第40話 絢爛の橙
申し訳無さそうな色を顔に貼り付けたソフィアへと問いかける。
もう関わることは無いと思っていた彼女と、ただの一日すら置かずに再び出会うことになった苛立ちからか、少し強い言い方になってしまったかもしれない。
「また貴女なの?」
「いや、私はどちらかと言えばアレの被害者だよ」
今も床を舐めたままのエリカ
「はぁ・・・まぁいいわ。それで、貴女達はこんな所で何をしているのかしら?有名人なのでしょう?」
同じ『七色』といえど、情報が殆ど世に出ていない私と彼女達の知名度の差は雲泥だ。そんな彼女たちが試合会場に直接足を運んだとなればすぐに騒ぎになる筈で、仮に観戦目当てだったとしても当然、観戦ルームを借りるだろう。
「私は目立たないように観戦していたんだけどね。アレが途中でやってきて大騒ぎした所為で、観客にバレてしまったんだ。今は仕方なく撤収しているところさ」
「ふぅん・・・ちなみに出口は通り過ぎているわよ」
ソフィアの話を信じるのならば恐らくは通用口から出ようとしているのだろうけれど、方向が逆だ。今から会場を出ようとしている私達の向かう先、つまり出口方面から彼女たちはやって来ていた。
「しまった。通り過ぎていたか・・・実は地図を見るのが苦手でね」
「軍人が地図に弱くてどうするのよ・・・」
「あっはっは、返す言葉もないね」
爽やかに笑っているところ申し訳ないけれど、それは致命的じゃないかしら?地図を見れなくては、指揮や作戦行動に支障が出るのでは?別に私の知ったことではないけれど、早急に改善することをお勧めしたい。
そんな風に考えていたところで、背後から気配を感じた。
再度身体をずらせば、やはり先程の女が私に飛びかかって来るところだった。敢え無く空振りに終わった彼女の飛びつきだけれど、今度は無様に床を滑るようなことなかった。
「オウ、つれないデス。背中に目でも付いているのデスか?」
「・・・さっきから何をしているのよ、貴女は」
「スキンシップデース!アメリカでは挨拶の基本デース!」
「ここは日本よ。次は床に叩きつけるから、そのつもりでいて頂戴」
「HAHAHAHA!」
目の前で腹立たしい笑い声を上げるエリカ某にはまるで悪びれた様子もない。
見た目は二十代前半といったところだろうか。先程から見せているコミカルな動きや人懐っこい笑顔とは裏腹に、その立ち姿はまるで猫のように靭やか。
専門的な技術を修めているようには見えないけれど、体幹が鍛えられているのは見て取れる。それに先程見せた
恐らくは念動力系能力だと思うけれど、自身をあの速度で飛翔させるとなると相当なセンスだ。
多少興味は惹かれたけれど、然りとてこんな喧しい女と関わり合いになるのは御免だ。早々にこの場を離れるべきだろう。
「じゃあ、私達はもう行くわよ」
「待って下サイ!折角会えたんですからもう少しお話したいデース!」
「嫌よ」
「ファ◯ク!辛辣すぎマス!」
なんだろうか。
人懐っこく明朗な性格に、怪しい日本語。時折口から飛び出すスラング。
彼女からはどことなく純白と似たものを感じる。自由奔放なところを鑑みれば、純白が犬で、エリカは猫といったところか。
「私はエリカ。エリカ・E・スプリングフィールドといいマース!挨拶と自己紹介は基本中の基本!『災禍の緋』、次は貴女の番デス!」
貴女の番と言われても、私は別に自己紹介を頼んだ覚えはないのだけれど。
別に名乗ることが嫌な訳では無いけれど、出来るだけ関わらずにこの場を去りたかった私としては今ひとつ気が乗らない。そもそもソフィアから聞いていないのだろうか。
けれど、何やら瞳を輝かせながらこちらを見つめているエリカから、名乗らずこのまま逃げ切るのは難しい気がする。既にエリカのペースに飲まれているのだろうか。
先程は純白に似ていると感じたけれど、こういう部分はどちらかと言えば一ノ瀬さんに似ている。強引ともとれる話の展開も、距離の詰め方も。そしてそれが、それほど不愉快ではない点も。
「・・・天枷禊よ。この
「ミソギ!素敵な名前デース!実はワタシ、ずっと貴女に会いたかったのデス」
「・・・私に?一応聞いておくけれど、どうしてかしら?」
不本意ながら『七色』と呼ばれるようになって以来、否、それ以前から私の情報は天枷によって、その殆どが隠蔽されてきた。人という生き物は隠されたり禁止された事を余計に知りたくなるものだとは理解しているけれど、だからといって直接会いたいなどと思うものだろうか?
私ならばそこまでの興味は持たない。
気になると言ってもまぁそのうち耳に入るだろう、程度でお終いだ。
「覚醒してからたった二年で
「おい、それは言っても良かったのか?」
ということらしい。
その局長とやらは恐らく米国の境界管理局長だろうけれど、一体どこでその話を聞きつけたのだろうか。学園内部に内通者が居るのか、或いは管理局内か。
何れにせよ天枷の手が届かないところから漏れたのだろうけれど、随分と情報管理の甘いことだ。
エリカはソフィアに指摘されたことで、少し考え込むように口元に指をあてる。
「・・・もう手遅れなのでオッケーデス!」
「済まないね天枷さん。コイツはこういうヤツなんだ」
ソフィアは直接的な言葉は避けたのだろうけれど、何と言いたかったのかはその表情が雄弁に語っていた。別に知られたところでどうということもない事だし、そもそも私は補欠なのだから情報が漏れても何の問題もない。
「それはそうと、たった二年であれほどの数の
馬鹿は強いと聞いたことがあるけれど、成程、普通ならば聞き難いであろうことも遠慮なく聞けるというのは確かに強みかもしれない。
けれど暗黙の了解で、
私は別に隠しているわけではないけれど、わざわざ自分から教えるようなこともない。単純に説明が面倒だったし、そもそも聞かれた事が無いというだけの話だけれど。
「ちなみにワタシはこんな感じデース」
「馬鹿、止めろ!」
言うが早いか、ソフィアの制止も聞かずにエリカは右手を前に突き出した。
当然そこは何もないただの虚空だったけれど、不意に制服の胸元が引っ張られるような感覚を覚えた。
念動力系と予測していたけれど、もしかすると少し違うのかもしれない。
そう感じる程に、彼女の能力は私の知っている念動力とは異なっていた。
念動力とは、簡単に言えば離れたところから物を持ち上げたり、動かしたりする能力だ。単純だけど汎用性は高く、それでいて細かい動作は不得手な能力だ。
けれど彼女の
「ぬっふっふ。結構便利なんデスよ」
わざとらしく下卑た笑いを見せるエリカ。流石に感覚までは無いと思うのだけれど。
とはいえ、何時までも好き勝手させておくわけにもいかない。
私は右手に
未だ
『全てを壊したい』という私の根源は、触れたものを悉く破壊する。それは何も物理的な物に限った話ではなく、ある意味そういう『概念』とも言える。
ぱん、という乾いた音が鳴ったかと思えば、エリカが何やら瞠目してこちらを見つめていた。
「・・・今、何をしたのデスか?」
「これが私の
胸を揉まれた所為で少し皺のついた制服を、手で払って整える。
細かい説明をするつもりは流石に無い。私を煩わせた罰だ、精々悩んでもらうとしよう。
「社、行くわよ」
「はい、禊様」
いきなり攻撃ともとれるような行動にでたエリカに冷や汗を流すソフィアと、唖然とするエリカの横を通り抜け、社と共にその場を後にする。
もう少し何かしら詰め寄られるかと思ったけれど、意外にもエリカは何も言わなかった。
けれど十数メートル進んだところで、後方から私を呼び止めるエリカの声が聞こえた。
「ミソギ!!」
まだ何かあるのだろうか。
そう思い、振り向きはしないけれど足を止めて続く言葉を待つことにする。別に聞いてあげる義理もないのだけれど、折角だから。
「───また会いましょう」
意外にも、たった一言だけだった。
今までのような片言の日本語ではなく、発音まで完璧な日本語で。
その一言で、一瞬だけ本当の彼女が見えた気がした。
* * *
「・・・」
禊がその場を去った後。
エリカは自分の手をじっと見つめていた。
「何か分かったか?」
ソフィアは当初、あのような行動に出たエリカを窘めようと考えていた。しかし先程のやり取りを見て、すっかり興味がそちらへと向いてしまっていた。
ソフィアとて、エリカの能力に関しては多少なりとも知っている。ただの戯れとはいえ、エリカの
「分かりまセン。ミソギが手を払ったかと思えば、次の瞬間にはワタシの
「
「霧散したというよりは、破壊された・・・ような気がしマス。ただのイメージデスし、どちらも同じような気もしマスが・・・」
まるで狐につままれたような気分だった。
その後も二人は数分間思索に耽ったが、結局答えが出ることは無かった。二人もまさか『力ずくでぶっ壊された』などとは思いもしなかったのだ。
そこでふと気づけば、前方から何人かの学生がこちらへ向かって歩いてくる姿がソフィアの目に入る。
「っと、そういえばここから出る途中だった。おいエリカ、行くぞ」
「フフフ・・・」
「おい、聞いているのか?」
話を聞いているのか居ないのか、自らの手を見つめて肩を震わせるエリカ。とうとう頭がおかしくなったのか、否、おかしいのは元からか、などとソフィアが考えていたところで、エリカが突然大声で叫び始めた。
「Interesting!最高デース!!それでこそ、楽しみに待っていた甲斐がありマース!!」
「いきなり叫ぶな!また見つかるだろうが!」
やはりというべきか、まるでソフィアの話を聞いていないエリカが、その場で飛び跳ね喜びを身体全体で表現する。
嬉しそうで結構な事であったが、ソフィアからすればたまったものではない。急ぎエリカの手を捕まえ、逃げるようにもと来た道を走り戻ってゆく。
「ああ、くそ!私は保護者じゃないんだぞ!!」
そんなソフィアの嘆きを聞いている者など、誰も居なかった。
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