第47話 闖入者

 舞台上の二人は動かなかった。

 試合開始のブザーは既に鳴っているというのに、まるで様子を窺うかのようにゆっくりと距離を詰めるメルヴィン・ペンフォード。まさか臆したわけでもないだろうに、額から汗を流しながら対戦相手を見据えている。構えた長剣は刃を潰してあるけれど、その切っ先は絶えず相手へと向けられていた。


 一方のモニカ・ラブレットは、ただ立っているだけのように見えた。

 リラックス、或いは自然体。相手を見つめてはいるものの、その立ち姿からは余裕すら感じられる。右手に握られているのは細剣、所謂レイピアだ。刺突用とされるそれは、その先端を丸く潰してある。


 使い慣れない貸出武器を使うよりも、いっそ徒手空拳の方が幾分戦いやすいのではないかと思うのだけれど。私がそんな風に考えながら、動かない二人を見ていた時だった。


「彼女は格闘センスが最悪デース」


 私と社、氷柱が座る最後列の席の更に後ろから声がする。非常に嫌な予感がした。

 私達が最上段に座っている以上、関係者用席の後ろには通路しか無い筈なのだけれど。


「メルヴィンの剣は持っているだけだな。本人曰く、何か握っていた方が素手よりも感応力リアクトが扱いやすいらしい」


 聞き覚えのある二つの声に、振り返ることすら億劫で。

 とはいえ明らかにこちらへと会話を振っている、そんな二人を知らぬ存ぜぬで無視するのも無理がある。ため息を一つ零して、渋々言葉を返すことにした。


「はぁ・・・貴女達、実は暇なのかしら?」


 振り向けば案の定、例の二人がそこに居た。

 一人は姿勢を正して直立し、一人はフェンスに寄りかかり。対象的な二人は、まるでよく訓練された犬と、自由気ままな猫のようだ。


「いやいや、私は教え子の試合を見に来ただけさ。そうしたら偶然にも、君の姿が見えたものでね。折角だから君の意見を聞きたいと思ったのさ」


「ワタシは暇デス!仕方がないのでミソギを探して会場を回っていた所デース!」


 前者はともかく、後者は最悪だった。

 よりによって喧しい方に目をつけられてしまった。

 そもそも彼女は一応とはいえ、仕事の体で日本に来たのではなかったか。ここ数日、というよりもこの開催地に来て以来、ほぼ毎日どちらかと遭遇している。よく出会うどころの話ではない。明らかに意図して会いに来ているだろう、と疑い始めていたところだったけれど、やはりエリカは態々私を探して居たらしい。


「・・・暇ならホテルで大人しくしていればいいじゃない」


「オゥ、相変わらずつれないデスネ。折角仲良くなったのだから、一緒に観戦してもバチは当たりまセーン!」


 誰が仲良くなったのか。相変わらずだなんて言うけれど、エリカと会うのはまだ二回目の筈だ。ついでに、罰が当たるなどと、何故彼女はそんな日本の慣用句を知っているのだろうか。疑問は尽きないが、掘り下げると嬉々として話出しそうなのでやめておく。


 たった二回出会っただけで、私はエリカの大凡の扱い方を決めていた。

 彼女は放っておいても無駄に元気だ。適当に無視しつつ、たまに返事をするくらいで丁度いい。


 と、そこで隣の氷柱が先程までよりも更に静かになっている事に気づいた。

 物静か、というより口数が少ない方だと思っていたけれど、今はすっかり無言である。眠そうな瞳を精一杯開いて、信じられないものを見たような顔で二人の闖入者を交互に見つめていた。


「隣、いいかな?」


 ソフィアがそう氷柱に問いかけるも、彼女はただ小刻みに頷くばかりで声も出ない様子。私は氷柱とも初対面なので詳しくはないけれど、少々感情に乏しく見える氷柱のそんな姿は、実は中々貴重なのではないだろうか。

 そんな彼女は、耳を済ませればどうにか聞こえる程度の声量で、まるで念仏でも唱えるかのように何かを呟いていた。


「・・・どうして?コレは何?私は天枷禊に会いに来ただけなのに。どういうこと?何故『七色』がここに三人も?ここは地獄?」


「可哀想に。彼女、怯えているわよ?帰ったほうがいいんじゃないかしら?」


 あわよくば撤収してくれないだろうか、そんな期待を込めて言った私の言葉は、まるで彼女達には届かず、柳に風といった様子であった。


「まぁまぁ、そう邪険にしないで欲しいな。君も、私の教え子に興味を持って来てくれたんだろう?私が解説しようじゃあないか」


「違うわよ。私は単に暇だっただけよ」


「ならワタシと同じデスね!じゃあモニカの方はワタシが解説しまショウ!あ、メイドさん、コーラありマス?」


 煩い馬鹿。貴女と一緒にするな。うちのメイドに注文するな。

 すっかり居座るつもりの二人は、私の都合など知ったことかと言わんばかりの態度である。他から離れた最後列の、こんな目立たない場所に陣取ったのが運の尽きだった。


 面倒な二人を追い払うことが出来なかった私は、諦めと共に比較的落ち着きのあるソフィアの方へと水を向ける。こうなった以上は解説として役立って貰わねば割に合わない。


「それで、貴女の見立てではどうなのかしら?」


「ん・・・まぁ目一杯良く言っても4:6でモニカかな」


「あら、貴女の教え子なんでしょう?ウチの子が勝つ、とは言わないのかしら?」


「この対抗戦に向けて、私も出来る限りのことは教えてきたつもりだし、中々に複雑な心境ではあるけどね。だがそれだけ彼女は強い。学生の中では圧倒的だ。君を除けばね」


 いちいち私を引き合いに出すのは止めてくれないものだろうか。あとはその意味ありげな流し目も。何が言いたいのか知らないけれど、私は補欠だと言った筈だ。

 とにかく私から話題を逸らす為、生贄を差し出すことにする。


「ふぅん・・・白雪聖はどうなのかしら?配信で聞いたのだけれど、彼女も凄いのでしょう?」


「ん?彼女のことなら同じ日本校の君のほうが詳しいんじゃないかい?」


「戦っているところを見たことがないもの」


「ああ、それで。確かに彼女も相当なものだね。学生離れしているという点ではメルヴィン、モニカ、そして白石聖の三人は同じ。けど───」


 そこで一息を入れたソフィアの後を、エリカが引き継いだ。


感応力リアクトの相性でモニカが有利デス!学年が違いますガ、直接戦えば恐らくモニカが勝ちマス!まだまだ甘い部分も多いデスが、今回の対抗戦でモニカに勝てる選手は居まセーン!ミソギ以外には!」


 私が差し出した生贄はまるで無力だった。

 そうして話を逸らすことを諦めた私は、舞台の上へと視線を戻すことにした。あいも変わらず、緊迫した空気の中でゆっくりと間合いを詰めている。


 達人同士の戦いは一瞬で決着がつく、戦いは既に始まっている、なんて物語の中ではよく言われるけれど、実際に行えばこんな様子なのだろうか。私も勿論対人戦は何度も経験があるけれど、こんな風にスローペースの戦いになったことは一度も無い。ほんの数秒すら緊張に耐えられなかった相手が飛び込んで来て、それを叩き潰すか、或いは私から間合いに入って叩き潰すか、そのどちらかだ。


 相手が境界鬼テルミナリアであってもそれは同じだ。先日の北海道のときのように、駆け引きが介在するような余地は殆ど無い。それを思えば、やはり先日のニ体の境界鬼テルミナリアは得難い玩具だった。こうして思い返してしまう程度には。


 そんな風に考えていた時、ようやく舞台に動きが見られた。

 二人の距離が10m程になった時、弾かれるようにメルヴィンが飛び出した。まるで先程思い返していたのと同じだった。緊張に耐えられなくなった、いつぞや私と対峙した分家の者と同じ様な行動。見れば、やはりメルヴィンの顔には『やってしまった』とでも言いたげな、後悔と苦渋の表情が浮かんでいた。


「あぁ、あの馬鹿・・・」


 師であるソフィアが額に手をやり、生徒の行動を嘆いている。

 私がソフィアと同じ立場であれば、やはり彼女のように頭を抱えていただろう。方策も決まっていない、考えも何も無い内から、ただ勢いだけで敵の間合いに飛び込むなど愚策だ。それを行えるのは圧倒的な力量差がある時だけ。

 彼の表情を見るに、恐らくは自分でも何故そんな行動に出たのか理解らないのだろう。絶体絶命の状態では、脳が考える前に身体が動いてしまうこともあるだろう。つまりメルヴィンはただモニカと対峙しているだけで追い詰められていたという事。


 こうなってしまう理由は一つだけ。要するに経験の差だ。

 仮に相手よりも実力が劣っていようと、経験豊富な者であればこうはならない。勝つための方法を必死に模索し、下手に動くことは無いのだ。


「バッドですネ。ソフィアは少し過保護すぎますネ」


「耳が痛いな・・・」


「私なら境界鬼テルミナリアの群れに放り込んで帰るわね」


「流石にそこまではいいませんガ・・・もっと実戦経験を積ませるべきでシタ。力量を考えれば、勝てないまでも、もう少し善戦したでショウ」


 迫るメルヴィンを見てもまるで同様することなく、静かにレイピアを握るモニカの手から光が溢れ、それと同時に弾けるような音が鳴り響いた。忘我状態のメルヴィンに、それを躱すことなど出来なかった。光は凄まじい速度でメルヴィンを飲み込み、ばちり、という短くも大きな音と共に駆け抜ける。


「・・・雷?」


「イエス!モニカの感応力リアクトは『雷帝トール』と呼ばれていマス。威力はまだまだ大したことありまセンが、速度と範囲に優れていマス!総じて、これからに期待といったところデスネ」


 エリカはそう言っているけれど、感応力リアクトを受けたメルヴィンはただの一撃で気を失っているようであった。過度に威力の高い攻撃を禁じられているこの対抗戦では、その威力の低さが逆にいい塩梅なのかもしれない。


 番狂わせは起きず、審判の口からはモニカの勝利が宣言された。

 結局時間がかかったのは最初だけ、試合全体で言っても5分かそこらであった。


「解説、要らなかったわね」


「くッ・・・」


「HAHAHA!まぁまだ『殲滅』がありマス。そこでリベンジすれば何の問題もありまセーン!」


 別に教え子ではないと言っていたエリカだけれど、自国の選手が勝ったことはやはり嬉しいのか上機嫌であった。一方のソフィアはと言えば、苦虫を噛み潰したかのような顔で非常に悔しそうである。恐らくはエリカの腹立たしい笑い声も、その一端をになっているのだろうけれど。


 とはいえ、私としてはそれなりに退屈しのぎが出来た。余計なオプションが二人、否、三人付いて来たことは誤算だったけれど、『雷帝』という珍しい感応力リアクトを見られたことは中々に良かった。


 そこでふと、その三人目のオプションである冷泉氷柱へと視線を向けてみた。

 彼女は未だに緊張した様子で、試合どころではなかったらしい。俯いたまま、うわ言のように何かをつぶやき続けていた。


「・・・た、退席したら怒られる?居心地が悪すぎる。最悪。帰りたい」


 そんな怪し過ぎる彼女の様子は、少し怖かった。

 先程は目立たない席に座ったことを後悔していた私だけれど、今の彼女を見ればあながち間違った選択でもなかったのかもしれない。


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