第43話 共闘・決勝戦

 純白の初手はいつもと同じだ。

 まずは攻撃、そうして相手がどんな反応をするかを見たかった。


 この『対抗戦』では武器の仕様も認められている。

 勿論、刃物であれば刃を潰したものを、銃器であれば殺傷能力のない弾を、それぞれ使用しなければならない。

 とはいえ相手を殺せば勝ち、などといった物騒な大会ではないのだからそれで十分。故に普段から使い慣れている武器を用いて競技に望むものは当然多い。


 しかし奇しくも、この決勝の舞台に立つ四人は全員が徒手空拳、感応力リアクトによる飛び道具も無かった。

 厳密に言えば純麗は薙刀も使えるのだが、『対抗戦』へと出場するにあたり、慣れない『共闘』に合わせて調整するのが間に合わなかったのだ。


 ともあれ、そういう理由でこの決勝戦は否が応でも接近戦となる。

 飛び道具も警戒する必要がないとなれば、攻撃あるのみ。真っ直ぐな純白らしいやり方だと言えるだろう。


 純麗の感応力リアクトを受けて増した脚力は、純白の身体をあっという間に前方へと運ぶ。試合開始時にあった間合いは、ほんの数秒で詰まるだろう。相手も接近戦が得意なことはこれまでの試合で見てきたが、自分だって近距離は得意だ。


 そう考えていた純白であったが、次の瞬間には目を見開き、息をつまらせることになった。純白の間合いの更に内側、地面スレスレの位置には束ねられた二本の黒髪が靡いている。まるで流れる水のように、風に揺れる柳のように。風を斬るような純白の鋭い走りとは正反対の、滑らかな動きだった。


 地を這うような低姿勢で舞台上を滑るよう、瞬きの間に純白の間合いを潰してしまったのは麗華リーファだった。近距離どころではない、超至近距離に彼女は居た。


 突然の事に驚いた純白ではあったが、どう見てもこの間合いではまともに打撃を放つことなど出来はしない。瞬時にそう判断した純白は走った勢いをそのままに、膝でもくれてやろうかと考えた。しかし直後、背中に感じた言いようのない予感に、意識を無理やり防御へと切り替える。


 相手は低姿勢故によく見えず、一体何をしようとしているのかなど理解らない。だが純白の感じた悪寒はいや増すばかり。純白が感応力リアクトで腕を硬化させ、胸の前で構えたその時だった。


「ぐぅッ───!!!」


 信じられない程の衝撃が、純白を襲った。それはまるで自動車に衝突したかのような、身体の芯にまで響く衝撃。感応力リアクトを使用していなければ、両腕の骨が折れていたかも知れない。出来る限り衝撃を逃がすため、走る勢いに逆らうよう右足へと思い切り力を込めて後方へと飛び退る。無理矢理ブレーキを掛けた反動で、純白の右脚には鋭い痛みが走った。


 純白が前方へと目を向ければ、そこには脇を締めたまま、縦に握り込んだ拳を突き出した麗華の姿が見えた。

 先の衝撃の正体は拳による打撃だった。しかし解せないのは、やはり間合いだ。パンチ、或いは突きとは、まず拳を引いて、それから突き出すものだ。だが先の間合いでは引くことは出来たとしても、突き出すような距離は無かった筈だ。勿論ボクシングでいうジャブのように、引く動作を省略して放つものもあるが、それでは今の威力は説明がつかない。


 純白は痛む腕を擦りながら、先の攻撃の正体を探る。

 そうして数秒記憶を辿れば、一つだけ心当たりがあった。


「・・・寸勁、ですわね」


『寸勁』とは、中国武術における奥義の一つだ。

 全身で作り出した力を、拳の一点に集中させて相手に触れ、そして拳を引くこと無く打ち出し相手に伝える。短勁、或いはワン・インチ・パンチと呼ばれる打撃も同じ技術の応用だ。


 知識としては、イギリスで生活していたころから持っていた。習得難度が非常に高く、そう簡単に覚えられるものではない。白雪家へと移り住んでからは、姉の聖が一度見せてくれた事があった。禊との特訓の際にも、彼女が使用したところを見たことがある。


 純麗がどうにか形にした『彼岸花』、あれにも勁は利用されている。だが寸勁は、勁を利用するという点では同じだが、それ以外は全くの別物だ。

 そんな高等技術を、それも同じ一年生が事もなげに使ってくるとは、思ってもみなかった。


「おや、物知りネ。正直もう少しダメージを与えたかったけど、上手く逃されたネ」


 黙したままの麗華に代わり、愛琳アイリンがコメントする。

 日本語がまだあまり得意ではないと言っていたが、あれほどの技術を見せた後に無言で見つめてくる麗華の姿は、どこか怖いものがある。


 一手、たったそれだけのやり取りであったにも関わらず、観客席は大盛りあがりだ。まるで決着が着いたかのような空気すら感じられた。麗華や愛琳、純白でさえ、一度仕切り直しかと心の何処かで思っていた。

 しかし舞台上で唯一人だけは、弾かれたよように身体と頭を動かしていた。


「純白ちゃん!!」


 端的に伝えられたその声に、共に何度も訓練を重ねた純白の身体はすぐさま反応した。恐らくは純白と少しだけタイミングをズラして飛び出していたのだろう。既に側面へと回り込んでいた純麗が、麗華へと向けて疾走しているのが純白からは見えた。


 愛琳の位置からは見えるだろうが、麗華本人から完全に死角となる真横からの攻撃。純白と自分、器用に感応力リアクトを使い分けながら飛び込んだ純麗は、大きく振りかぶった拳を麗華へと突き出した。


 もともと純麗は格闘がそれほど得意ではない。むしろ、純白と比べれば苦手と言える。勿論禊との特訓の折に基礎的な事はみっちりと叩き込まれてはいたが、流石にあの短期間では見違えるほどの成果は出なかった。それよりも『彼岸花』の習得に重点を置いていたことも手伝って、純麗の拳は見事なテレフォンパンチだった。


「やぁああああッ!!」


 おまけに気合十分な掛け声まで出ている。これでは折角死角に回り込んだ意味もない。藍との模擬戦でも基本的には防御に徹していた為、彼女は攻撃面が今ひとつだった。


 一目で純麗のそんな様子を見抜き、わざわざ割り込むまでもないと愛琳がそう考えた時、彼女の視界には先程までそこに居たはずの、純白の姿が無かった。

 麗華は純麗の大振りパンチをいなそうとそちらへ向き直っている。そんな麗華の背後には、いつのまに移動したのか、既に飛び蹴りを放つ直前となった純白の姿。純白と麗華の一戦目、その再現のようであった。


(気づいていない!?あの麗華が!?────チッ、騙されたッ!)


 信じられない光景に、愛琳は慌てて駆け出す。

 恐らく純麗が格闘戦を苦手としているという読みは外れていない。決め手は純白の方だ、それも間違いではない。つまり見誤っていたのは純麗の感応力リアクトだった。


 愛琳は、純麗の感応力リアクトをよくある支援系だと考えていた。つまりは身体能力全般の強化だ。事実、二人のここまでの試合ではそれしか見せていなかった。二人分の支援を使い分ける姿に『器用だな』とは思ったものの、それだけだった。


(気配の隠蔽!!わざと大声を出して相方を隠したッ!)


 そう、禊との特訓で成長した純麗の感応力リアクトは、ただの身体強化とは違う効果も齎した。禊との特訓や、校内での居残りで検証し、鍛えたことで開花した能力、その一つが気配の隠蔽だった。


 とはいえ、視認されている状態からいきなり姿を消してしまえる程の強力なものではない。せいぜいが『気配を悟られにくくする』程度のものだ。だがそれでも、使い方次第でいくらでも応用が効く。


 藍との模擬戦では、一対一であったために使う機会が無かった。これまでの試合では使う必要が無かった。だからこれが正真正銘の初披露だ。


「麗華ッ!後ろが本命ッ!」


 愛琳の指示を聞いた麗華は、後ろも振り向かずに上体を逸らすことで純白の『八日吹』をどうにか回避する。しかしバランスを崩した麗華へと、純麗の大振りパンチが迫りくる。いかに見え見えの攻撃でも、崩れた体勢からでは回避は出来ない。


 しかし純白へと支援を移していたことで、純麗自身の速度はそれほど出ていなかった。どうにか割って入ることに成功した愛琳が、純麗の拳を受け流そうと手の甲をそっと添える。


 如何に攻撃が苦手とはいえ、自らへと再度強化を移した純麗の攻撃は十分に重い。そう簡単に受け流せるようなものではない筈だったが、しかし愛琳は添えた手を回すようにして受けて見せた。


 攻撃の力を全て受け流されてしまい、体勢を崩して躓いた純麗の眼前には、麗華の拳が迫っていた。


「くッ!」


 しかし純麗は自らに感応力リアクトを使わなかった。

 彼女には見えていたのか、それとも信頼なのか。こんな状況であるというのに、純麗は相方へと感応力リアクトを使用した。


 もうあと数センチで、麗華の拳が純麗へと届くという時。

 蹴りを放った勢いをそのままに、支援を受けた純白の手刀が麗華の拳を叩き落とす。

 その手刀の威力に麗華は顔を顰め、後方で待つ愛琳の元へと飛び退った。


 攻撃に次ぐ攻撃、そして防御から一転しての攻撃。

 瞬きすら許されないハイレベルな攻防に、観客席の歓声はもはや留まることを知らぬ勢いだった。


「今のはヒヤっとしたヨ・・・」


「それはこちらも同じですよ。まさか純白ちゃんの攻撃と私の攻撃、どちらも届かないとは思いませんでした」


 特に、一度は意識から外れたはずの純麗の大振りパンチが、ああもあっさり受けられるとは純麗も思わなかった。純白を本命だと思わせて、実際には純麗が本命だった。


「私は力の流れが見えるヨ。そうでないと、今のは受けられなかったヨ」


 そういって自らの瞳を指差す愛琳。

 彼女の感応力リアクトは『力の流れ』を視認するというもの。攻撃には向かないが、これほどの格闘技術を備える愛琳が使えば、まさに鉄壁と言えるだろう。


「力の流れ・・・」


「フフ、結構便利ヨ。特に格闘戦ではネ」


 力の流れが見えるということは、攻撃のタイミングや場所までもが筒抜けになるようなものだ。答えを見ながら戦っていると言ってもいいだろう。こと近接戦闘においては確かに、非常に強力な感応力リアクトだった。


「では麗華さんの感応力リアクトは、不自然なほど無駄のない動き、ですの?」


「御名答。正確には『身体の動きを最適化する』感応力リアクトネ」


 麗華が最初に見せた、滑るような動きがそれだった。

 これも接近戦では非常に有用な感応力リアクトだ。優れた格闘技術と、それを後押しするかのような感応力リアクト。この二人はまさに、近接戦闘の専門家スペシャリストと言っても過言では無いだろう。


「純麗ちゃん」


「ええ。やっぱり接近戦はあちらに分がありますわね」


 接近戦には自信のあった純白だが、認めざるを得なかった。あの二人は、自分よりも上手だと。


「特に『勁』が厄介ですわ。防御しても、強化してもダメージが残る。ほとんどインチキですわ。さっきの手刀でも右手を痛めましたわ」


 そういって純白が振っている右手は、内出血のせいか青くなっていた。


「このままでは不利になるばかりですの」


 防御が意味をなさない以上、時間が経てば経つほどにダメージは蓄積されて不利になる。への字口になりながらむすりとした様子の純白は、どうにか活路を見出さなければ勝てないと必死に考えていた。

 そんな純白へと、頭脳担当の純麗がどこか気まずそうに応える。


「一応、手段はある・・・かも?」


「本当ですの!?さすが純麗さんですわ!」


「あはは・・・まぁ、上手くいくかは分からないんだけど」


「このままだと負けてしまいますわ。何か考えがあるならやってみるべきですの」


 純麗は禊との特訓の日々を思い出していた。それは純麗が『彼岸花』を習得するにあたり、コツを教えて貰っていたときの話だ。



 ───『勁』というのは、力を発揮するポイントが少しズレただけで力が霧散してしまうほど繊細なものよ。だから貴女はどうにかして相手の動きを止めなければならないわ。



 禊の話が、彼女達にも当てはまるかどうかは分からない。

 これは一種の賭けだった。しかしこのままでは勝てない以上、賭けに出る必要があるのもまた事実であった。


「・・・純白ちゃん。あと一回だけ、正面から受けられる?」


「そんなことですの?余裕ですわぁー!!・・・・え?」


「言質!」


「取られましたわー!!」


 無駄に元気よく行われた短い作戦会議の後、腹を括った純白が前に出ることになった。そんな純白の背中には、どこか哀愁が漂っていた。


「もういいネ?そろそろ終わりにするヨ・・・麗華!」


 愛琳の指示の元、先程のように流麗な動きで麗華が純白へと迫る。愛琳を後方に残したまま、足音一つ立てずに舞台を滑る。


 愛琳を後方に残しているのは、何も一人で十分だから、などという考えではない。

 そもそも麗華と愛琳は、周囲が言うような前衛と前衛の異端ペアではないのだ。確かに二人とも前衛として前に出るものの、実際の決め手はいつも麗華だ。格闘技術も麗華のほうが優れており、本気で麗華が戦うのならば愛琳はむしろ邪魔になってしまう。


 愛琳自身もそれが理解っているから、必要な時以外は麗華に任せ、後方から相手を観察して指示を出すことに専念する。謂わば必要に応じて交代スイッチを繰り返す純白・純麗ペアと似た構成なのだ。

 つまり、全てを麗華に任せた今が彼女たちの本来のスタイル。勝負を決めにきた証といえるだろう。


 対する純白はその場から動かず、麗華を迎え撃つ様子だった。


(正気?今の麗華の攻撃は流石に耐えられないヨ?)


 先程の、作戦会議とも呼べないような純白と純麗の漫談は、何か対策を考えていたのではなかったのか。或いは、アレでも何か企んでいるのだろうか。

 どうみても正面から受けるつもりに見える純白の様子に、愛琳は不審に思いつつも、しかし麗華を止めなかった。


(防御を固めようと、麗華の『勁』なら貫けるハズ。何も問題は───え?)


 麗華の『勁』を用いた崩拳が、純白へと迫ったその時だった。

 感応力リアクトを使用した愛琳の目には、純白の異常行動が映っていた。


「根性ですわぁー!!!」


 麗華の繰り出した拳に対し、自ら顔面を差し出して来たのだ。

 否、厳密に言えば額だ。


「不味ッ───麗華!止まれ!」


 まるで、というかまさに頭突きそのものである。

 凄まじい速度で繰り出された麗華の拳に、あろうことか純白は頭突きを敢行したのだ。麗華からすれば、純白は自ら的を差し出してきた形だ。繰り出された拳は止まることなどなく、純白の額と激突する。


 誤算があったとすれば、純白の額と首には純麗の支援がかかっていたことだろう。

 想定していたよりもずっと早いタイミングで衝突した純白の額は、麗華の『勁』、その発揮点をズラした。『勁』は霧散し、ただの拳と成り果てる。


「───ッ痛ってぇですわー!!!」


 当然痛いものは痛い。如何に強化されていようと、麗華ほどの使い手が放つ高速の拳はただそれだけで痛いのだ。


 見事に打点をズラされ、麗華の顔が驚愕に染まる中。

 渾身の打撃の所為で硬直した麗華の懐には、純白のすぐ後ろで待機していた純麗の姿があった。


「───『彼岸花』ッ!」


 麗華の腹部に添えられた純麗の両手、そこから放たれた衝撃が麗華を舞台の袖まで吹き飛ばす。舞台を覆う砂埃が晴れた時、そこには意識こそあるものの、到底立ち上がることなど出来なくなった麗華の姿があった。


「純白ちゃんやったよ!!」


「ッァ・・・額が・・・割れましたわ・・・」


 見れば純白の額からはしっかりと血が出ていた。

 額の傷は出血しやすい為見た目ほどの怪我ではないだろうが、頭を抱えて震える純白の姿は同情を誘った。


「あと一人っ!」


「ですわぁ・・・」


 麗華は倒したが、まだ試合は終わっていない。

 残る一人、愛琳を見据えて二人は立ち上がる。


 しかし愛琳はそんな二人の視線を受け、肩を竦めてこう言った。


「降参、降参ヨ。ワタシ達の負けネ」


「えっ」


「えっ」


「えっ、ではないヨ。自慢じゃないけどワタシは攻撃が上手くないヨ。これまでの試合も決め手は全て麗華ネ。麗華がリタイアした以上、勝ち目はないネ。だから降参、アナタ達の勝ちヨ」


 両手を挙げ、ひらひらと振りながら麗華の元へと向かう愛琳。

 肩透かしを食らった純白と純麗はお互いの顔を見合わせ、目をぱちくりとするばかりだった。


『勝者、縹・白雪ペア!』


 勝利を告げる審判の宣言も、二人の耳には入ってこなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る