違和感が生まれた。

 はて。私は今、一体何を考えた?守る?誰が?私が?何を────。

 違う。そうじゃない。私はこれまで自分の悪癖、欲望を満たす為だけに境界鬼テルミナリアを壊してきた。ただ純粋に、私がそうしたいからそうしてきた。それが私の根源で、誰にも譲れない私だけの矜持だった筈だ。一度たりとも、戦った事なんて無いと断言出来る。


 私にとって戦いとは、壊すか壊されるか。より純粋な欲望を募らせた者だけがその権利を手にすることが出来る。それ以外は総てが些事で、欲望を濁らせるだけの不純物に過ぎない。

 私はずっと壊し続けてきた。それが出来たのは、誰よりも純粋に破壊を望んでいたからに他ならない。


 それがどうだ。

 ?馬鹿馬鹿しい。例え一欠片でも、私の中そんな考えがあったというのか。純白の脳天気な姿に感化された?純麗の直向きな姿勢に心打たれた?それとも、社の言葉に蝕まれた?

 あぁ、酷い有様だ。分からない。理解らない。頭の中がぐちゃぐちゃになっていくのが自分でも感じられる。どうして?ここは戦場で、不純物は要らない場所の筈なのに────


 気づいた時には、もう回避が出来ない状況だった。

 ゆっくりと流れる景色の中で、混濁した頭を抱え。それでも、ただ身体に染み付いた本能が私を突き動かした。

 忌火を身体の前で構える。駄目だ、受け止められる筈がない。眼前に迫る敵の脚は、例え破壊したところで、衝撃を受け流すことなど出来はしない距離まで来ている。それでもやらないよりはマシだろうと、忌火へと感応力リアクトを『つたえ』によって覆う。


 地を蹴って後方へ飛び退る。これも駄目だ、距離が近すぎる。仕留めるつもりで前に出ていた私は、もはやどうしようもない間合いまで近づいてしまっていた。

 いつのまにか、知らずの内に。戦場へと余計なものを持ち込んでしまったツケが今、私を壊そうとしている。

 何時だって覚悟はしていた。何時だって、私と彼等の立場が逆になることを想定していた。


 だから、だろうか。

 私を濁らせたの正体は未だ理解らないけれど、それでも─────。




 * * *




 瞳を開く。

 霞む視界が徐々に広がってゆく。


「げほっ・・・」


 幸いにも、時間は然程経っていないらしい。遠くからは、『天魔』が樹々をへし折りながらこちらへ向かって歩いてくる足音が聞こえる。

 身体が痛みで悲鳴を上げていた。けれど痛みを感じるということは、どうやら私はまだ死んではいないらしい。

 視界の隅には、刀身の半分が粉々になった忌火が突き刺さっているのが見えた。お父様が私の為に作ってくれた愛刀は、まるで私を守るかのようにその役目を終えていた。


「ふふ・・・けほっ・・・不思議ね・・・痛ッ!」


 こんな無様な姿で地に伏せながらも、私の欲望が消えることは無かった。それどころか、今までよりも一層激しく燃えている。体中が熱い。心の臓が私を捲し立てる。まるで今、遥か遠くの空で輝く星々のように、煌々と。


「づッ・・・ふふ、ふっ、げほっ!げほっ!・・・いいわ。認めましょう」


 この胸中を支配する不思議な感覚を。胸の中に生まれた、この小さな違和感を。原因は分からない。けれど今、私の中に確かにあるこのが、どうやら私は─────。


「・・・嫌いではないらしいわね」


『壊す』という、ただ一つのことに邁進し続けてきた私だけれど。私の根源を濁らせる、余計なものには変わりないけれど。それでも、認めざるを得なかった。

 いいでしょう。嫌悪感を感じないというのであれば、それも私の一部として認めましょう。

 今までの考えはもう止めだ。より純粋な者だけが権利を手にする?知ったことか。私は『欲望』と『不純物』、二つを抱えて先へ進む。


 木々の間から、ゆっくりと姿を見せる『天魔』。

 何を勝ったつもりでいるのだろうか。そのニヤケ面を今直ぐ消し飛ばして差し上げるわ。痛む身体に鞭を打って駆け出す。当然、もう先程までのような速度は出ない。けれど、何故だか敵の攻撃を受ける気がまるでしなかった。

 何が変わったという訳でもないでしょうに。

 ただ決意を新たにしただけで、思考は晴れ渡り、霞んでいた景色は瞬く間に色づいてゆく。迷いは、もう無かった。


 空気の揺れを肌で感じる。ほんの少しだけ頭を傾ければ、螺旋を描く風が耳元を通り過ぎてゆく。敵が振り上げた拳には一瞥もしない。何処を通って私の元までやってくるのかが、手に取るように理解る。ほんの一歩だけ右に動けば、拳が私のすぐ傍を通り過ぎてゆく。何を焦っているのやら。


 間合いは詰まった。

 自分でも不思議なくらい、私の動きには淀みがなかった。腕を伸ばして体勢が崩れた『天魔』の胸にそっと手を添える。人間であれば心臓がある位置だ。


 ────『彼岸花』。

 当時感応力リアクトに目覚めていなかったお母様が作り出した、無手で境界鬼テルミナリアを倒すための手段。結果として、境界鬼テルミナリアの防殻を突破出来ず失敗に終わったけれど、その威力は折り紙付き。未完成な状態で、未熟な純麗が使ってあれだけの威力を誇るのだ。今の私がやればどうなるのか、私にも分からない。


「────『白花曼珠沙華しろばなまんじゅしゃげ』」


『彼岸花』によって敵へと浸透した私の感応力リアクトが、敵の内部で花開く。齎された破壊は血や肉片すら残すことなく、文字通り跡形もなく『天魔』消し飛ばした。それだけでは飽き足らず、破壊の爪痕は『天魔』が居た場所よりも遥か後方へと突き抜ける。樹々は吹き飛び、斜面が崩れる。想像していたよりも、ずっと酷いことになってしまった。

 ただでさえ周囲を気にせず破壊する所為で『災禍』などと呼ばれている私だ。またおかしな呼び名がついてしまうかも知れない。

 右手に残る感覚が、遅れて私の全身を駆け巡る。


「ふふふ・・・あははははは!!んっ・・・・くふふっ!!」


 過去に一度も経験したことの無い、あまりにも大きな快感だった。堪えるように身体を抱きかかえ、その場に蹲る。そうでもしなければ、その場で飛び跳ねてしまいそうだった。


「うふふ・・・ふぅ」


 どのくらいそうしていただろうか。煩いくらいに鳴り響く心臓と、歓喜に震える心をゆっくりとなだめ、すっかり荒れ地と化してしまった森を見つめる。

 何も変わらない、いつも通りの光景だ。けれど私の心中には、いつもと違うモノが確かに残っていた。


 これが何なのか、どうしてここに在るのか。それは未だに分からない。


 それでも私は、これからも私の道を進むだろう。やることは今までと変わらない。ただ欲望に従って壊し続けるだけだ。そうして私が壊して歩いたついで、私の手が届く範囲ならば、とても面倒だけれど、渋々ながらに拾ってあげようじゃない。

 どちらか一つ、なんてもう言わない。どちらも持つのが、天枷禊。


「───ふふふ。どうやら私は、私が思うよりもずっと、我儘だったみたい」

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