第62話 従者

 境界鬼テルミナリアと戦う際、例え正規の軍人であっても一対一での戦闘は避ける。それは確実に討伐するための基本方針であり、安全に対処するための保険でもある。


 例えばCカテゴリーCの境界鬼テルミナリアに対してはC級感応する者リアクターが二人で討伐にあたる。二対一、これが管理局の定めた感応する者リアクター境界鬼テルミナリアの基本的な戦力比だ。

 これを鑑みれば、数ヶ月前に蘇芳三佐の部隊が苦戦を強いられた討伐作戦も、然もありなんといったところだろう。


 つまり今、純白達を睨みつけている三体のC級境界鬼テルミナリアを倒すには、少なくとも六人のC級感応する者リアクターが必要になるということだ。

 実戦経験の無い学生達が境界鬼テルミナリアを一体倒しただけでも称賛に値する優れた戦果だが、しかし手負いとなった純白達にとって、今の状況は荷が重いどころの話ではなかった。


 そんな状況の中にあっても、純白は脳裏に忍び寄る絶望を振り払い必死に考えを巡らせていた。『思考を放棄するな』と禊は言っていた。『身体が動かない時は頭を動かしなさい』と姉には言われている。

 故に考える。そうして考えた結果、答えは出なかった。どう考えてもこの状況は打破出来ない。この場で全員が都合良くB級に上がるようなことがあれば分からないが、在りもしない可能性に縋ったところで何の意味もないのだから。


 唇を噛み締め、ただ敵を睨みつけることしか出来ない満身創痍の三人。しかしそんな三人が次の瞬間目の当たりにしたのは、崩れ落ちる三体の境界鬼テルミナリアの姿であった。一体は首を切り飛ばされ、一体は腹に大穴を開けて、そして最後の一体は藻掻き苦しむように。


 下手人は何処かで見た覚えのあるメイド服を着た二人のメイドと、皺一つない執事服をぴしりと着こなした男の三人組だった。

 C級とはいえ、ただの一撃ずつでそれぞれが境界鬼テルミナリアを討伐してみせた。先程一体の境界鬼テルミナリア相手にあれほど手こずった純白達と比べれば、彼等の為した事がどれほどのものか。

 そんな三人が、呆気に取られた純白達の元へと歩み寄る。


「無事ですか?遅くなってしまい申し訳ありません」


「安心するの。すぐにホテルまで連れて帰るの」


「こちら商業区、要救助対象三名、確保しました」


 優しそうな声で純白に語りかけて来たのは、見た目二十代後半程のメイドだ。愛琳アイリン麗華リーファの元へも、見た目は十代前半程度、どれだけ良く言っても中学生程度にしか見えない小柄なメイドが声をかけている。そして残った執事服の男が、耳元に手を当て何処かへと通信を行っていた。

 まるで状況の分からない純白はかけられた言葉に返答することもなく、真っ先に彼女達へ誰何すいかした。


「あなた方は・・・?それにあんな子供まで」


「我々は天枷家に仕える者です。此度の境界振の予測が外れたことを受け、避難が遅れた方々の確保を行っております。ちなみにあちらの彼女はあれでも28歳です」


「禊さんの・・・?というか、え、嘘っ!?」


「・・・」


 純白が発した『禊』という言葉に一瞬眉を顰めるメイド。ごくごく小さな、表情を注視していたとしても気づくか気づかないかといった微妙な変化だった。純白はそんなことにはまるで気づかず、彼女が告げた衝撃の事実の方へと意識を割いていた。情報量の多さに困惑する純白だが、しかし執事服の男がそんな純白の事情など知ったことかと言わんばかりに話を進め始めた。


「疑問は多々在るでしょうが、先ずは此処を離れますよ。天羽あもうが先導して下さい」


「理解ったの」


 天羽と呼ばれた少女───にしか見えないアラサー女性───が、愛琳アイリン麗華リーファの元から離れてホテルまでの道を駆けてゆく。恐らくは帰路の露払いなのだろう。天羽に代わり、執事服の男が愛琳アイリン麗華リーファの護衛に着く。


「ま、待って欲しいですわ!まだ逃げ遅れた方が───」


「我々以外にも来ておりますので。それに、我々が先んじることにはなりましたが、『軍』も動いておりますのでどうかご安心を」


「それは───いえ、理解りましたわ」


 そう言われれば純白には言い返す言葉など無かった。執事の男が嘘を言っているようにも見えなかったし、事実、付近から聞こえていた戦闘音はいつの間にか止んでいる。そも、仮に受け入れられたところで実際に戦うのは彼等だ。負傷した自分達に出来ることなどない。事ここに至り、今の自分達が足手まといでしか無いことを純白は理解した。


 恐らくは先行しているらしい天羽が処理しているのだろう。何体かの境界鬼テルミナリアの死体が転がるばかりで、先程の死闘を思えばホテルへの帰路は随分と平和なものであった。

 そうしてホテルが見えてきた頃、純白達一行の元へと駆け寄る者が居た。聖と風花幾世である。


「お姉様ですわー!」


「純白!無事で良かった!」


「白雪さぁん・・・警報が鳴ったらぁ、すぐに避難するように授業で言いましたよねぇ?」


 顔を綻ばせる聖と、口の端をひくつかせながら小言を漏らす風花幾世。


「自分達は日本校の生徒じゃないから関係ない、みたいな顔してますけどぉ、あなた方も同じですよぉ?ワン愛琳アイリンさんとヘイ麗華リーファさん?」


「あ・・・人違いヨ。日本語ムズカシネ」


「・・・ソウヨ」


「・・・日本語話せるの知ってますからねぇ?当然ですが点呼を行うのでぇ、ホテルに避難していない生徒の名前はバレてますぅ。しかも各国で共有してますのでぇ、貴女達のことも全部バレてますよぉ?」


「まぁまぁ風花教諭、それくらいで。ともかく皆無事で良かったよ」


「まぁいいですけどぉ・・・後でたっぷり絞られるのは覚悟しておいて下さいねぇ」


 聖のとりなしによって矛を収めた風花幾世は、何処かへと連絡を入れた後に愛琳アイリン麗華リーファを連れて去っていった。恐らくは二人を中国校へと送りに行ったのだろう。風花幾世に先導され連れて行かれた二人は、まるで出荷された家畜のような哀愁漂う背中をしていた。


「さて・・・純白」


「は、はいっ!」


「・・・見違えたね。少し顔つきが変わったよ。何かあった?」


 何かあったかと聞かれれば、それはもう色々あった。

 ホテルに至るまでの道のりですっかり忘れていたそれを、純白が興奮した様子で聖へと話す。それはまるでテストで良い点をとったことを自慢する子供のようだった。


「そうですわお姉様!わたくし、境界鬼テルミナリアを一体倒しましたわ!」


「おや、それは凄い」


「・・・三人で、ですけれど」


「それは関係ないよ。強大な敵に立ち向かったという事実が大事なんだ。境界鬼テルミナリアと戦ったことがあるという経験が、いつか純白の役に立つときが来る」


「はい!ですわ!」


「ふふっ、強くなったね純白。流石私の妹だ」


 姉に褒められ、頭を撫でられ。

 満面の笑みで答える純白のその姿は完全に大型犬のそれであった。もしも彼女に尻尾があれば、それはもう盛大に、ちぎれんばかりに振り回していたことだろう。

 そうして暫く、自分達を助けてくれた者達のことをすっかり忘れていた純白が、慌てて彼等を紹介しようと振り返る。


「そうですわ!お姉様、わたくし達はこちらの方々に助けられ────」


「・・・うん?どちらの方々かな?」


「あら?居ませんわ?」


 純白達が聖や幾世と話していたのは僅かに数分のこと。しかし天枷の使いを名乗る彼等は、いつの間にかその場から姿を消していた。


「本当ですの!ここまで案内してくれましたの!天枷家の従者だと仰っていましたわ!・・・居ませんけど」


「ふふっ、別に信じていないわけじゃないよ。それに心当たりも、まぁ無いわけじゃないしね」


「・・・そうなんですの?」


「父様が凪さんと一緒になって何か企んでいるのは知っていたからね。内容までは知らなかったけど・・・多分それが今なんだろうね」


 そう言って聖が腕を組んで思案する。

 互いに繋がりはあるといえど、『六家』の中でも他家との関わりが希薄な二家が手を組んで一体何をしているのか。

 天枷家は『六家』の中でも、とりわけ武力に優れている。天枷家従者部隊の話も聞いたことがあるし、その実力も噂程度には耳にしている。そんな彼等を引っ張り出して来ているということは、恐らく天枷家にとっても、そして白雪家にとっても重要な事なのだろう。

 次期当主にも関わらず詳細を知らされていない聖ではあるが、この場には『あの』天枷神楽も来ていることを考えれば──────。


「ま、考えても仕方ない。何も知らされていないってことは、知る必要が無いか、知られたくないかのどちらかだよ」


「・・・?」


「あはは、純白は気にしなくてもいいってことだよ」


 今、生徒会長である自分が考えなくてはならないのは第一に学園生の安全だ。思考の沼に嵌る前に考えることを止めた聖は、純白を連れてホテルへと向かって歩き出した。




 * * *




「神楽様、天津の隊が商業区の救助活動を完了しました。負傷者こそ居るものの、死者はありません。残りは医療棟に残る数名のみとなります」


「結構。では従者達を全て撤収させて頂戴。医療棟は『軍』が対応する筈です。撤収後は手筈通りに。私もすぐに行くわ」


「畏まりました」


 疑義など挟む余地もない。簡潔な受け答えの後、久奈妓が退室する。

 部屋に一人残された神楽が、ほぅと息を吐く。


(想定よりも数が多いけれど、ここまでは概ね予定通り。怪我人が出てしまったのは───私のミスね。けれど今ここで証拠を掴まなければ、次は無い・・・迷惑な老人達の相手をするのも大変だわ)


 これまでと、そしてこれからの事を考えた神楽が、重い肩をぐるりとまわす。そうして誰も居ない部屋で静かに独り言つ。


「私も歳かしら・・・温泉にでも浸かってゆっくりしたいわぁ」


 そう言って神楽は部屋を後にする。願望は所詮願望で、神楽に休んでいる暇など無い。彼女の、彼女達の企てはこれからが本番なのだから。

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