第25話 僥倖

「ここが予測地点です」


 得体の知れない会話を聞きながら車に揺られること二時間。

 夏に入ろうかという時節、もう少し暑いかと思っていたのだけれど、そこは流石北海道と言ったところだろうか。或いは、アスファルトの照り返しのない山中だからなのか、思っていたよりもずっと涼しい。


 鬱蒼と生い茂る木々横目に車で坂を登り、途中から徒歩で数分。

 空港から札幌を通過して更に進んだ山中に、その場所はあった。

 森の中にぽっかりと開いた穴のように、そこだけは木が生えておらず広場のようになっていた。


 現地では鼎彬良の部下達が忙しなく動き回り、境界振の予測が外れた場合に備えてバリケードを築いている姿が見える。車内で聞いた話によれば、彼は一等陸佐。わざわざ私を出迎えに来るくらいなのだから、もっと低い階級かと思っていたのだけれど、実際は思いの外階級が高かった。元々は天枷家の所有する部隊の所属だった彼は、あの日の怪我が理由で"軍"へと異動したらしい。こういう場合も天下りというのかしら?


「ふぅん。なんというか・・・何も無いわね」


「仰るとおり、ただの山ですね。とはいえ市街地まではそれなりに近く、低震度の予測とはいえ手こずると面倒なことに成りかねません。禊お嬢様が来られるという連絡が無ければそれなりの戦力を投入する予定でした」


 彼の言うように、現地で作業を行っている者の数は多い。

 低震度の境界振に対応するにしては過剰ともいえる戦力ではあるけれど、私個人の意見で言えば安全マージン、つまりは多いほうが良い。


 これは地域、或いは指揮官によって個人差のある部分だ。

 きっと彼は慎重な性格なのだろう。損耗を嫌い、必要とあらばコストを度外視してでも確実な方法を摂るタイプ。当然その分の費用は嵩むのだから、上からは疎まれやすく、下からは慕われやすい。昇進出来ない典型に見えるのだけれど、それでも一佐にまで上り詰めているということは彼が余程優秀なのだろう。


 そんな風に思案していると、鼎一佐の部下と思われる兵士が一人、私達の方へ向かって駆け足でやってきた。話によれば彼の部隊は感応する者リアクターのみで構成されているらしい。つまり今やって来た彼もまた感応する者リアクターなのだろう。


「報告します!鼎一佐、周辺地域の確認、終了致しました!バリケードの敷設も、もう間もなく終了致します」


「ああ、ご苦労。順に休息をとって備えておいてくれ。まぁいつも通りだな」


「はっ!承知しました。・・・それで、その」


「ん?・・・ああ、このお方が天枷禊様だ。間違ってもお嬢様、なんて呼ぶなよ」


 手際よく報告を済ませた部下に対してそう釘を刺す鼎一佐。

 はて、貴方はこれまで、私を『お嬢様』と呼んでいた気がするのだけれど?


 ちなみに私は『お嬢様』と呼ばれるのが嫌い、ということはない。勿論好きというわけでもないのだけれど。単なる事実として、対外的に見た私は『お嬢様』と呼ばれてもおかしくはない立場だ。だからそう呼ばれることに忌避感は無い。もっと言えばただ単純に、呼ばれ方なんてどうでもよいというだけの話なのだけれど。


「自分は芦名二尉と申します!お、お会い出来て光栄であります!」


「そ。よろしく」


 そう自分を紹介した芦名二尉は、先程鼎一佐と会話していた時とはまるで違う、妙に緊張した様子だった。けれど彼の様子は、私が家で感じる、私を見た下の者達の恐怖や不安といったものとは少し違うように思う。


「その、失礼を承知で、サ、サインをお願い出来ないでしょうか!」


「は?」


 そう言って一枚の色紙とペンを両手で差し出す芦名二尉。

 まるで予想していなかった彼の言葉に意表を付かれ、思いの外低い声が出てしまった。彼は一体何を言っているのだろうか。

 サイン?私の?私をアイドルか何かだと勘違いしているのだろうか。


「はっ!申し訳ございません!いえ、その、鼎一佐からお話はかねてより伺っております!率直に申し上げて、自分はお嬢様のファンであります!」


 緊張のあまり、上官から『お嬢様と呼ぶな』と言われていたこともすっかり忘れているようだ。けれどそれどころではない。嫌な予感が胸を過る。ここまでの車内で発覚した、彬良と天樹が怪しげな集団の一員であったことも含めれば、彼の言う"ファン"という言葉の意味は自ずと知れてくる。

 私の背後、社の横に立つ天樹へと視線を向ければ、満面の笑みで頷き返す彼女の姿があった。


「呼ぶなと言っただろうが馬鹿者。禊お嬢様を困らせるな」


「申し訳ありません!ですがこの機会を逃せば、次は無いと思いましたので!それと、一佐もお嬢様と呼んでおりますッ!」


 なんなのだろう、このやり取りは。鼎一佐は部下から反撃される始末である。

 普段私にこの様な感情を向けてくるのは、それこそ純白と純麗くらいだ。それですら未だに慣れないというのに、初対面の芦名二尉から同じ様な感情を向けられた私は、どういう反応をするのが正解なのか理解らなかった。上官である鼎一佐に叱責されてすごすごと戻ってゆく芦名二尉の後ろ姿は、心底残念そうな哀愁に包まれていた。


「・・・はぁ」


「す、すみません・・・私と父・・・鼎一佐が布教した所為で、ウチは殆どの隊員が”難民”になってしまいまして・・・昨日連絡があってから皆、それはもう会えるのを楽しみにしていまして」


 溜息を一つ吐き出し、天樹の言葉を耳に入れながら遠くの隊員達の方へと視線をやれば、「抜け駆け」だの「狡い」などと、何やら芦名二尉へと罵詈雑言を浴びせている姿があった。見ている分には嫌いではない雰囲気だけれど、こんな事でこの部隊は本当に大丈夫なのだろうか。


「さて、予測時間までは・・・五時間程余裕がありますね。折角ですから食事でも如何でしょうか。美味い店を知っております。お嬢様のお口に合うかは分かりませんが」


 これまでは基本的に天枷の人間としか関わっていなかった所為か、ここ最近は慣れない経験ばかり続いている気がする。自分でも愛想が悪い方だと自覚はしているし、家でも半分腫れ物扱いの私だけれど、世間一般の私への印象は存外そうでもないのだろうか。だからどうだ、という訳でもないし、それで私自身の振る舞いを変えるつもりはないけれど。それでも今後、少しはこういった反応への心構えをしておくべきなのだろうか。


「もう何でもいいわよ・・・」


 どっ、と押し寄せた疲れから逃げるように、私は鼎一佐の提案に同意した。



 * * *



 鼎一佐も高官として要人を饗す機会があるのだろう。

 札幌へと一度戻り、それ相応に高級なお店で昼食を終えた私達は、市内を少し巡ってから境界振の予測地点へと戻ってきていた。時刻はとうに昼を過ぎ、あと一時間もすれば夜の帳も降りようかという頃。沈む夕日を眺め、社の淹れてくれたお茶を楽しみながら私達はその時を待っていた。


 この場所の周辺は既に封鎖され、鼎一佐と隊員達は周囲の警戒と各種装備類の点検を行っている。とはいえ、彼らが戦闘に参加することは無い。理由はもちろん、私がここに居るから。境界振の規模の大小なんて関係ない。誰であろうと、私の前の獲物を譲るつもりはないのだから。


 私は今回、刀を携帯して来ている。

 槍に薙刀、拳に足。何でも使う私だけれど、ある程度回して使っておかなければ感覚が鈍ってしまう。刀を使う理由なんてただそれだけのものだけれど、武器の中では好みの部類ではある。境界鬼テルミナリアの肉を斬る感覚は、この手で直接壊すのとはまた違った味があるから。


 父から貰った私の愛刀、"忌火いみび"。

 本当は愛刀などと呼べるほど、使う機会が多いわけではないのだけれど。

 名のある名刀なんてものは、そのほとんどが現在は博物館行きとなっており、本来の役目を果たせなくなっている。そんな中、父が感応力リアクトに目覚めた私のために高名な刀匠に依頼して作ってくれたのがこの忌火だ。


 全長210cm、刀身は150cmを超える、大太刀。

 大型のものでは3mを平気で越えてくる境界鬼テルミナリアに対して、通常の日本刀では足りない。その点、忌火であれば敵の肉を裂き、臓物までも斬り捨てることが出来る、いわば対境界鬼テルミナリア専用刀だ。威力に関しては私の感応力リアクトのおかげで然程恩恵はないのだけれど、その長さは中々重宝している。


 私の欠点は射程リーチの短さだ。

 触れてしまえば全てを壊せる、私にとっては最高の感応力リアクトも、触れられなければどうにもならない。周囲を纏めて吹き飛ばす事もできるけれど、それでは直接的な感触が得られない。まして魔法のように怪しい何かを手から放つ、なんてことも出来ない私にとって、忌火は最も楽に射程を埋められる手段の一つだ。


 勿論他にも、リーチを補うための方法は持ち合わせている。

 瞬時に間合いを詰めるための歩法も数種類体得しているし、体捌きだって幼い頃からこれでもかという程に修練してきた。周囲の環境を利用することも、敵の攻撃を利用することもある。全ては私の欲求を満たす為に。


 祖父母から言わせれば、そんなにしてまで敵を倒すために努力する私が余計に不気味らしいのだけれど、私からすればこんなことは当然の事だ。私がやりたいことを為すための行いを、私は努力とは思わない。

 将来の夢のため、多くの人が勉学やスポーツに励むことと一体何が違うのだろうか。


 そんな風に考えていた時、ふと周囲の空気が振るえたような気がした。鼎一佐や隊員達を見ても、どうやら誰も感じなかったらしい。けれど私の感覚は、これまで外れたことはない。


 忌火を背中越しに構え、一息で鞘から抜き放つ。

 そんな私に気づいた鼎一佐が、身振りだけで隊員達へと指示を出している。流石はベテランの感応する者リアクターといったところだろうか、察しのいいことだ。隊員達も武器を携え、足早に配置についてゆく。


 始めは私しか気づいていなかった振動は、成程、低震度のものだった。

 けれどそこから徐々に大きくなってゆく振動は、今では誰もが感じ取れる程の揺れとなって森の中を駆け巡る。


「社、離れていなさい」


「畏まりました。禊様、ご武運を」


 落ち着いた足取りでこの場を歩き去ってゆく社を見送り、忌火を軽く振り回す。

 振動の広がりは止まず、当初は取るに足らない小規模な境界振と思われていたそれは、今ではどう考えたって深度7を越えていた。深度7と言えば、以前白雪からの情報で向かった境界振と同じ規模だ。あの時は大量のB級に加えて少数のA級にS級が一体といった現界だった。ならば今回もそれと同様、あるいは準ずる規模になるだろう。鼎一佐の表情を見れば、どうやら彼も私と同じ考えであることが分かる。


 こういったことは頻繁に起きる訳では無いが、さりとて全く無いというわけでもない。境界針による予測はあくまで予測。基本的には近似値が出るけれど、絶対ではない。ちなみに、そもそも私はこの世に100%と0%は無いと常々思っている。だからどうだ、というわけではないけれど。


 要するに、予測が外れたからといって私がやることは変わらないということだ。

 何が何体出て来ようが同じ事。仮にここで私が死んだとしても、それですら私は受け入れられる。胸の内を常に支配する、この傲慢で終わりの無い渇望を持って生まれたその日から。この欲求に気づいたあの日から。私は何時だってそう思って戦場に立っている。


 断続的に続いていた振動が徐々に連なり、大きな波となって木々を揺らす。

 直後、一瞬のうちに振動が収まったかと思えば、何かがひび割れるような音と共にそれは姿を表した。


 隊員の誰かが持っていたのだろう、境界鬼テルミナリアの等級を計測する機器がけたたましい音を山中に響き渡らせる。


「・・・S級が、二体だと・・・?」


 誰かが震えるような声で呟いた、そのセリフに自然と口角が上がる。

 ここ最近は随分と退屈していたのだから、これはある意味ご褒美と言えるだろうか。

 或いは、聖との約束にあった巨大カブトムシが今ここに現れたということだろうか。


 何れにせよ、これは僥倖。

 はしたないとは思いつつも、あふれる感情を、歓喜と興奮に満ちた表情を、私は抑えることが出来なかった。


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