第66話 天魔

 大凡の現界地点は白雪からの連絡で知っていた。

 けれど、その時間まではっきりとは分からなかった。だから私は、他の有象無象を全て無視してでも、ただ此処で『ソレ』を待ち続けていた。


 振り向くこと無く、その禍々しい気配だけを頼りに振り抜いた忌火が空を切る。私が間合いを見誤ったわけじゃない。ただ簡単に躱されただけ。もとよりこれで仕留めるつもりもなかったし、仕留められるとも思っていなかったけれど。

 それでも、傷ひとつつけられずにあっさりと躱されてしまったことには驚きを禁じえない。そう簡単に避けられる間合いじゃなかったと思うのだけれど。


 自然と笑みが溢れてしまう。

 今の一手だけで、『ソレ』が今まで壊してきたどの境界鬼テルミナリアとも違うことが理解ったから。

 空を切った忌火の勢いをそのままに、肩越しに敵を流し見る。そんな私の眼前にあったのは、私の頭よりもずっと大きな拳だった。

 否、拳だ。その拳の放つ威圧感や殺意が、拳をより大きく錯覚させていた。


 上体を思い切り反らし、猛然と迫る拳を回避しつつ脚で思い切り蹴り上げる。既に感応力リアクトを纏っている私の蹴りが、敵の肘関節へと突き刺さる。何かが小さく壊れるような破砕音と共に、敵の左腕が遥か上空へと千切れ舞うのが見えた。


 振り上げた脚は止めることなく、そのまま後方へと体ごと回転して距離を取る。所謂バック転だ。改めて敵の方へと視線を向ければ、彼は吹き飛んだ腕を庇うこともなく、ただ仁王立ちでこちらを見つめていた。


 その出で立ちは、とても『鬼』には見えなかった。その真っ赤な顔面は、夕日に照らされてのことではないだろう。額の両脇には、申し訳程度の小さな角が二本ずつの計四本が生えている。長く伸びた白髪に、まるで修験者を思わせる服装。凡そ2m程と境界鬼テルミナリアにしては小柄な体躯。そして最も目を引くのは、長く伸びた赤い鼻。


「・・・天狗、かしら?」


『ソレ』は紛れもなく、天狗だった。

 古くから伝承に謳われ、しかし現在ではその存在は空想上のものと言われている天狗。元々は魔物、あるいは妖怪として人々から恐れられていた天狗だけれど、いつしか『山の神』として崇められるようになった。

 有名なところで言えば牛若丸に剣術を教えたと言われる鞍馬天狗・鞍馬山僧正坊。或いは日本八大天狗の筆頭、愛宕山太郎坊などだろうか。眼の前の彼が、それらの天狗と関わりがあるのかどうかは知らないけれど。

 嘘か誠か、天枷家にも天狗との戦いの記録は残っているらしい。私はそんな記録を見たことがないし、興味も無いのだけれど。


 とまれ、敵が天狗のような姿をしているという点だけを見ても、眼前のそれが今までの境界鬼テルミナリアとは異なることの証左といえるだろう。剣撃を躱された際に感じた私の勘も、存外馬鹿に出来ないものだと我ながら感心する。


 敵前にありながらそんな思索に耽っていると、私が破壊して蹴り飛ばした敵の左腕から煙が上がっているのが見えた。何が起こるのかと黙って観察してみれば、ほんの数秒も経たない内に蹴り飛ばした筈の左手がすっかり再生していた。

 確かに、過去に確認された『天魔』は例外なく再生能力を有していたと事前に説明を受けている。けれど実際に目の当たりにしたそれは、再生能力と一言で済ませてしまってもよいような代物では無かった。さしずめ『超再生』とでもいうべきか。


 僥倖だった。これならば、飽きるまで何度も何度も壊せるから。

 控えめに言って最高だった。こんな玩具を送ってくれたお父様には感謝しなければならない。


 そうして腕を再び生やした天狗が、私の方をちらりと見て笑みをこぼした───ような気がした。私の攻撃など通用しないと、そう言いたいのだろうか。

 

 正直に言えば、ここで距離を取らされたことが既に誤算、というよりも私の目論見からは外れていた。遠距離攻撃手段が無いわけではないけれど、基本的に私は近接戦闘を得意としている。感応力リアクトの射程の都合もあって、敵の懐に飛び込んで戦うタイプだ。

 けれど確かに今、一度自分の間合いに敵を入れたというのに、私は自ら後退してしまった。剣閃を躱されたどころか、反撃に転じて見せた予想外の敵の実力によって。生憎と、プライドに傷を付けられただとか、そんな安いモノは持ち合わせては居ないけれど────。


「態度が気に入らないわね」


 何を笑っているのやら。勘違いも甚だしい。

 成程確かに、貴方も私と同じように、ただ壊す為だけに生まれたのでしょう。けれどそんな事は私には関係がない。関心がない。壊すのは私で、貴方が壊れる側。それが今この場に存在する絶対不変のルール。


 不本意にも『災禍』だなんて呼ばれている私だけれど、普段はあれでも意識して被害を抑えている方なのだ。けれど幸い此処は敷地外の森の中。最高の条件の中、誰に憚ることなく自由に遊ぶことが出来る。


「ふふっ。ひざまづかせてあげるわ」


 ほんの僅かに身体を沈めた刹那、地を這うように全力で駆け出す。長すぎる忌火の刃を大地に擦りつけながら、己が壊す側だと誤認している生意気な天狗の元へと。

 低姿勢で肉薄する、そんな私を迎え撃ったのはシンプルな蹴り上げだった。如何に境界鬼テルミナリアの膂力を以てして放たれた高速の蹴りだとしても、当然その程度では私に当たるわけもない。僅かに左方へと身体を捻ることで回避し、そのまま忌火を上段から振り抜こうとした、その時だった。


 蹴り上げた姿勢で急停止、そのまま眼下の私へと踵が振り下ろされた。一体どういう訳か、この敵は格闘技地味た動きをするらしい。攻撃を次の攻撃へと繋ぐ。これは歴とした技術だ。

 忌火は私のリーチを補う為に異様な長さを誇っている。つまりその長さの分、敵に到達するのが遅くなる。このタイミングならば、ほんの僅かに忌火よりも踵落としのほうが速い。


 瞬時にそう判断した私は攻撃を中止。既に捻っていた身体を、更に無理矢理捻ることで踵の軌道から弾き出す。直後、掠りそうな程に私のすぐ隣を通過していった踵落としが、大地を穿った。辺り一面に轟音を響かせ、土煙と大小様々な破片を巻き散らかした。

 まるで私のすぐ隣で地雷が爆発したかのような、凄まじい衝撃だった。まともに受けていれば、ただの一撃で私は肉塊に成り果てていただろう。


 私は空中で体勢を整え、そのまま破砕された地面を左脚で踏みしめる。殲滅戦の決勝で見せたような、あんな手加減は必要がない。地面を壊す時はこうするのだと、彼に手本を見せて上げることにしよう。


「『ひびき』ッ!!」


 既に無惨な姿となっている地面が、私の感応力リアクトによって更なる破壊に晒される。金属を無理矢理捻じ曲げたような不快な音と共に、指向性を与えられたその衝撃波は至近に居た天狗を飲み込み、生い茂る樹々や巨岩をも巻き込んで。そうして『響』によって齎された破壊は凡そ100m程先の地点まで、その全てを粉々に破砕し尽くした。


「あっはははははッ!!加減が要らないなんて最高ね!!」


 局地的に崩された山と森が悲鳴を上げる。

 舞い上がる土煙の中、恥ずかしくも私は快感に浸ってしまっていた。けれどこればかりはどうしようもない。抑えられない。これが私なのだ。

 普段どれだけ抑えていようとも、私の本質は今も昔も変わらない。壊すことを止められない。こうして何かを壊している時だけが、唯一私が全てを曝け出せる時間なのだから。


 けれど、内から湧き上がる快感に耽溺している私を邪魔する者が居た。

 最初に感じたのは高音。次いで耳を撫でたのは心地よい空気の揺れ。直後、視界を埋め尽くす土煙を切り裂いたのは『風』だった。煙の奥からやって来たその風は、螺旋を描きながら土煙を巻き込み、僅か一秒にも満たない内に私へと到達する。


 嫌な予感を感じた私は、反射的に身を翻した。

 その刹那、背後から聞こえてきたのは甲高く連続した不思議な音だった。見ればそこには、まるでドリルで穴を空けられたかのように穿たれた樹々の残骸が転がっていた。一際大きな大木に残されたその爪痕は荒々しく、幾重にも重なった螺旋状の傷跡が残っている。


「・・・『風』を操れるのね。これじゃあまるで感応力リアクトじゃない」


 恐らく先程の音は掘削音だ。圧縮した空気を螺旋状に放ち、風の刃で軌道上の物を斬り裂いた。『まるで感応力リアクト』だなんて言ったけれど、私は感応力リアクトでこれほどの芸当を為せる人間を知らない。まぁ、私の知る感応する者リアクターなんて家族と純白達くらいのもので、一般的に知名度のある感応する者リアクターなんてそもそも知らないのだけれど。


 風の訪れた先へと視線を向ければ、全身から煙を上げ身体を再生している天狗の姿。どうやら先の攻撃で少なからずダメージは与えられたらしい。とはいえ、粉々にするつもりで行った『響』だったのだけれど。


「あぁ────楽しいわね。こんなに頑丈な玩具は初めてだわ」


 境界鬼テルミナリアに言葉など通じない。

 けれど私には確信めいた予感があった。言葉が通じずとも、恐らく私の意志は伝わっている。ここまでの戦いで、私は敵の事を大凡理解していた。人間と境界鬼テルミナリアという違いはあれど、きっと私達は同じ根源を持って生まれた存在だ。


 それは、彼の表情を見れば一目瞭然だった。

 好戦的な瞳に、剥き出しとなった牙。私を壊そうとする意志。その総てが綯い交ぜになった、酷く綺麗な顔をしていたから。

 そして恐らく、私も同じ顔をしているのだろう。


「あはっ!あはははっ!!そうよ、そうでなくっちゃ!私が壊れるか、貴方が壊れるまで終わらないッ!!まだまだ始まったばかり、そうでしょう!?」


 返事はなかった。

 けれど代わりに、山を震わせるほどの低く大きな雄叫びが彼の口から放たれる。


「──────最ッッッッッ高!!跡形もなく壊してあげる!!」


 もはや言葉など要らなかった。

 自分こそが壊す側だと、お前こそが壊される側だと。此処から先は、そんな我儘と我儘で殴り合うだけなのだから。

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