第37話 母娘

「基本的には控えですが、何かあれば出る事になるかもしれません。私は補欠ですので」


 この説明も、何故だかすっかり慣れたものだ。

 そう何度も言う機会はない台詞だと思うのだけれど、不思議とこの数日はよく口にしている気がする。


「あらあらあら!それは重畳ね。出ることはない、なんて言われたらどうしようかと思っていたのよ」


「出場しない確率の方が高いですが」


「その時は残念だけど、仕方ないわね。さて、私がここにいる理由は分かった?」


 今のやり取りで想像出来ることなんて、殆ど無いと思うのだけれど。

 家業で忙しいあのお母様が、まさか本当に私の試合を見に来ただけだとでも言うのだろうか。

 ───有り得ないとは、言い切れない。


「私の応援に来ただけ、と?本気ですか?」


「本気も本気、大真面目よ!そのためにお仕事全部、前倒しで終わらせて来たんだから!勿論細かい仕事は残っていたけれど、全部凪さんに押し付けてきたわ。血の涙を流して泣いていたわね」


「・・・」


「そして禊さんを呼んだ理由。それは勿論、応援の言葉を直接伝えるためよ!」


 実年齢よりも若く見えるお母様だけれど、鼻息荒くそう宣言する姿はまるで遠足前のこどものようだった。遠足なんて行ったことが無いけれど、まぁ一般論だ。


 どうやら本当に、私を見に来ただけらしい。

 或いは、もしかすると何か他にも用があるけれど、表向きはそういう理由になっているのか。いずれにしても、お母様からの久方ぶりの連絡に少し緊張していた私からすれば、随分と肩透かしな理由であった。


「そう、ですか」


「そうですよ。そして今日私が、禊さんに伝えたかった事は一つだけ」


「何でしょう」


「もしも禊さんに出番が回って来た時は、思いっきり楽しんで欲しいの。きっと禊さんのことだから、周囲の事や今後の事を考えてしまって、試合を純粋に楽しめないんじゃないかと思ったの」


「・・・それは」


 その通りかも知れない。

 後々の事を考え、手を抜いて雑に終わらせてしまおうかと思っていたのは事実だ。

 そもそも好き好んで対抗戦に参加している訳では無いし、試合を楽しむ等と考えた事もない。それ以前に、楽しいことなのかどうかすら私には理解らない。

 ただ今回の出場依頼をやり過ごせればそれでいいと、そう思っていた。


「いい?手を抜く事と、手加減をするという事は、似ているようで全く違うわ。まだ未熟な学生とはいえ、彼らだって国を背負って、誇りをもってこの場に立っている」


「・・・」


「禊さんが全力で戦う訳にはいかないのは分かるし、手加減は必要よ?でもだからといって手を抜いてしまうのは、全力で戦う彼らにとって侮辱に等しい」


 お母様は私に言葉を伝えに来たと言っていた。

 そんなお母様の話す内容は確かに、私の中には無い考えだった。

 極論、勝ちさえすれば他はどうだっていいと思っていた。当然、対戦相手の感情などというものは欠片も考えていなかった。


「それではきっと、彼等のためにも、禊さんのためにもならないわ。大丈夫、勢い余って何人か殺してしまっても、こっちでなんとかしてあげる。だから思いっきり楽しんで頂戴。私はそんな禊さんが見たくて、ここまで来たんだから」


 殺さないわよ。

 お母様は一体私を何だと思っているのだろうか。

 確かに手加減は得意ではないけれど、流石に勢い余って殺してしまう程ではない。お母様の言葉に、こんな私でも少しは思うところがあったばかりだというのに。そんな私の気持ちは、一瞬でどこかへ飛んでいってしまった。


「・・・覚えておきます」


「うふふ、よろしい」


 そう言って満足そうに微笑むお母様。

 そんなお母様の姿に、何故だか少し気恥ずかしさを覚えた。一般的な家庭とは少し違う母娘だけれど、お母様からこんな風に何かを言われるのは初めてかもしれない。


「それでは、私は戻ります」


「あら。もう行ってしまうの?まだまだ聞きたいことは沢山あるんだけれど」


「・・・知り合いを待たせて居ますので」


 純白達を出しにするようで悪いけれど、このままでは先程言ったように、根掘り葉掘り聞かれかねない。話が一区切りした今が逃げ時だ。


「あら?あらあらあら?もしかしてお友達が出来たのかしら?」


 純白達の事は既に耳にしている筈だろうに、何も知らないふりをして私の口から報告させようとしているお母様を無視して、そのまま踵を返す。


「あぁん、もう・・・あ、そうそう。蘇芳さん、ちょっとこっちに来て頂戴」


「はい、奥様」


 けれど私の後ろで控えていた社がお母様に捕まってしまった。

 社は立場上断れないし、そもそもこの二人はこれまでにも、何事か話をしていることがよくあった。場合によってはそこにお父様が加わることもある。

 仲がいい、というと語弊があるかもしれないけれど、社は何かと私の両親には目をかけられているのだ。


 私を避けない稀有な使用人であることも理由の一つだと思うけれど、それ以外の理由もある気がしてならない。


 お母様が社に何事か耳打ちし、それに対する社は黙して頷くばかり。

 そうして数分間、何故だか私には聞こえないよう話を続ける二人。ようやく話が終わったかと思えば、お母様が久奈妓を手招きする。


 久奈妓の手には何かの紙袋。それを社へと手渡し、受け取った社はといえば何やら使命感に燃える瞳でお母様に一礼していた。

 非常に嫌な予感がする。


「禊様、お待たせ致しました。参りましょう」


 一連の流れには一切触れずに、ただその場を後にしようとする社。

 お母様は何も言わず、ただ微笑みながら手を振るのみであった。


 VIP観戦ルームから出た私達は、特に会話をすることもなくそのままエレベーターへ。社の持つ紙袋が非常に気になる。


「結局それは一体何なのかしら?」


「秘密です」


「・・・」


 こうなった社は問いただしたところで無駄だ。

 嫌な予感を感じつつもどうすることも出来ない。

 そんな無力感に苛まれながら、私は観客席へと向かうのだった。




 * * *




 久しぶりの我が子との対面は、家業で疲れた心に癒やしを齎してくれた。

 これがあるから私は、まだまだ頑張ろうと思える。


「あぁ、久しぶりに会えてよかったわぁ」


「それは何よりです」


「久奈妓から見て、禊さんはどうだった?」


 久奈妓は他の者達と同様に、あの子を避けている。

 それでも私が彼女を傍に置くのは、他の者達とは理由が異なるから。

 天枷の中であの子を忌避している者達、その殆どは尾ひれのついた噂や、先代の指示が原因であの子を避けている。


 けれど久奈妓は違う。

 彼女はあの子の覚醒の瞬間を見ている。齢十二の少女が、S級の境界鬼テルミナリアを討ち果たした瞬間を、その眼で。


 久奈妓はあの子を忌避しているのではなく畏怖している。

 いかに感応する者リアクターとしての階級が高かろうと、所詮は平凡な感応する者リアクターの延長線上にいるだけの、そんな自分達とは根本から違う存在なのだと。


 私に言わせれば久奈妓だって間違いなく非凡だ。

 天枷の従者部隊は、ただ家事をこなすだけの従者ではない。勿論家事や警備を専門としている者はいるけれど、彼女達のように序列を定められた五十人はその総てが感応する者リアクターで構成されている。


 彼等は天枷の名の下、私と共に境界鬼テルミナリアの討伐を行う精鋭でもある。

 そんな中で序列三位なのだから当然、そこらの平凡な感応する者リアクターなどと十把一絡げに出来るはずもない。


 けれど、久奈妓の気持ちも理解らないではない。

 先代達のように、『異常』だなんて思ったことは唯の一度もないけれど、それでもあの子が他と『違う』のは紛れもない事実だから。


 そんな久奈妓だからこそ、私は意見を求めた。

 彼女の目には、今のあの子がどう映ったのかを。


「率直に申し上げれば・・・少し丸くなったように思いました」


「あら、同意見ね」


 とはいえ意外ではあった。

 私からみたあの子は、以前に比べて少し角が取れたように見えていた。それは母親としての贔屓目の所為だと思っていたけれど、どうもそういう事ではなかったようで。


「私の知るお嬢様であれば、私はここまで平静で居られなかったでしょう。怖い、というと少し違いますが、以前まではお嬢様の傍に居るだけで、少し震えてしまっていました。ですが今日は纏っている雰囲気が、幾分穏やかに感じられました」


「ふふふ、それは重畳ね」


 白雪の依頼であの子が学園に入ると聞いた時は驚いたけれど、それと同時に喜びもしたものだ。母親としては、やっぱり年相応の経験もして欲しいと思っていたから。


 けれどそれは、きっと叶わないと思っていた。私達の力が及ばない所為で、あの子には辛い思いをさせてしまっていたから。あの子は実際の年齢に反して、内面的にも、学力的にも、それに実力的にも成熟している。勿論私からみればまだまだ可愛い子供だけれど、少なくともそういう面では学園に通う理由なんて殆ど無かった。


「変わったわね、あの子」


 それも、私だけでなく久奈妓でさえ分かる程に。

 そんなあの子が今、学園に通い、こうして対抗戦にまで足を運んでいる。

 本当は飛び跳ねて小躍りの一つもしたいくらいに嬉しかった。白雪家にはお礼の一つもしなければ。


「聞いた?『知り合い』を待たせている、ですって。まだまだ『友人』と呼べないところがあの子らしいけれど、それでも随分大きな進歩だわ。いい傾向ね」


「そうですね。このままいけば───」


「あら。それはまだ気が早いわよ。けれどそう遠くない内には必ず、といったところね」


 まだ口にすることは出来ないけれど、きっとその時はそう遠くない。

 今はただ、あの子の成長を喜ぶことにしましょうか。


 そうして私は再び席に座り、ガラスの外へと視線を戻す。

 眼下には、白雪の次女と縹の長女、それにクラスメイトであろう少女に纏わりつかれるあの子の姿が見えた。


「これであの子の試合が見れたら、もう言う事は無いのだけれど」


 ここ二年程、白雪の長女が対抗戦で活躍するたびに聞かされた六花さんの話を思い出す。それがどれほど羨ましかったことか。

 けれどこればかりは運任せだ。

 まさかあの二人が怪我でもするように工作する訳にもいかない。


 対抗戦は始まったばかりだ、まだまだ先の事は分からない。

 私はあの子の出番が来るよう祈りながら、そっと視線を舞台へと戻した。

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