第27話 貴女が思うよりもずっと

「お疲れ様でした、禊様」


 戻った私へと社が駆け寄る。

 いつもの光景だ。私が戦った後はいつも、真っ先に私の元へと社がやってくる。


「当初の予定とは違ったけれど、来て良かったわね、日頃の行いが良かったのかしら?」


 予測段階では震度二、高くとも三という、取るに足らない討伐になる筈だった。しかし蓋を開けてみれば、近年でも稀に見る高震度の境界振。消化不良気味になることを承知の上でやって来た身としては非常に満足出来た。


 境界鬼テルミナリアが連携を使ってきたことも驚いたけれど、何より彼らには意思があった。それが一番の驚き。

 戦闘中は色々あったけれど、終わってみれば傷の一つもない。

 大量の血は全て境界鬼テルミナリアのもので、私自身の被害といえば皆無と言って良い。強いて言うなら髪が数本切られたくらいだろうか。


「それは何よりです。今元に戻すので、動かないで下さい」


「ん、お願いするわ」


 私の言葉を待たずして、既に社は自らの背中で私を隠すようにして感応力リアクトを行使していた。実際には私を隠しているのではなく、自らの感応力リアクトを隠しているのだけれど。以前入学式の日に使った際は見物人が居なかったけれど、今は他人の目が多い。それ故の措置だ。


 社の感応力リアクトが発動した途端、私の全身を真紅に染めていた境界鬼テルミナリアの血が、頭の先から徐々に消え去ってゆく。服の汚れも、ほんの数本だけ短くなった私の髪も。何もかもが一分も経たずに元通り、ともすればここへ来たときよりも清潔になった気さえする。


 彼女の感応力リアクトは汚れを落とす等というものではない。そう見えるよう常に偽装しているけれど、実際には全く異なる能力。

 後悔と未練、今なお過去に囚われ続ける彼女の感応力リアクトは、そんなものよりずっと希少で、酷くいびつ感応力リアクトだ。


「終わりました」


「ん、有難う。ところで貴方、私が戦っている間ずっとカメラを回していたでしょう」


「おや、やはりバレていましたか」


 そう、彼女は後方に下がってからずっと、私の戦う姿を撮影していた。入学式のときのように、またいつもの悪癖かと思って放置していたのだけれど、今回は珍しく動画であったために少し気になったのだ。


「実はご当主様から仰せつかっておりまして」


「ふぅん・・・別に構わないけれど、また何か悪巧みでもしているんじゃないでしょうね?」


「悪巧みなどと。悪いようには致しませんのでご安心下さい」


「その言い回しが既に怪しいのよ・・・」


 あの父のことだ。

 私の戦う姿を一度見てみたい、等と言って社に撮影させた可能性は十分にある。少し引っかかるというか、思うところはあるけれど、少なくとも社が私に仇為すようなことはないだろうから、特に追求はしなかった。


「この後はどう致しますか?直ぐに会場へと向かわれますか?」


「そうね・・・」


 北海道での目的は既に達した。社の言う通り、これ以上ここに留まる理由は特に無い。対抗戦への興味はそれほど湧いていない事もあって、それほど急ぐ理由も無いし、別に一日くらい観光しても良いのだけれど。


 ちら、と後方へ目を向ければ、そこには呆然とした表情の隊員達が居た。

 私と、私が戦っていた跡、そして境界鬼テルミナリアの残骸を交互に見つめている。唯一、私が覚醒した時の様子を知っている鼎一佐だけが私を見据え、彼らの元へと戻るのをただ待っていた。


 彼らにどう思われようと別に気にはならない。今までもそうだったし、これからもそう。誰かの視線や評価を気にして行動したことなんて一度もない。世間体を気にしていては、私は私でいられない。


 そんなどうでもよい事で自分の行動を決めていたのなら、数年前に祖父母から煙たがられた時点で改めていたに違いない。

 けれど、だからといって煙たがられた状態で長々居座る気にも到底ならなかった。


 鼎父娘は案内役を買って出てくれるだろうけれど、彼らにも彼らの立場がある。こんな惨状を生み出した得体の知れない小娘を、自分たちの上司が嬉々として案内していれば部下達も思う所があるだろう。


 そうでなくても、ここへは私の都合で急遽やって来たのだ。挙げ句彼等の任務へ横槍を入れたも同然。謂わばこれはエゴ、我儘だ。だというのに、彼らの好意に甘え続けていてはそこらの迷惑な令嬢と変わりない。


「どう見ても引かれてるわね。少しくらいのんびりしようかと思ったけれど、これ以上は迷惑でしかなさそうね」


 けれど社の意見は少し違ったようだ。


「・・・間違いなく杞憂です。失礼を承知で申し上げます。前々から思っていましたが、禊様はもう少し外聞に気を配るべきかと。確かに天枷の中では、ご当主様や奥様以外の者から畏怖されておりますが、世の中は天枷内部が全てではありません」


「あら、珍しく手厳しいわね。私なりに空気を読んでいるつもりなのだけれど」


「そうなのかも知れません。ですが前提が間違っているのです。禊様は今、『また自分の悪癖の所為で彼らを怖がらせてしまった』と、そう考えているのでしょう?それが間違いなのです。彼らは禊様を恐れて居るわけではありません。この際なので言わせて頂きますが───」


 そうして社は、黙って彼女の言葉を聞いている私の前で、呼吸を整え言葉を続けた。


「人は自らの常識を覆す存在を目にした時、或いは、眩しすぎる存在を目の当たりにした時。感情はどうあれ戸惑ってしまう生き物なのです。受け入れるのに時間が必要なのです。太陽を直視すれば反射的に眼を細めてしまうのと同じように。ですが時間が経てば、人は陽の光を喜び受け入れるでしょう」


「・・・」


「彼らは恐れているのではありません。埒外の力を目の当たりにして戸惑っているだけなのです。禊様という太陽を直視するには、まだ眼が慣れて居ないのです」


 社の言葉をそのまま受け取るのであれば、私が恐れていると断じた彼らの顔は、恐怖しているのではなく驚いているだけだと、そういうことだろうか。


 ───不気味な鬼の子。


 初めて覚醒した時、祖父母の吐いた言葉が脳裏を過る。まだ幼い私を見るあの人達の、まるで境界鬼テルミナリアをみるかのような表情は今も良く覚えていた。成程、あれ以来あの人達のあの顔が、私の中での基準になっていたと、社はそう言いたいのだろう。


「確かに、禊様にはそんなつもりは無かったのでしょう。ただご自身の思うがままに振る舞っただけなのでしょう。ですが禊様は、世界に七人しか居ない『七色』の一人です。人類の希望と言っても良いでしょう。そしてそれは、禊様が『悪癖』と呼ぶ行為によって為されたのです。禊様の意思とは関係なく、皆が禊様に憧れているのです」


 憧れ?私に?彼らが?

 私がただ自分の破壊衝動を満たすためだけに行ってきた行為が、彼らの希望に繋がっていると?何を馬鹿な。


「禊様を恐れない私や純白様、純麗様を珍しいと思っていらっしゃるのでしょう?いいえ、例外と言うのならば、先代のご当主達や天枷家の者達。あの方達こそが例外なのです」


「何を・・・」


 社の言っていることは理解出来た。けれど納得出来るかどうかはまた別の話。

 それほどに彼女の言っていることは荒唐無稽で、とても鵜呑みに出来るような事ではなかった。


「禊様、周囲に眼を向けて下さい。世界は貴女が思うよりもずっと、貴女に優しい筈です」


 けれど私は、最も身近にいる者の進言をただ切って捨てるほど、自分が全てだとは思っていなかった。或いは、こんな私を一番嫌いなのは私自身かもしれない。だからだろうか、社の訴えは不思議とすんなり胸に落ちた。


 後方から何人もの興奮したような声が聞こえてくる。私達の会話が聞こえていたわけでもないだろうに、丁度社の言葉が終わった時だった。


「うぉ・・・うおおおおおお!!」


「凄い・・・凄ぇ!!おい見たかよ、S級が二体だぞ!終わったかと思った!!」


「勝った・・・?あんなにあっさり!?」


「信じられねぇ!!何が起こったんだよ!やべぇ、手ェ震えてる!」


「当たり前だろ!これが『緋』なんだよ!これが頂点なんだよ!あぁ!最高だ!見れて良かった!」


「良かった・・・ぐす、もう駄目だと・・・良かったよぉ」


 歓喜、驚愕、安堵、興奮。

 先程までは皆静かであったというのに、まるで堰を切ったように。

 様々な感情を露わにした隊員達が、いい年齢の大人たちが、まるで子供のように。社の言葉を借りるなら、これが『眼が慣れてきた』ということなのだろうか。


 口々に話す言葉はとても陳腐で、私に言わせればどこか嘘っぽい。けれど彼らの表情を見れば、それが本心であるかのように皆一様に笑顔を浮かべていた。それは人前で戦うことなど殆ど無かった私にとって、初めての光景だった。


 当惑する私の元へと、鼎父娘が歩み寄る。

 隊員達と同様に彼らも緊張していたのだろう。彼らの顔もまた何処か安堵したような、優しい表情だった。


「お力添えに感謝致します、お嬢様。お嬢様が居なければ、我々は全滅、或いは多数の死傷者を出して敗走していたことでしょう。心より感謝申し上げます」


「・・・ええ」


「皆を許してあげて下さいね。皆、禊様の戦いをその眼で見て興奮が抑えられないんですよ。そういう私も・・・ホラ、まだ鳥肌が収まらなくて。あはは」


 そう言う天樹の、じっとりと手汗に濡れた掌もまた、小刻みに震えていた。見せられたのが掌では、鳥肌が立っているかどうかなんて理解らなかったけれど。

 ふと嫌な予感を感じて後ろを振り返れば、そこには『ほらみたことか』とでも言いたげな様子の社が、にこにこと微笑みを浮かべて私を見つめていた。


「どうです?私の言った言葉は、まだ信じられませんか?」


 ここまで来て『わざとらしい嘘を』だなんて言うほど、流石の私もひねくれてはいない。社の小憎こにくたらしい態度は置いておくとしても、彼女の意見は一理あるらしい。全てを鵜呑みにするわけではないけれど、成程確かに、私の『悪癖』によって救われた者がここには居るようだ。


「今日は随分と生意気ね・・・けれど、そうね。頭の片隅には置いておくわ」


「ふふ、素直ではありませんね。まぁ今はそれで良しとしましょうか」


「貴女ね・・・」


 調子に乗って私を揶揄う社をじろりと睨みつける。

 けれど社はどこ吹く風、今の私ではその口を塞ぐことなど出来はしないと言わんばかりに、にこにこと笑い続けている。


「お嬢様、この後はどうされますか?我々は事後処理があるのでご一緒することは叶いませんが、もしよろしければ明日皆で、歓迎と祝杯を兼ねて食事でも、と考えているのですが」


「きっと楽しいですよ!」


 胸中を支配するのは、侍女に言い負かされたような悔しさと、慣れない感謝の雨でどうにも照れくさいような感情。今の複雑な心境で、そんな席に顔を出すなど御免被る。社の言葉は覚えておくと言ったけれど、それとこれとは話が別だ。そうでなくとも、昔からそういった席には顔を出していないのだけれど。


「・・・遠慮しておくわ。対抗戦もあるし、急いで戻らなけれればいけないの。申し訳ないけれど、皆で楽しんで頂戴」


「そうですか・・・残念ですが、致し方ありませんな」


「そんなー・・・」


 心底残念そうに肩を落とす天樹には申し訳ないけれど、私は一刻も早くこの場所から離れたかった。これ以上ここに居ては、調子に乗った社に何を言われるか分かったものではない。


「ふふ、天樹さん。今回は許してあげて下さい。大して楽しみでもない対抗戦を言い訳に使う程、禊様は照れているんですよ。またいつか誘ってあげてくださいね」


 今日の社は絶好調だった。


「貴女、いい加減にしないと───」


「ああ、怖い!このままでは禊様に何をされるか分かりませんので、失礼致します」


 そう告げるや否や、さっさともと来た道を下ってゆく社。山の中だというのに足音一つ立てないその姿が、彼女の上機嫌を如実に表しているようだった。主人を置いて先に戻る従者が何処に居るというのか。


「では、我々もこれで。見送りの部下を麓に待たせておりますので、そちらをお使い下さい。今回は誠に有難うございました。またいずれお会い致しましょう」


「禊様、次は絶対に遊びに行きましょうね!約束です!」


「はぁ・・・ええ、こちらこそ世話になったわ。また会いましょう」


 鼎父娘に別れを告げ、別段疲れた訳でもない筈なのに妙に疲労を感じる足を踏み出す。別れを惜しむ隊員達の感謝と称賛の声を、表情を隠すよう俯きながら耳に入れる。


 夜の森を吹き抜ける風が心地良く、一日の終りとしては、まぁ悪くは無かった。



 * * *



 その日の深夜、『災禍ファンクラブ』通称『難民キャンプ』にて、動画が公開された。この後、会員限定で公開されたその動画が波紋を呼ぶことになるのだが、当の本人はまるで知る由もなかった。

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