第39話 邂逅

「何時、何処で、どうやって会ったのデスカ!?」


 激しく肩を揺らされ徐々に気分が悪くなってきたソフィアは、それ以上もったいぶることを辞めた。エリカの悔しがる顔を見たくて焦らしたはいいものの、このままでは首が外れ兼ねない。


 それにソフィアとて偶然一度出会っただけだ。知っている、と言える程彼女を知っている訳ではない。しかし記憶を辿るまでもなく、容易に思い出すことの出来る少女の姿を、ソフィアは脳裏に浮かべていた。


「昨日の早朝、湖で。見た目は普通の、少し大人びた感じの女の子だったよ」


 あくまで外見上は、だ。

 否、普通というには些か顔立ちが整いすぎているか。


 暁の薄闇に紛れ、静かに佇んでいたその少女は、世に言う『災禍』とはまるで似ても似つかなかった。ソフィアは噂話など簡単に信用してはならない、と常日頃から自分を戒めていたが、しかし『災禍』に関しては余りにも情報が少なすぎた。


 だからといって噂を鵜呑みにしていたわけではなかったが、判断材料が他に無い以上、ある程度のイメージは噂話から補完するしかなかった。

 やれ『境界鬼テルミナリアを素手で引き千切る』だの、『境界鬼テルミナリアが暴れるよりも被害が大きい』だのと、一体どんな化け物かと考えていたのだ。


 それが実際に出会ってみれば、噂話のなんと下らないことだろうか。

 少しでも噂話に引っ張られてしまった自分が恥ずかしくなる程度には、彼女の出で立ちは想像と異なっていた。


「最初は何者かと思ったよ。今まで私が出会った感応する者リアクターの中でも、とびきり異質な存在感。たかだか十五かそこらの少女がそれを放っているんだから、驚きで声が詰まったよ。ただの女学生が纏っていい空気じゃあなかった」


 思い返せば不思議な少女だった。

 遠目に見た時は、まるでそこに居ないかのように希薄だった存在が、少し近寄るだけで鬼か、はたまた悪魔かといった気配を放ち始めたのだから。


「でも、名前を聞いてすぐに納得したよ。さもありなん、ってね」


「No Way!学生だということは聞いていましたガ・・・」


「ははは、私も信じられなかったよ。日本では狐に化かされる、と言うのだったかな?彼女と別れた後、しばらくそんな気持ちだったよ」


 壁に背を預け、ソフィアが肩を竦める。

 容姿は可憐というよりも優美、気配は静謐なれど苛烈、言動は沈着。所々に表裏の乖離を感じる、およそ女学生にあるまじき要素が入り混じった少女だった。


「話を聞いて、俄然私も会いたくなりましタ!」


「気持ちは分かるが落ち着いてくれ。私達だってバレれば観戦どころではなくなるんだ」


 エリカという女は何処に居てもよく目立つ。

 華のある容姿もそうだが、底抜けに明るい、ともすれば喧しいとすら言える性格もそれを手伝っていた。


『七色』である彼女達は、気づかれれば当然観戦どころではなくなってしまう。こんな観戦には向かない場所での情報収集を強いられているソフィアからすれば、あまり大きな声を出して欲しくはなかった。


 ガラス越しではなく、会場の雰囲気も含めて直接見たいと思ってここへやって来たソフィアだったが、こんなことならば観戦ルームを借りれば良かったとすっかり後悔していた。


 しかしソフィアの話を聞いて、居ても立っても居られなくなったのか。

 エリカは身体を疼かせ、まるで準備運動でもするように柵の上を器用に飛び跳ねている。今にも日本校へと突撃してしまいそうな勢いである。


 如何に人気ひとけが無いとはいえ、自分達の後方で何やら騒いでいる者が居るとなれば気になるのは当然のこと。案の定というべきか、最後列の観客達が二人に気づき、徐々にざわめき始める。


 ソフィアはすぐに撤収することを決めた。

 座った犬のように、柵の上でうずうずしているエリカの腕を引っ張り、急いで歩き始める。騒ぎが大きくなる前にこの場から離れなければならない。


「オゥ!?いきなりなんデスカ!?」


「バレたんだ!いいから来い!だから騒ぐなと言っただろう、このバカ!」


 柵の上からいきなり腕を引かれれば落ちて怪我の一つでもしそうなものであったが、そうはならなかった。エリカは体勢を崩したままの姿勢でふわりと浮かび、そのままソフィアに手を引かれて空中を滑ってゆく。


「おぉ、楽ちんデス・・・」


「自分で歩け!ああ、くそ。もっと見たかったのに・・・」


 エリカを牽きながら足早に通路を抜けてゆく。

 最後列へと繋がる通路は人も居らず、今の彼女達にとっては都合が良かった。

 とはいえこの先は各通路と合流することになっており、最終的に行き着くところは同じ正面入口だ。一目を避けて正面から出ていくなど不可能に近い。


 仕方なくソフィアは通路の途中を折れ、関係者用通路から通用口を目指す。

 少なくとも大会スタッフや学生ではない、関係者と言って良いのか悪いのか微妙な立場である彼女達だが、『七色』である二人がスタッフに見つかったところで見咎められるようなことはないだろう。


 試合中ということもあり、ソフィアの目論見通りまるで人の居ない通路を進むこと少し。学生と、その付き人と思しき二人が前方から歩いて来るのが見えた。

 もとより誰とも会わずに会場を出られるとまでは考えていなかったソフィアは、適当に誤魔化してそのまま通り過ぎるつもりでいた。


 そんなソフィアの足が止まった。

 直後、彼女の背後で浮かんでいたエリカが、慣性に従ってソフィアの背中へと突っ込む。おかげでソフィアは躓き、たたらを踏む事になった。


「あれは・・・」


「・・・オゥ!急に止まらないでくださイ!どうしたのデスカ?」


 ただ寝転んで浮かんでいただけのエリカからのクレームを無視し、エリカの腕を握っていた手を離す。そんなソフィアの様子に気づいたエリカが、浮かんだままでごろ寝から胡座へと体勢を変えて前方へと目をやった。


 長い通路の先、未だ遠くに見えるのは制服を来た少女とメイド服を来た女性の二人組であった。とはいえ貴賓が多く観戦に訪れる対抗戦では、侍女を連れている者はそう珍しい存在でもない。エリカもまた、そんな貴賓か、或いはその身内の選手だろうと思い大して気に留めなかった。


「おや、日本の学生デスね・・・ソフィア?」


 しかしソフィアの様子は少し違った。


「驚いた。運がいいのか悪いのか、偶然にしては出来過ぎなくらいだ」


 そう呟いたソフィアは、彼女の横でふよふよと漂うエリカへと、顔だけを向け、前方からやってくる学生を指さしてこう告げた。


「喜べ。アレがお前の会いたがっていた『緋』だぞ」




 * * *




 お母様の呼び出しから戻ってみれば、何やら不機嫌そうに頬を膨らませた純白と純麗、それに申し訳無さそうにこちらへと両手を合わせている一ノ瀬さんが待っていた。


 先に戻っていいと言ったけれど、よくよく考えてみれば一回戦を勝利した純白達はこのあと二回戦がある。ここに残っているのも当然だった。


 一年の『決闘』と『共闘』は、今日で予選の試合を全て行うらしい。半日で終わらせるとなると、かなりタイトなスケジュールになりそうなものだけれど、実はそうでもないようで。


 新人戦とも呼ばれる一年の試合は、謂わば顔見せのような側面が強い。二年三年と比べれば参加者も試合数も半分程度。

『共闘』で言えば、各国から二組ずつの計12組しか居ないのだ。


 ベスト4が決まった時点で一度組み合わせがシャッフルされるため、そこまでが予選と呼ばれているとか。つまり予選だけで言えば準決勝以降を除いた8試合だ。二回勝てば予選を抜けられる計算になる。そのくらいの試合数であれば、半日でも進行出来るだろう。まぁ、全て社に聞いた話の受け売りなのだけれど。


「あら、戻っていたのね。悪くなかったわよ」


「悪くなかったわよ、ではありませんわ!一体何処で遊んでいたんですの!?」


「折角頑張ったのに、まさか見てなかったなんて言いませんよね!?」


 私なりに労ったつもりだったのだけれど、どうやらご立腹の二人はそれどころではないらしい。二人への説明は一ノ瀬さんに頼んでおいた筈だけれど、見れば一ノ瀬さんは気まずそうに明後日の方を見ていた。


「どういう説明をしたのかしら?」


「い、いやぁ違うんよ!ちょっと言葉足らずだったと言いますか・・・へへっ」


 ヘラヘラするな。


「はぁ・・・まぁいいわ。悪くなかったと言ったでしょう。ちゃんと見ていたわよ。ねぇ社?」


「はい。お二人共お見事でした」


 社に同意を求め、この面倒な状況をさっさと終わらせる。

 そもそも私には、この後の試合を見るつもりがない。純白達の初戦を見る限り、決勝までは問題なく進むだろう。


「社さんがそう言うなら、信じますけど」


「今回だけですよ!次からはちゃんと待ってて下さいよ!?」


「え?私はもう部屋に戻るわよ?」


「なんでぇ!?」


 何故と言われても。

 私は二人の試合を観に来ただけだし、次も問題なく勝つであろうことは理解っている。であれば退屈な試合を見るよりも、ホテルに戻ってのんびりしていたほうがよほど有意義だ。そのついでに配信でも見ればそれで程度はいいだろう。


「心配しなくても、明日の決勝はちゃんと見に来るわよ。それとも、見られていなければ全力が出せないのかしら?」


「そ、そんなことはありませんわ!私と純麗さんなら余裕ですわ!」


「あ、純白ちゃんチョロい」


「そ。それは重畳ね。なら油断して負けないようにしなさい」


 そういって踵を返し、社と共にその場を後にする。

 背後からは『次も絶対勝ちますわ!!』などと意気込みが聞こえてくる。純白が扱いやすい娘で助かった。彼女たちの試合はともかく、他の試合は正直に言って眠くなるのだから仕方がない。


 そうして社を連れ立って、関係者用通路を通って帰る途中のことだった。

 他愛の無い会話をしていると、前方からやって来る二人組の姿が見えた。


 遠目では分かりづらいけれど、どことなく見覚えのある軍服の女性。そしてその背後にはやたらと露出度の高い服装をした女が胡座のままで宙に浮いていた。


「見間違いかしら?私の目には変態が浮かんでいるように見えるのだけれど」


「奇遇ですね、私にもそう見えます。そして恐らくですが、私はあの方を存じております」


「・・・友人は選ぶべきよ?」


「友人の居ない禊様に言われるのは釈然としませんが・・・友人ではありませんが、有名な方です」


 などと下らないやり取りをしていると、前方で浮かんでいた女がこちらに向かって両手を広げ、猛スピードで飛んできているのが見えた。その後ろでは軍服の女性が叫んでいる。


「ハロー!会いたかったデース!!」


「おい、バカ!やめろ!」


 飛んできた変態を、そっと身体を横にずらして躱す。

 恐らくは私に抱きつこうとしたのであろう、広げられた両手は行き場を失い宙を彷徨う。そのまま地面に落下し、数メートル程通路を滑ったところでようやく止まった彼女は、ぴくりとも動かなかった。


「・・・何なの?」


「・・・慌ててこちらへ向かって来ているのは、先日出会ったソフィア・エヴァンス様ですね。そしてそこで伸びているのが、恐らくは・・・」


 社が指ではなく、誰かの紹介でもするかのように掌で変態を指し示す。


「米国所属の『七色』、『絢爛の橙』『念動爆撃ドアノッカー』、エリカ・E・スプリングフィールド様かと」


 社の言葉を聞いた私は、頭を抱えたくなった。

 類は友を呼ぶ、なんて言うけれど、昨日の今日でもうこれか。


 誰が悪いというわけでもない、私はただ自分の運の悪さに呆れる他無かった。

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