第28話 湖畔にて
鼎一佐に用意してもらった車で空港まで戻った私と社は、夜の内に北海道を出発。機内で軽く夕食を摂ってそのまま対抗戦の会場へと向かった。
当然、空港の発着時間を過ぎているため着陸の許可は出ない筈なのだけれど、恐らく事前に連絡が行っていたのだろう。すんなりと着地させてもらったばかりか、空港の責任者が直々にお出迎え。
あまり自分から家の名前を出すようことはしない私だけれど、今回は天枷家の仕事であったのだから仕方がない。そうでなくても、各地の
天枷禊という名前を名乗ったことは無いけれど、この対応を見れば薄々私の正体には気づいているように感じる。社内のコンプライアンスが徹底されているのか、或いは天枷の名を恐れてなのか。騒ぎになったことが無いのが救いだろうか。
そうして空港を出た私達は、いつものように社の運転する車で移動。一時間も経てば対抗戦の会場へと到着した。
まだ深夜か早朝か分からないような、
山間部を広範囲に渡って切り開き作られたこの会場には、近くに湖や森があることもあって薄っすらと霧に包まれていて、夏場でも涼しいくらい。
対抗戦は過去にも日本で開催されたことがあるらしく、隣接するように建てられたホテルやその他多数の店舗は、普段は避暑地やリゾート地として利用されているらしい。
ちなみにこれは道中で社に聞かされた話で、ここは誰もが一度くらいは聞いたことのある程度には有名な場所だそうだ。
「随分早く着いてしまったわね・・・ホテル、入れるかしら?」
「難しいかもしれませんね。日本代表は今朝学園を出発する予定ですから、あと数時間は掛かるかと。勿論、天枷の名前か、或いは『七色』としての権限であれば問題なく先に入れるかと思いますが」
「遠慮しておくわ。・・・いいわ、それなら暫く散策でもしましょう。湖にでも行ってみようかしら」
「畏まりました。とはいえ、あまり出歩くと、既に別のホテルにチェックインしている他国の生徒と鉢合わせになるかもしれませんが」
「こんな時間に?」
「時差の影響で眠れない、或いは調整のために起きている者がいる可能性は否定できませんね」
「ああ、そういうのもあるのね・・・まぁ何れにせよ、会ったところで別に問題もないでしょう」
「揉めなければ問題ありませんね」
社は一体、私を何だと思っているのだろうか。
誰彼構わず噛みつく狂犬にでも見えるのかしら?
「貴女が私をどう思っているのかよく分かったわ」
「いえ、そうではありません。対抗戦は各国にとって、とても重要な意味を持つ催しです。そしてそれは、将来国を背負って立つことを目指す学園生達にとっても同じです。故に、気を張って苛立っている者も居るのでは、と懸念致しました。ちなみに私は禊様のことを才色兼備、文武両道な完璧なお嬢様だと思っております」
「・・・」
「本当です」
「・・・まぁいいわ、とにかく歩くわよ」
昨夜から絶好調の社のことだ。私を弄って楽しんでいるのかと思ったけれど、成程、彼女の言い分にも一理あるかもしれない。対抗戦というものに全く興味のなかった私では、到底考えの及ばない意見だと素直に感心する。後半のわざとらしく並べただけの美辞麗句には、悪意を感じずには居られなかったけれど。
そうして社を連れ、森の中の遊歩道をのんびりと歩く。
天枷本家の敷地内にも緑は沢山あるけれど、やっぱり自然の山や森とは違う。朝霧に少し濡れた土や葉の匂いは、決して良い香りというわけでは無いのに、不思議と心が落ち着くような気がする。
そうしてゆっくり歩くこと三十分程。
森の中にぽっかりと開いた穴のような湖は、薄っすらと霧に包まれて居るにも関わらず、ほんの少し明るみだした空を湖面に映してきらきらと輝いていた。
「綺麗ね・・・湖も、空気も。たまにはこういうのも悪くないわね」
「そうですね。禊様もたまには観光旅行などしてみては如何ですか?私も休日はバイクでツーリングに行きますけど、良い息抜きになりますよ」
「そういえばたまにふらっと何処かへ出かけているわね・・・悪くはないけれど、私は
「ふふ、そうだと思いました。年頃の女の子とは思えない発言ですけどね」
他愛のない会話だ。
ここ最近はあまりこんな風に社と二人、のんびりとすることなど無かった。
入学式に始まり、京都へ討伐に行ったり、純麗と純白に稽古をつけたり。少し前までは
それが良い事なのか悪い事なのかは私には分からないけれど、社やお父様は随分と嬉しそうにしていることが増えた気がする。今にして考えれば、最近はこの二人に振り回されっぱなしだったと思う。
私らしくもないけれど、ほんの少しだけ過去を思い返していた、そんな時だった。
「・・・あら?」
私と社、二人しか居ないと思っていた湖に足音が近づいてくるのが分かった。人数は一人。鍛え抜かれた、戦闘を生業とする人間特有の乱れのない足音。
油断なくこちらへと向かってくる足音は、一分も経たないうちにその持ち主を連れて私達の元までやって来た。
「ん?・・・日本の学園生・・・か?」
まるで獅子のたてがみを思わせる美しい金色の髪。湖から吹く風に小さく揺れるその長い髪は、頭の後ろで一つに束ねられていた。
同じく黄金の瞳からは、まるで世界の全てを見通すかのような、何処か凄みのようなものが感じられる。
服装は学園の制服ではなく、恐らくは日本ではない他国の軍服であることから、対抗戦の出場国関係者であろう。
黄金のポニーテールに軍服が似合う、美しい女性だった。
「ごきげんよう。貴女も湖を見に来たのかしら?」
「あ、ああ。ここに景色の良い場所があると聞いて、明け方ならば誰も居ないだろうと思ってね」
流暢な日本語だった。発音も完璧。
私も英語は話せるけれど、彼女が日本語で話してくれているのだからわざわざ英語で返すのも不自然かと思い、そのまま日本語で話すことにした。
「あら、それは申し訳ない事をしたかしら?私達も少し前にここへ来たばかりで、散策をしていたところだったのよ」
「あ、ああ、いや、言い方が悪かった。こちらこそ申し訳ない」
そんな当たり障りのない、ごく一般的な話の入り方をしたと思ったのだけれど、しかし妙に挙動不審というか、狼狽した様子を見せる彼女に違和感を覚える。
彼女はその美しい瞳で私を見据え、何か言おうとして止める、といった事を繰り返していた。
私の予想が外れていなければ、彼女は恐らく経験豊富な
「・・・?私の顔に何か付いているかしら?」
「あ、いや、すまない。そうではなくて・・・その、もし気に触ったら申し訳ないんだが」
「何かしら?」
「・・・君は本当に学生なのだろうか?」
どういう意味だろうか。
誇るつもりも、公言したこともないけれど、これでも私は容姿に関してはそれなりに整っている方だ。過去、卑下したところで嫌味になるから、と社に頬を抓られながら叩き込まれたのだから間違ってはいないだろう。となると、歳上にでも見えるのだろうか?
「そんなに老けて見えるかしら?これでもまだ十五なのだけれど」
「いやっ、そういう意味じゃなくて・・・ああもう、日本語は難しいな!」
確かに日本語は難しいとよく聞くけれど、細かなニュアンスを発音や抑揚で伝えるのはどの言語でも難しい。ともあれ、要するに彼女は、私が老けて見えるなどと言いたいのではないのだろう。
「その・・・君は学生とは思えない程、洗練されている。直截に言えば、少し気圧された。十五と聞いた今、更に信じられなくなった。一体どうすればその歳でそれだけの空気を纏えるのだろうか、と」
「今一つ要領を得ないわね。結局何が言いたいのかしら?別に怒ったりはしないから、はっきり言って頂戴」
「そうか・・・ではお言葉に甘えて・・・君は何者だ?」
「・・・」
「私には一目で理解る。そこらの学生、否、世界中の
成程。
随分な評価を頂いているようだけれど、つい先程初めて出会った、それもほんの一言二言話しただけの私に一体何を感じたのだろうか。
彼女の言葉から察するに、恐らくは具体的な根拠があって言っている訳では無い。けれど何故だか彼女は、それを確信しているようだった。
「ふぅん・・・そうかしら?」
「間違いない。人を見る眼には自信があるんだ。私を前にしてもまるで自然体で居られる学生など、見たことがない。だからこそ知りたい、君が何者なのかを」
「成程ね・・・ところで、日本にはこういう言葉があるわ。『名前を尋ねる時はまず自分から』よ。私は貴女がどこの誰だか知らないのだけれど?」
少し嫌味っぽい言い方になっただろうか。
けれどそれでいい。私は初見の相手に主導権を渡すようなことはしない。ああいう言い方をするということは、少なからず自分の力に自信があるか、或いはそういった立場にいる者であろうことは推測出来る。ならば尚更、主導権は握っておきたい。
けれど私のそんな思惑は、結果的にただの杞憂だった。
「あ、ああ!すっ、済まない。興味が先に来てしまって失念していた・・・私は英国境界管理局、第501戦闘団所属のソフィア・レイン・エヴァンスだ。対抗戦のために来日している英国学園長の護衛として派遣されている」
「そ。要するに不審者ではないということね」
「勿論だ!確かに我ながら情けない姿を見せたとは思うが・・・それほど驚いたんだ。そこはあまり虐めないで欲しい」
彼女は困ったように眉を寄せながら、懐から取り出した顔写真付きのIDカードと共に、あっさりと身分を吐き出した。
その様子を見るに、どうやら何かしら企みがあって話しかけてきたというわけではなく、本当に偶然ここへやって来たらしい。
腕を組んで思案するも、彼女の名前には心当たりがなかった。そもそも国外に知り合いなんて居ないのだけれど。
「禊様」
と、そこで私の傍らで話を聞いていた社から声が掛かる。
思案を止め、社の方へと視線を向ければ、どうやら社には目の前の英国軍人に心当たりがあるらしく、少し困ったような表情をしていた。
「何かしら?」
「ソフィアという名前自体は、英国ではよくある名前なので推測になりますが。英国管理局所属の
───ということらしい。
社の推測が当たっているとすれば、目の前で少し涙目になっている大層美人な彼女は、私と同じ『七色』の一人、『金』であるそうだ。
少々調子に乗るきらいはあるものの、流石私の従者だ。私の興味がない部分は社がしっかりと補ってくれる。成程、足音一つで手練だと理解るわけだ。
「ああ、それはその・・・私のことだ。不本意ながら、そう呼ばれることもある。まぁなんだ、その名前が便利な時もあるんだ。不本意ながら」
大事な事らしい。
確かに、『戦女神』などと大っぴらに呼ばれて堂々と受け入れるのは中々に辛いものがある。私にしても、不本意ながら『災禍』だなどと呼ばれることもあるのだから、その気持はよく理解る。私の場合は半分揶揄されているような気もするけれど、実際に辺り一面を更地にしたこともあるので何とも言えないのだけれど。
「例えばこういう時、身分を示すのに役立ったりするよ。それ以外は恥ずかしいだけで、大した役には立たないけどね。さて、私の紹介は終わったところで、君の名前を聞かせてもらえるかな?」
昨晩は日頃の行いが良かったおかげで、S
何となく面倒事が起きそうな気がして、非常に気が重かった。
「・・・日本校一年の、天枷禊よ」
渋々名前を告げる。
さすがに相手に名乗るだけ名乗らせておいて、さようならという訳にも行かないだろう。否、別にそうしても良かったのだけれど、それでは問題の先送り。どう考えても後から面倒になる予感しかしなかった。
私の名前を聞いたソフィアは顎に手をやり、記憶を探るように俯いて考え込み、そうしてどうやら何かに行き着いたらしい。唐突に大きな声を出して瞠目した。
「ん・・・アマカセ・・・アマカセ・・・天枷!?」
「ええ」
「そんな日本でも珍しい姓、そうそう居ない筈・・・じゃあやっぱり、あの天枷!?」
「どの天枷かは知らないけれど、そうね。多分それで合っているわ」
「じゃあ・・・」
事ここに至り、今更言い逃れも出来ないだろう。
観念して、私は続きを口にした。
「はぁ・・・不本意ながら、『災禍の
私の言葉を聞いているのか、いないのか。
『智慧の金』と呼ばれる女性が、まるで呆けるように口を半開きにしていた。
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