第52話 召喚
『殲滅戦』準決勝、日本対イギリス。
結果から言えば、この試合は日本の勝ちで終わった。
各選手から送られてくる通信によって戦況を把握していた白雪聖は、敵の人数が五人となった時点から前進を始めた。そのまま指示を飛ばしつつ包囲網を狭め、敵残党を丁寧にリタイアさせていった。想定外はあったものの、概ね作戦通りの展開で勝利を収めたと言えるだろう。
明らかに過剰な攻撃が行われたにも関わらず、イギリス側の違反行為とは見做されなかった。理由は単純で、メルヴィンの放った過剰な威力の
故意か過失か、どうしてそれを証明するのか。通常ならそれはとても難しいことだけれど、今回の場合は非常に簡単。この場には何人もの現役
ある者は実戦で。ある者は日常生活で。
状況や回数に差異はあれど、
故に、メルヴィンが故意に行った訳では無いということは多くの者が理解している。強いて言うなら、
そのメルヴィンも、自らの意図せぬ危険行為に呆然としていたところを、既の所で攻撃を避けることに成功していた純白ともう一人の選手によって撃破されている。純白もそうだけれど、もう一人の一年生の彼も中々悪くない動きをしていた。あの状況で咄嗟に回避を選べるのなら及第点と言えるだろう。
問題は純麗と、その兄であった。
『見事勝利を収めました日本・・・ですが、縹選手の怪我が気になります。大丈夫でしょうか』
『かの八月花鶏さんがいらっしゃるので大丈夫だとは思いますが・・・今大会、彼はここまで白雪聖選手と共に日本を牽引してきたエースの一人ですからね。彼の離脱は、日本にとって非常に苦しい展開と言えるでしょう』
『そうですね・・・勝利はしましたが、なんとも素直に喜べないような結果となってしまいました』
強敵イギリスに勝利したというのに、実況も解説も、観客達でさえも素直に喜ぶことが出来ない。仮にも戦闘を行っているのだから怪我など当たり前で、選手達も皆、それを覚悟で全力を尽くしているのだから、盛大に勝利を喜べばいいと私は思うのだけれど。どうやらそんな私は少数派のようである。
「純麗ちゃん大丈夫かな・・・」
「あの子は問題ないわ。精々が捻挫程度ね。問題は純麗を庇った彼の方だけれど───まぁ、あの怪しい藪医者が居るのだからなんとかなるんじゃないかしら」
心配そうに映像を見つめる一ノ瀬さん。そこには意識を失い担架で運ばれる縹千早と、目に一杯の涙を浮かべて付き添う純麗の姿が映っていた。
そう。
一体どういう訳か、あの縹千早が逃げ遅れた妹を庇ったのだ。防御系でも無いというのに、純麗に代わって敵の攻撃をまともに受けていた。
先の模擬戦後に少しだけ感じた違和感と同じ。表面上は妹を蔑みつつも、裏ではそれほど悪く思っていないのか。あの時も思ったけれど、彼からは随分とちぐはぐな印象を受ける。これは所謂、ツンデレとかそういうアレだろうか。
勝ったとは思えないほどの、どんよりとした鈍色の空気に包まれた会場。そこで私達は、投影されているハイライトを眺めていた。この後は昼休憩を兼ねた長めのインターバルの後、決勝戦となる。押し寄せる特大の嫌な予感を精一杯無視して、社の作ってくれたサンドイッチを口に運ぼうとした、その時だった。
今私達の座っている最後列の席。すっかり固定席となったここからよく見える、関係者用観客席への入り口付近に、風花先生が立っていた。きょろきょろと、風花先生が何かを探すように首を振ること数秒。彼女の視線は、私のそれと交差していた。
「天枷さぁん?ちょっといいですかぁ?」
─────嗚呼。分かっている。そうだろうとは思っていた。あわよくば、このまま何事もなく閉会して欲しい。そう思っていたけれど。
「・・・はぁ。やっぱりこうなるのね・・・」
約束は約束だ。お母様からの言葉もある。こうなった以上は腹を括るしかない。
隣に座る社の方を見てみれば、彼女は全てを察した様子で、お母様から受け取った紙袋を漁っていた。
そうして彼女が取り出したのは、いつぞやの入学式でも見た黒光りする長大な砲身。あの時のものよりも更に長い、もはや何に使うのかすら分からないようなカメラの望遠レンズだった。
「・・・貴女、それ」
「私は仕事がありますので、申し訳ありませんが禊様お一人で」
「・・・はぁ」
着々とカメラの準備を進める社と、何やらキラキラと目を輝かせてこちらを見つめる一ノ瀬さん。私は滾々と湧き出る溜息を一つだけ吐き出し、渋々席を立った。
* * *
「もう察しているとは思いますけどぉ、来ちゃいましたねぇ、出番」
「・・・そうですね」
「こう言うと不謹慎かもしれませんけどぉ、私は少し・・・いえ、とっても楽しみなんですよぉ。『あの時』の貴女がまた見られるかと思うとぉ、年甲斐もなく興奮してしまいますぅ」
「・・・それは重畳です」
通路を抜け、現在は医務室の方へ風花先生と共に歩いている。
風花先生の話によれば、まだ確定した訳ではないらしい。現在行われている診察と治療の結果次第、とのことだ。
腹を括った、などという私の決意は、ぶら下がった一本のか細い糸の前で揺れに揺れていた。私は心の中で、縹千早と八月花鶏を精一杯応援した。ついでに神にも祈った。それはもう、今年に入って一番の信仰心だと断言出来る程に。元々神に祈ったことなんて無いのだけれど。
そうして歩くこと数分、医務室の前までやって来た私達。部屋の中の会話はまるで聞こえないけれど、気配から察するに、あまり楽しい事にはなっていないようだった。
扉を三度ノックし、返事を待ってから中へと入る。
「・・・入るわよ」
医務室の中に居たのは白雪聖と純白、それに見覚えのない教師が二人。心配そうに眉を下げた純麗の前には、ベッドで横になった縹千早。そして怪しい白衣の女。計七人である。どうやら縹千早の意識はまだ戻っては居ないようで、純麗は私に気づきつつも、すぐに兄の方へと視線を戻していた。
「ああ、呼び出してゴメンね。待っていたよ禊さん」
私に気づいた聖が立ち上がり、両手を合わせて謝意を伝えてくる。純白にしては珍しく、どこか居心地悪そうにしながらも静かに座っていた。
「それで、どうなのかしら?彼は次の試合に間に合うのかしら?」
悪あがきだとは分かっているけれど、私は往生際悪く目の前に垂らされた糸にしがみついてみた。そんな私の問に答えたのは八月花鶏だった。
「死にさえしなければと言った以上、無論治しては見せる。でもまぁ、あと一時間では流石に間に合わない・・・ところで君は?」
私の方へと振り返り、誰何しつつ立ち上がる八月花鶏。彼女はそのまま、死んだ魚のような瞳で私を見つめ、頭の先から足の先までをじろじろと観察する。目つきの所為か、或いは濃いクマの所為か。胡散臭過ぎる彼女の視線は、なんとも言えない不気味さを感じさせる。直截に言って不愉快だった。
「ふむ・・・おや?もしかして・・・おやおや?これはこれは・・・成程ねぇ」
「不躾ね。他人をじろじろと見るものじゃないわ」
「おや?これは失敬・・・噂の『緋』が、こんな可愛らしいお嬢さんだとは思っていなくてね」
どうやら私のことは知っているらしい。今の観察で一体何が理解ったのか問い質したい気持ちも少しはあるけれど、それ以上に、この手合は関わり合いにならないほうが無難だ。この怪しいマッドサイエンティスト地味た女が『希望の白』などと呼ばれているのだから、二つ名を決めた何処かの誰かは相当センスがない。
「さて、状況は聞いての通りだよ。お願い出来るかな?」
「・・・ええ。約束は約束だもの。本当は『純白か純麗の代役なら受けても良い』という内容だった筈、なんてケチな事は言わないわ。ええ、私はそこまで狭量では無いつもりよ。気にしないで頂戴」
「・・・貸し一つで」
我ながら意地の悪い言葉だとは思うけれど、言ってみるものだ。白雪家次期当主に貸しが作れるのなら、まぁそれほど悪い取引でもないだろう。これで貸しは二つかしら?当分はこれをネタに強請れそうだ。
そんな風に考えていたところで、部屋に居た見知らぬ教師のうちの一人から声をかけられた。
「私は学園長の来栖だ。直接会うのは初めて・・・という訳でもないんだが、君は覚えて居ないだろうからな。初めまして、会えて光栄だよ」
「・・・初めまして」
学園長と名乗った見知らぬ女性は、どうやら私と会ったことがあるような語り口だった。けれど、どれだけ記憶を遡行しても覚えがない。もしこの場に社が居れば『禊様は他人に興味が無さ過ぎます』などと言われていただろうか。
「君がここにいる経緯は白雪から軽く聞いている。こんな事になって申し訳ないとは思うが、対抗戦の優勝は彼女等にとって、そして我々にとっても悲願だ。私からも是非、お願いする」
そういって頭を下げる学園長。
無論、私が『七色』だからだろう。そうでなければ、学園長程の人物が私に頭を下げるなんて有り得ない。同時にこうも思う。私のような小娘にも頭を下げなければならないほど、『七色』とは大それたものだろうか、と。
私はただ自分の好きなように振る舞ってきただけだ。そんな私だから、見知らぬ相手に頭を下げて懇願された所で居心地が悪いだけだ。
そもそもここに来た時点で、出場することには同意しているのだから。先程の聖への意地悪が、要らぬ心配を抱かせてしまったのかも知れない。
「そう頭を下げて頂かなくとも、元よりその為にここへ来ましたので」
私の言葉に、聖と学園長が安堵の顔を見せた。そう私の顔色を窺わなくたって、別にとって食べたりはしないわよ。奥で満面の笑みを浮かべている純白を見習って欲しい。
「禊さんと一緒に戦えますの!?やりましたわ!!遂にこの日が来ましたわぁぁぁ!」
前言撤回。
医務室で絶叫するような女は、彼女だけで十分だ。
ともあれ、出場するからには真面目にやらなければならない。もしも手を抜こうものなら、お母様から何を言われるか分かったものではないのだから。
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