第58話 少女の一日

 扉を叩くノックの音。

 上手く回らない思考の中で、最後の抵抗をするかのように布団に包まる。

 少しして再度叩かれる扉。それでも暫く無視していると、扉を開ける音と誰かが近づいてくる足音が聞こえる。


 足音はベッドで丸くなった私を通り過ぎ、部屋の奥にある窓の方へと向かってゆく。聞こえてくるのはカーテンを開ける音と、窓を開く音。

 寝ぼけ眼を擦り布団から顔をのぞかせれば、部屋に抜ける風が頬を撫でる。すっかり夏になった近頃だけど、早朝はまだ少し涼しい。


「おはようございます、お嬢様」


「ぅ・・・おはよう・・・」


「起きて下さい。もう七時ですよ」


「ぅぅ・・・あと・・・一時間だけぇ・・・」


「欲張りすぎです。五分くらいならと思いましたが、やっぱり駄目です」


 無慈悲な宣告と共に、力づくで引っ剥がされる私の最後の砦。部屋に差し込む光が、閉じた瞳を瞼の上から攻め立てる。うつ伏せでベッドにしがみつき、なおも抵抗を続ける私へと困ったような声が届く。


「今日はお昼から対抗戦をご覧になるのではありませんでしたか?早く起きて頂かないと間に合いませんよ?」


 その一言に、私の意識が急速に覚醒を始める。

 はっとして飛び起きた私の目の前には、上から下まで、皺一つないメイド服をキッチリと着こなした、いつもと何も変わらぬメイドの姿。


「そうだった・・・!!おはよう、初穂はつほさん」


「はい、おはようございます」


 そうだ、今日の試合は絶対に見逃せない。

 覚醒を始めた意識とは裏腹に、未だ重い身体を引きずりながらシャワー室へ。そのまま手早く寝巻きを脱ぎ散らかして、冷たいシャワーを浴びる。

 シャワー室を出た頃には流石に意識も身体もすっかり覚めて。初穂さんが用意してくれていた着替えを纏い、丁寧に髪を乾かして。

 そうしている間に、部屋には初穂さんが朝食を運んできてくれていた。ワゴンに乗せられたそれは、手早く食べられるような簡単なものだ。もちろん、簡単といっても質の話じゃなくて。パンからスープまで、全て家のシェフが作ったとても美味しい料理だ。


 朝食を食べ終えた頃、時刻は八時の少し前。少し遅くなってしまったけれど、急げばなんとか第二試合の開始時間には間に合いそうだった。よもや初戦で負ける筈は無い、と信じたい。

 部屋を飛び出した私はそのまま訓練場へ向かう。私に課された朝の訓練メニューはそんなに多くはない。一周200m程の訓練場、その外周を20週ほど走った後は武器の訓練。剣に始まり、槍、薙刀、刀。一通り振り終えたら、朝のメニューはこれで終わり。私を見守る初穂さん以外には誰もいない、たった一人で行う毎日の訓練だ。


 朧げだけど、薄っすらと残る幼いころの記憶。今となってはそれが記憶なのか、それともただ『こうだったら良かったのに』という妄想なのか、私には判別がつかないけれど。そこでは、私は一人じゃなかった。むっつりとしたどこか不機嫌そうな顔で、けれど丁寧に手本を見せてくれる誰かが隣に居た───ような気がする。


 訓練を終えた後は、初穂さんからタオルを受け取ってシャワー室へ。

 私はお風呂が大好きだ。もちろんシャワーも好きだけど、どちらかといえば湯船に浸かってゆっくりしたい方だ。けれど今の私にはそんな時間は残されていない。

 手早く汗を流して部屋に戻れば、初穂さんが髪の手入れをする準備を整えて待ってくれていた。ついでに私が楽しみにしていた対抗戦の配信も流してくれている。


 初穂さんの前の椅子に座って、全てを初穂さんに任せる。

 少し寝坊したけれど、急いで日課を終えた甲斐あってどうにか間に合うことが出来たらしい。配信の画面を見てみれば、丁度これから第二試合が始まるところだった。鏡に映る自分の顔を横目で見てみれば、子供のように瞳を輝かせている私の姿。その後ろの初穂さんと鏡越しに眼が合えば、彼女はそんな私を見て微笑んでいた。非常に恥ずかしい。


「あ、聖さんだ。やっぱりかっこいいなぁ」


 白雪家の次期当主、白雪聖さん。

 彼女は押しも押されぬ日本のエースだ。去年も、一昨年も、日本校を引っ張って対抗戦を戦い抜いたその実力はまさに一級。今すぐに軍に入っても一線級の活躍が出来るだろうなんて言われている人で、私なんかとは比べ物にもならない、まさに『エース』と呼ぶに相応しい実力者だ。

 そんな聖さんの隣で、カメラに向かって満面の笑みで手をふる綺麗な選手が映る。


「こっちは噂の妹さんかなぁ?あんまり似てないね」


純白ましろ様ですね。白雪聖様の異母妹だったかと」


「あ、それでかぁ。でもやっぱり綺麗な人だね。愛嬌もあるなぁ」


「中々愉快な方だと耳にしております」


 来年は聖さんが居ないけれど、純白さんは来年私の先輩になる。

 仲良くしてもらえるといいけれど。


 試合が始まって暫く。

 カメラに映ったのは大怪我をして地面に倒れ伏す日本の縹千早選手だった。


「うぁ・・・今の、相当な威力だったよね?・・・大丈夫かな」


 彼もまた、聖さんと並んで日本を牽引するエースの一人だ。

『六家』の一つ、縹家の次期当主で、切れ長の瞳がクールな印象を与えるイケメンだ。対抗戦ファンからの人気も高いし、本人の実力も折り紙付き。日本校が勝つためには彼の存在は不可欠だ。そんな彼が倒されたからだろうか、実況も悲鳴を上げている。


『ああっ!?これは・・・メルヴィン選手の過剰攻撃オーバーアタックでしょうか!?爆風でよく確認出来ませんでしたが、縹選手が負傷したようです!彼の安否が心配です』


『いえ、恐らく今のは・・・中断はされないでしょうね。ああ、やはり続行ですか』


『何故なんでしょうか白糸さん!明らかに危険行為ですよね!?』


『今のケースは説明が少し難しいんですが・・・簡単に言えば、故意ではないからです。一般の方には馴染みがないかもしれませんが、軍属の現役感応する者リアクターであれば誰しもが経験する、ある種仕方のない事なんですよ』


 解説の人が言っているのは、感応力リアクトの成長のことだ。学園生や一般人にはあまり知られていないそれは、『再覚醒』と言われることもある、感応する者リアクターが強くなる上で必ず経験することになる現象のこと。

 再覚醒した直後の感応する者リアクターは、突如成長した自分の感応力リアクトに感覚が追いつかず、力加減を間違えてしまうことが多いらしい。本来であれば平場で徐々に慣らしてゆくことが出来るのだけれど、今回はそれが対抗戦中に起こってしまった珍しいケースと言える。


 日本は無事、と言っても良いのかは理解らないけれど、試合には勝利することが出来た。魅入っていた私もつい胸を撫で下ろしたけれど、決勝戦に縹選手が出場出来なくなれば日本にとっては大きな大きな痛手になる。


 決勝戦を前にインターバルに入った対抗戦。

 配信では、実況と解説の二人が何やら議論を交していた。毎年対抗戦を楽しみにしている私としても、悲願の初優勝が懸かったこの決勝戦はなんとか勝って欲しかった。

 けれど相手は、『あの』モニカ・ラブレット擁する前年優勝校のアメリカ。配信を聞く限り、どうやら縹選手は次の試合までに復帰することが難しいらしい。彼を欠いた状態でアメリカに挑むことになる日本は、ハッキリ言って絶望的な状況だと言わざるを得ない。


 インターバルの間は、過去の対抗戦の試合映像や、昨年のモニカ・ラブレットの戦いぶり、今年のハイライトなどが配信で流されてゆく。昼食を食べながら食い入るように配信の画面を見つめていると、いつの間にか決勝戦が始まる直前になっていた。


 実況が各選手の入場と共に簡単な紹介を行ってゆく。

 そうして聖さんの紹介が終わった時。次の瞬間、私の心臓が大きく音を立てた。画面に映し出されたのは、見たことのない真っ赤な管理局ID。華美ではなく、どちらかと言えばシンプルで纏まった、けれど高級感溢れるデザイン。


 しどろもどろになりながらも話す実況と、今の私の動揺はとても似ているかもしれない。ムスっとした不機嫌そうな顔でカメラを睨みつける黒髪の女性。近頃はめっきり顔を合わせることの無くなった、とても整った見覚えのある顔。


「・・・姉、さん?」


 そこに映っていたのは、世界に七人しか居ない『七色』の一人にして私の姉。天枷禊、その人だった。

 姉が学園に入学したことは聞いていた。けれどあの目立つことを嫌う姉が、面倒事を嫌う姉が、この場に姿を見せるなんてまるで予想していなかった。


 驚き困惑する私を他所に、試合開始のブザーが鳴る。

 その直後、姉さんが足先で軽く地面を蹴り飛ばしただけで、アメリカの選手が半分リタイアになった。飛び散る岩が直撃した選手や、倒壊した木に挟まり動けなくなった選手。割れた大地に引きずり込まれて脚を負傷した選手もいた。

 ただの一撃でこの有様だ。そしてこれが、随分と手加減をしていることを私は知っている。


 姉さんの感応力リアクトは『破壊デストラクション』。

 読んで字の如く、全てを破壊する力。姉さんが『壊す』という確たる意志をもって触れたものは、それが何であれ形を失う。そこに破壊に至るまでの過程は存在せず、『壊れた』という結果が先に来る。


 例えば玩具の人形があったとしよう。

 それを壊そうとした時、通常であれば腕に力を込め、そうして人形へと加えられた力が人形の耐久度を越えた時、人形の腕はちぎれて、中の綿が飛び出したりする。そうして初めて壊れる。


 けれど姉さんの感応力リアクトには、そうした『壊れた理由』というものが存在しない。姉さんが触れたものは先ず『壊れる』。壊れたから腕が千切れて綿が飛び出す。過程と結果が逆なのだ。姉さんの感応力リアクトには対象の耐久度は関係がなく、壊れる理由も必要ない。姉さんが『壊す』と思ったから壊れるのだ。


 それは謂わば『壊す』という概念そのものだ。

 壊れる理由が必要ないということは、本来ならば壊すことの出来ないものまで壊せてしまうということだ。それが例えば、通常では手で触れることの出来ない、感応力リアクトによる雷のような、非物理的なものであっても。

 当然だけど、雷は手で触れることが出来ない、だから壊せない。けれど姉さんの感応力リアクトには、『手で触れることが出来ないから』という理由が要らない。関係がない。そんな些細な理由はどうでもよくて、ただ『壊れる』。


 そんな姉さんの感応力リアクトは、当然のように固有ユニークだ。他に類似するもののない、ただ一つの力。

 それだけでも恐ろしい力だけど、質の悪いことに姉さんは戦闘技術まで飛び抜けている。生まれ持った才能と、幼い頃から当たり前のように続けてきた血の滲むような修練の果て。そこに『破壊』という姉さんの根幹を加えることで、『天枷禊』という化け物は完成した。


 モニカ・ラブレットが姉さんと対峙する。

 けれど私には理解る。理解ってしまう。昨年の目覚ましい活躍と、『天才』の呼び名に恥じない学生離れした圧倒的な実力。今となっては世界中に名を知られたモニカさんだけど、今回ばかりは相手が悪い。


 私の予想通り、まるで赤子をあやすかのように姉さんにあしらわれているモニカさん。ただの一度も剣を届かせる事が出来ず、焦りと動揺が顔に張り付いていた。

 そんな彼女が、目の前に立っているだけの姉さんを突然見失う。


「凄い・・・『うつろ』だ」


 それは天枷に伝わる奥義の一つ。

 きっと観客も、実況も解説も、そしてモニカさんも。何が起こったかは誰も分かっていないだろう。姉さんは笑いながら簡単にやってのけたけれど、それがどれほど難しい技術か私には良く理解る。


 何度聞いても、何度やっても、私には理解出来なかった。ハッキリ言えば、到底人間に出来る技じゃない。天枷の長い歴史の中でも、習得出来た人は殆ど居ない。その馬鹿げた技術の存在を知っている私でさえも、実際に成功させているのを見たのはこれが初めてだ。


 そうこうしている間にも試合は進み、気づけば聖さん率いる日本校の選手たちがアメリカの本陣へと総攻撃を仕掛けていた。

 結果は圧倒的。姉さんがモニカさんを倒した時点で残った選手はゼロ。測ったかのようなタイミングで同時に本陣の制圧が為され、日本校の勝利が決まった。日本側のリタイアは僅かに二人。まさに圧勝だった。


 その勝利劇が誰の手によるものなのか、そんなことは誰の眼にも明らかだった。

 これが『災禍の緋』、天枷禊。


「・・・やっぱり、凄いなぁ」


 無意識のうち、つい口をついて出た言葉に気づいて、私の意識が配信から離れてゆく。ふと時計を見れば、すっかり昼を過ぎていた。


 午後の訓練は、午前に行ったそれよりもずっと多い。

 対抗戦の観戦で時間が押している分、大急ぎで取り掛からなければ夕食に間に合わない。


 急いで席を立った私は、部屋を出る前にもう一度配信画面へと眼を向けた。そこには腕を組み、まるで何事も無かったかのように悠々と会場を去る背中。

 今は疎遠となってしまった、そんな私の姉の背中が、配信の画面に大きく映し出されていた。


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