第36話 天枷神楽
純白と純麗、二人の試合が丁度終わった頃。
社の鞄から電話の音が鳴り響いた。初期設定のまま変えていない、面白みの無いコール音。
といっても社の物ではなく、私の私用スマートフォンだ。白雪家からの情報を貰ったりする方は私の上着の内ポケットに収まっている。
すぐさま反応した社が、鞄から取り出したスマートフォンの画面を見つめ、一瞬目を見開いたかと思えば私の方へと差し出してきた。
「どうぞ」
「何よ?貴女が出れば───あぁ、成程ね」
画面に映る『お母様』の文字を見て納得した。
別に社が受けたところで問題は無いのだけれど、あの人は私以外が電話に出ると微妙に機嫌が悪くなる。
「はい」
スピーカーから聞こえてくるのは紛れもなくお母様の声だった。
声を聞いたのは数カ月ぶりだろうか。久しく聞くその声は変わりなく、むしろ少し機嫌が良さそうに感じられる。
「はい、そうです。はい?・・・いえ、そういうわけでは・・・はい。分かりました。直ぐに向かいます」
そんな短いやり取りの後、通話を終えた私は社にスマートフォンを返す。
私用のものはいつも社に預けるようにしている。
「社、行くわよ」
「畏まりました。ちなみにどちらへ?」
「あそこよ」
そう言って私が指差すのは、私達が今居る関係者用観客席の頭上。そこにいくつか並んだ、ガラス張りのVIP観戦ルームだ。ここへ来る前に『あんな所で観戦したくはない』と、他でもない私がそう言った場所。
純白達が戻ってくるのを待っているつもりだったけれど、呼び出されてしまっては仕方ない。別に断ってしまっても良かったけれど、特別な理由もないのに拒否するとあの人は拗ねるのだ。
「なになに?天枷さんどっかいくの?」
「呼び出しを受けたわ。申し訳ないけれど、純白達には適当に説明しておいて頂戴。長くなるかも知れないから、私に構わず先に戻っていて構わないわ」
「りょー」
言葉の意味は分からないけれど、何やら敬礼をしている姿から察するに恐らくは大丈夫だろう。きっと尻尾を振り回しながら戻ってくるであろう大型犬には悪いけれど、あの人はあまり待たせると面倒なのだ。あまり気が進まないけれど。
そもそも私だって、お母様がこの場に来ているだなんてことは知らなかった。一体どういう風の吹き回しなのかは理解らないけれど、普段は滅多に表に出ないお母様が来ているということは、何か重要な用件かも知れない。
手早く準備を済ませた私と社は、ひらひらと手をふる一ノ瀬さんに後を任せて席を立った。準備といっても日傘を畳んだくらいのものだけれど。
観客席を後にした私達は、もと来た道を戻ってエレベーターへ。
エレベーターの手前には警備が数人居たけれど、社が何事か伝えるだけですんなりと案内してもらうことが出来た。恐らく天枷の家紋が入った何かを見せたのだろうけれど、その程度で通してしまって良いのだろうか。或いは、話が通っていたのかも知れない。
このあたりから、通路の床や壁が無駄に高級そうなものへと変わってゆく。
案内の者に付いて歩けば、ほんの数分で大きな両開きの扉の元へと辿り着いた。扉は等間隔でいくつか設置されており、どの部屋の前にも漏れなく警備が付いていた。
案内の者と別れた私は、扉の前の警備を無視して扉をノックする。
警備の顔には見覚えがある。記憶が間違っていなければ、確か天枷家の従者だった筈だ。彼らはやって来た私には目もくれず、ただ正面を見つめて立ち続けている。
入室許可に代わり、メイド服の女性が少しだけ扉を開いて顔を出した。
彼女もまた天枷家の従者で、
名前は
「お待ちしておりました。どうぞ中へ」
彼女が開いた扉を潜れば、そこは想像していた通りの、なんとも鼻につく空間だった。床は全面が高級そうなカーペットに覆われ、照明から壁紙に至るまでが無駄に豪奢で。前面に広がるのは一面ガラス張りの観覧席。確かに見晴らしは良いけれど、私に言わせればまるで落ち着かない景色だった。
室内には久奈妓の他に三人の従者が居り、それぞれが中央に設置された席の後ろで直立している。私と社に気づいた三人は、一瞬忌々しいものでも見るかのように顔を顰め、すぐさま真顔で前へと向き直っていた。
私と社がやって来たことに気づいたのか、そんな仰々しく設置された席から一人の女性が立ち上がった。お母様だ。
「まぁまぁまぁ!久しぶりね禊さん!少し見ない間にこんなに大きくなって・・・お母さんとっても嬉しいわぁ!」
「お久しぶりですお母様。それと、以前に会ったのは数ヶ月前です。外見は何も変わっていません」
「そんなことありません!私は禊さんのことなら、どんな小さな変化だってすぐ分かるもの。前に会ったときよりも身長が2cmほど伸びたかしら?」
「そうでしょうか。自分では分かりません」
「ちょっと、なんだか冷たくないかしら?あっ・・・気づかなくって御免なさい、私が家の仕事で忙しいばかりに、なかなか会えなくて寂しい思いをさせてしまっていたのね」
「違います」
私がお母様の元へ来るのを
自分で言うのもおかしな話だけれど、お母様は私と
要するに、会う度にとてもテンションが高いのだ。
こんな姿を見て、この人が世界でも一握りのS+級
「御免なさい。久しぶりに娘に会えて少し興奮してしまったわ。それと───」
満面の笑みで私に抱きついていたお母様が、突然真顔になって振り返る。
「貴方達、もういいわ」
ひどく平坦な声色で、三人の従者へと端的に告げるお母様。
そこには一切の感情もなく、つい先程まで私と会話していたときの優しげな表情は鳴りを潜め、彼らを見る眼はまるでゴミでも見るかのように冷たい。
突然告げられた言葉の意味を測りかねたのか、三人の従者は狼狽える。
「聞こえなかったの?もう要らないと、そう言ったのよ」
これはお母様の持つ二面性。
普段温厚なお母様は、私と祓を溺愛するが故に、私達に対して敵意を見せる相手を絶対に許さない。私を敬遠している先代当主達を最も排除したがっているのは間違いなくお母様だ。近しい者ならばよく目にする光景だけれど、どうやら彼らは知らなかったらしい。
「もう一度だけ言うわ。貴方達はもう必要ない。これ以上私の機嫌を損ねる前に、さっさと、消えろ」
語尾からは丁寧さが消え、言葉を区切って強調するあたりが余計に恐ろしく聞こえる。これは私があまりここへ来たくなかった理由の一つでもある。
本人が最も強いというのは置いておくとして、お母様の周囲には常に数人の護衛がついている。そこに私がやって来れば、こうなることは予測出来ていた。というより、過去に何度もあったことだ。おかげで天枷家ではリストラが度々発生する。
私としては彼らの態度に、今更どうこう感じることはないけれど、お母様にとっては耐え難いことなのだろう。彼らの態度に腹を立ててるのは、お母様に次いで社だろうか。見れば私の後ろで不満そうに頬を膨らませている。
たったそれだけのことで、とでも言いたそうな従者達だけれど、お母様の言葉に口答えなど出来る筈もない。徐々に機嫌の悪くなってゆくお母様を前に、彼らはただ立ち去ることしか出来なかった。これで数日後には空いた穴が埋まっているのだから、天枷の力というのは中々に恐ろしい。
そんなやり取りの中、まるでどこ吹く風、或いはいつもの事だと言わんばかりに通常運転を続けていた久奈妓が、私の分のお茶を準備していた。
「さて、邪魔がいなくなった所で・・・禊さん、聞きたいことが沢山あるんだけど・・・とりあえず座って頂戴」
一転して再び笑顔を取り戻したお母様に促され、隣の席へと腰を下ろす。
すぐさま久奈妓がお茶と菓子を配膳する。差し出されたのは私が度々口にしている事を知っているのか、見透かされたようにザッハトルテだった。別に甘いものは好きではないと言っているのだけれど。
「ふふ、何から聞こうかしら。学園の話も聞きたいし、最近の討伐の話も聞きたいわね。つい数日前にも北海道で沢山壊してきたのでしょう?」
天枷の仕事で向かったのだから当然といえば当然だけれど、随分と耳が早い。ちなみに天枷とは関係なく、私個人で行った討伐だとしても何故か次の日には知っているのがお母様とお父様だ。別に隠しているつもりはないけれど、一体何処で聞きつけているのだろうか。
「まぁ、そうですね。数は少なかったですけど、質はまぁまぁでした」
「さっすがぁ!S級二体を『まぁまぁ』と言えるのは禊さんくらいだと思うわよぉ」
そこまで知っているのに、敢えて私の口から言わせるあたりがお母様らしい。
「それよりもお母様、私をここに呼んだ理由を聞いても?忙しいお母様がここに居る理由も」
「もう!相変わらずせっかちね」
「このままだと根掘り葉掘り、延々と続きそうでしたので」
「意地悪ねぇ・・・まぁいいわ。質問に応えてあげる。私がここに居る理由と、禊さんをここに呼んだ理由は同じなのよ」
「・・・というと?」
「禊さんは試合、出るの?」
満面の笑みを私へと向け、無邪気に問いかけるお母様。
成程。
お母様も好みではないであろう、こんな部屋を利用してまでここに来た理由。なんということはない。要するに、この人はただ娘の活躍を観戦したくて来ただけだったらしい。
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