第46話 冷泉氷柱
三人の馬鹿達にキツめのお灸を据えた翌日。
私は、社と二人で第2会場へと足を運んでいた。
ここ第2会場では主にニ年生の『決闘』が行われており、今日はその決勝戦があるらしい。これから始まるその試合は今大会屈指の好カード対決と言われているらしく、観客席は超満員、立ち見する者まで居る始末だ。
私はそれほど興味が有ったわけでは無く、本当なら今日は一日ホテルの部屋でゆっくりするつもりで居た。では何故ここに居るのかと言えば、ツーリング
もしかすると、社はこうなることが理解っていて私を連れ出したのではないか、なんて考えもしたけれど、特に予定が無いのは事実なので、何も言わずにこうして関係者用の席に座っている。
ちなみにこういう時『確信犯』という言葉を使う事があるけれど、『悪いことだと理解っていながら行う』という意味で使うのは誤用だ。本来は、たとえ罪に問われるとしてもそれが正義であると確信して行う犯罪、或いはそれを行う者のことだ。
とはいえ、意味なんてものは時代と共に変わるものだし、意図が相手に伝わればどうだっていい。
例を挙げれば、『適当』という言葉だって真逆の意味で使われる場合もあるし、そもそも私だって、全ての言葉を正しく使えているなんて思ってはいないのだけれど。閑話休題。
そうして社と二人、パラソルを設置して最後列の席に座っていた。
空調が効いているとはいえ、直射日光は避けるべきだ。陽光を遮るように立てられたパラソルは、私達二人をすっぽりと覆い隠してもまだ余りあるほどの大きさだった。私達の居る一角だけが浮いているような気もするけれど。社から飲み物を受け取り、そうしてようやく、今まで気になっていた事を問うてみた。
「・・・で、その子は一体誰なのかしら?」
「存じません」
何時の間に現れたのか、私達の隣には一人の小さな少女が座っていた。
着ている制服を見れば日本校の1年生、つまりは私とは同学年だということが分かる。普段あまり授業に顔を出していない私だけれど、さすがに見覚えがあるかどうかくらいは分かるつもりだ。そして隣の少女は、全く見覚えがなかった。
パラソルが作り出す影に入るよう、ちょこんと行儀よく座っている少女からは、特に敵意も害意も感じられない。そんな彼女へ、何故か社が飲み物を差し出していた。
「どうも」
受け取るのか。
中々に肝の据わった少女だ。社からグラスを受け取った少女は、まるで物怖じした様子もなく、小さな口をグラスへ付けてちびちびと飲み始めていた。
まるで寝癖のように、少し乱雑にボサついたショートヘアと華奢な身体。とても同学年とは思えない、小学生と言われても納得してしまいそうな、そんな幼い少女だ。
「・・・まぁいいけれど。貴女、名前くらいは聞かせてもらえるかしら」
「氷柱。
「冷泉?あの冷泉かしら?」
「多分そう」
言葉少なにそう名乗った彼女の姓には覚えがあった。
『六家』の一、国内最大の病院と製薬会社を持つ冷泉家。『六家』という存在を知らない一般家庭の人間でも、一度はその名を聞いたことがあるだろう。
私は冷泉の人間と会ったのはこれが初めてになるけれど、天枷家も多少なり、かの家とは関わりがあったと記憶している。
「ふぅん・・・その冷泉の娘が、一体どうしてここに居るのかしら?」
「暑い。人混みも、日差しも」
確かに、大きな盛り上がりを見せている会場の熱気は相当なものだ。人が密集している場所で観戦などしようものなら、空調など関係なく汗が出るだろう。というより、微妙に会話が噛み合っていない気がする。彼女の言っている事は理解るけれど、私が言っているのはそういう事じゃない。
私と彼女は初対面のはずだ。厚顔無恥とまで言うつもりはないけれど、いくら日陰があるからと言って、見ず知らずの人間の元へ涼を求めに来るだろうか。
「日陰を探していたら、貴女が居た。丁度会いたかったから、来た」
「・・・私を知っていた、ということかしら」
「そう。顔は知らなかったけど、天枷の侍女服ですぐに理解った」
どうやら私ではなく、社を見て私に気づいたらしい。
確かに、わざわざこんな遠くの観戦し辛い席に座っていれば、社のメイド服は目につくだろう。とはいえ、逆に近づき難いと思うのだけれど。
別に隠れていた訳ではないからそれはそれでいいのだけれど、結局のところ何故彼女がここに居るのかは、依然として理解らないままだ。
「そう・・・それで、どうして私に会いたかったのかしら。冷泉家の貴方が、天枷家の私に何か用があるとは思えないのだけれど」
天枷と冷泉には関わりがあるとはいえ、それはそう太い繋がりではない。もっと希薄な、事務的なものだ。具体的に言えば、天枷が
彼女が私に会いたかった理由は何なのか。
面倒になった私が単刀直入に聞けば、冷泉氷柱はグラスを置いてこちらへと向き直った。
「同じ『六家』に生まれた者として、同じ
「・・・興味?」
「そう。古来より日本を守り続けてきた天枷家。そんな天枷ですら持て余す、天枷の鬼、災禍の娘。その力は未だ闇の中。素性も、
「・・・」
「父と母には余り関わるなと言われているけど、そう言われれば気になるのは当然。ましてそれが自分と同い年だと言うのなら、なおさら。だから、会ってみたかった」
要するに興味本位か。
家から探りを入れろ、なんて命令が出ているのかと思ったけれど、どうやらそうではないらしく。単に彼女自身の意志の発露であるらしい。私としては面倒事に巻き込まれないのならば別にどうだっていい。
私はただ単独で
「そう。まぁ、敵意があるわけでもなさそうだし、大人しくしているなら別に構わないわ」
「ん」
小さく頷き、またちびちびとグラスに口をつける冷泉氷柱。
そこでふと、疑問が湧いた。
「・・・ところで貴女、自分の競技は大丈夫なのかしら?」
「ん。もう終わった。『
「あら、凄いじゃない」
「ぶい」
『競走』とは、多数の障害物が設置されたコースを如何に早く駆け抜けられるか、といった競技だと聞いている。私は見ていないけれど。
どういった技術が必要なのか、どういった戦略が必要なのか、といった細かいことはまるで知らないけれど、『競走』というくらいなのだから、身体強化系の
どんな競技にせよ、世界中から集った代表達の中で二番というのは十分に凄いことだ。試合の内容だって見ていないし、彼女の実力は理解らないけれど、その結果だけで十分に称賛出来る。
彼女もまた眠そうな顔とは裏腹に、『六家』として相応の実力を持っている、ということだろう。
「それで、自分の試合も終わって、話題の試合を見に来たところに偶然私が居た、といったところかしら」
「そう。丁度いいので、試合の解説もお願いする」
「しないわよ」
「・・・無念」
良くも悪くもマイペース、とでも言おうか。面の皮が厚いというよりも、他人に頓着しない。自分の感覚で生きている、そんな印象だ。
私だって自分の好きなことをして生きているし、基本的には他人にあまり興味が無い。ある意味では私と同類なのかもしれない。
そんな思索に耽っていると、ここまで私の顔色なんてまるでどこ吹く風といった様子だった冷泉氷柱が、どこか決まりが悪そうにおずおずと話し出した。
「・・・そういえば」
「何かしら。急に私の顔色を窺って」
「・・・怒らない?」
「内容によるわね」
「・・・じゃあいい」
「そ。なら前を見ていなさい、そろそろ始まるわよ」
途中で話を止められると却って気になる、なんていうけれど。
私の顔色をを気にして、口ごもりながら始めようとする話なんて、碌な内容ではないのが容易に想像出来る。少なくとも、私にとってはそれほど楽しいことでは無さそうだ。
けれど直ぐに撤回するということは、それほど重要な事でもないのだろう。言っても言わなくても、それほど問題のない話。畢竟、聴き流した所で私が窮するような事にはならない。故に私は、彼女の言いかけた言葉を深掘りすること無く、意識を眼前の舞台へと移した。
舞台では、既に二人の選手が試合開始の合図を待っていた。
投影されたIDを見やれば、そこにはまるで証明写真のように、至極真面目な表情で映る少女の姿。自分で見ても分かるほどに機嫌が悪そうな私のそれとは違い、何処か決意のようなものすら垣間見える真っ直ぐな瞳をしている。実際に眼を合わせた訳でもなく、ただの写真でそう感じるのだから余程だろう。整った柳眉も相まって、その容姿だけでも彼女の人気の程が窺える。
一方の対戦相手は、先日から何度か出会ったソフィアの教え子だという男子生徒。
少し垂れがちな眼に、通った鼻筋。美少年といって相違ないだろう。私に言わせれば、ただの写真だというのに、口角を僅かに上げて微笑んでいるその表情が、酷く胡散臭く見えるのだけれど。
「貴女はどちらかを応援するのかしら?」
先程のやり取りから気まずくなったのか、口を噤んでいた冷泉氷柱へと話題を振ってみることにした。別に彼女に気を使っただとか、そういう訳じゃない。
「ん。メルヴィン・ペンフォード」
彼女はどうやらソフィアの教え子、男子生徒の方を応援しているらしい。
周囲の観客たちの反応は分かりやすい。男はモニカ・ラブレットを応援している声が多いし、女は逆にメルヴィン・ペンフォードへ声援を送っている。どちらかと言えば前者のほうが声が多いだろうか。
けれど冷泉氷柱の、その表情を見ている限りでは、周囲の観客達とは違い、彼の容姿に惹かれているなどという、浮ついた理由では無さそうに感じられる。
どういった理由で、彼女がメルヴィンを応援しているのかなんて、別に興味は無いけれど、話の種に一応問うてみた。
「理由はあるのかしら?」
「ん。モニカ・ラブレットに応援は必要ない」
やはり彼女は言葉数が少なく、意図する所が今ひとつ要領を得ない。
色々と予想は出来るけれど、考えた所で仕方がないので適当に例を挙げて見ることにした。
「貴女が応援するまでもなく、十分に声援が送られているから、かしら?」
「違う。これは挑戦」
「・・・挑戦?」
「そう。私は
「つまり?」
「この試合はほぼ確実に、モニカ・ラブレットの勝ちで終わる。だから彼女に応援は必要ない。どうせ勝つから。でも、もしかしたら彼が穴を開けるかも知れない。だから応援する」
殆ど確信を持ってそう話す彼女の表情は、瞳は。
先程までの眠そうなそれとは違い、賭けでもしているのかと言いたくなるような、真剣なものに変わっていた。
事前に情報を何も入れていない私からすれば、二人のどちらかが勝つかなんて分からない、ある意味フラットな状態での観戦だ。
けれど彼女のように、ある程度二人の実力を把握している者ならば、また違った見方になるのだろう。
「成程ね・・・確かに、既定路線で終わるよりはそちらのほうが面白いかもしれないわね」
「貴女はどっちを応援するの?」
小首を傾げ、そう私へ尋ねる冷泉氷柱。
経験は無いけれど、競馬場なんかで予想を聞いたり披露したりしている人たちは、こんな気分なのだろうか。
「私は応援なんてしないわ。けれど・・・そうね」
そう前置きして、投影されたIDへと視線を向ける。
ただの写真で分かるほど、確たる意思を持った少女の顔を。
「───彼女の眼は、嫌いではないわね」
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