第24話 鼎父娘

 ここを訪れるのは何時ぶりだろうか。

 幼い頃は父に連れられて何度も来ていた北の大地。

 近頃はまるで足を運んでいなかったけれど、いざ到着すると不思議と懐かしい気持ちになる。


 当時はまだ家族間の仲も今ほど冷えては居なかったように思う。

 今では言葉を交わすことも稀となった祖父母や、妹であるはらえとも、自然に会話が出来ていたと記憶している。あの頃を最後に、徐々に私とあの人達の関係性は悪化していった。


 決定的となったのは私が感応力リアクトに目覚めたあの日なのだろうけれど、それ以前からきっと予兆はあった。そんな目に見えないような小さな綻びが積み重なって、そうして今に至っている。


 それ以来、家族で何処かへ出かけることなんてすっかり無くなった。

 広大な面積を誇るこの地だけれど、どういう訳か境界鬼テルミナリアはあまり現界しない。だから私にはそれ以来、ここを訪れる理由がなかった。

 家族が家族らしくあった最後の場所。私にとって北海道とはそういう場所だ。


 別に感傷的になっている、なんてことじゃあないのだけれど。

 ただそんなこともあったなと、そう思っただけ。


 天枷の自家用飛行機を降りて少し。

 どうやら私が来ることは事前に通達されていたらしく、空港では天枷家に所属する者が二人、私を出迎えてくれた。

 私が勝手に境界鬼テルミナリアを壊しに行く際はもちろん出迎えなんて無い。ただ社を連れた二人だけの移動だ。わざわざ現地に連絡なんてしないから当然だし、私としては出迎えなんて無駄なものは無い方が好ましい。


 けれど今回は、お父様経由で来た話。

 ここ最近は、可能な限り授業に出席する為や、純白や純麗に付き合ったりしていたために、全くと言っていいほど自身のさがを満たせて居なかった。

 そんな私を良く理解している父が、見かねて持ってきたのがここ北海道での討伐任務だった。予測では取るに足らない低震度の境界振だけれど、こればっかりは仕方ない。私が丁度退屈している時に、都合の良いタイミングで、都合の良い高震度の境界振が起こる、なんて都合の良い事は無いのだから。


 とまれ、当然天枷家としての仕事になる以上は出迎えがあるのは仕方ないことだ。

 これでも一応は、天枷家の長女なのだから。むしろ二人だけしかいないのは、私の性格に配慮してくれているのだろう。


「お待ちしておりました、禊お嬢様」


 二人の出迎えの内、スーツを着た男が深く腰を折り、そう言った。

 遠目からみても分かるほどの高い身長。恐らく190cm近くあるだろうか。肩幅も広く、鍛えられた筋肉が窮屈そうにスーツを押し上げていた。私はそんなことは全くないけれど、普通の人が間近で彼を見たら少し恐怖を覚えるのではないだろうか。深く礼をしている今でさえ、その大きな身体からは威圧感にも似た、窮屈な何かを感じる。ぱつぱつに張ったスーツが暑苦しいだけなのかもしれないけれど。


 そんな男に続いて、隣に居た女性が私に頭を下げる。

 先の男と同じスーツ姿で、下はタイト目のスカートだった。

 何処となくあどけないような印象を受ける顔立ちの彼女は、失礼かもしれないけれど、まるで大学出たての就活生といった雰囲気だ。恐らくは配属されて間もない新人だろう。隣の筋肉男の後輩なのだろうか。

 女性としても少し低めの身長で、小動物的な可愛さを感じさせる彼女だが、隣の男が大きすぎるせいもあってより小さく見える。


 如何に私が天枷の長女で、彼らよりも上の立場に居るとはいえ、年上である彼らをこんな風に評するのは失礼だろう。そう思った私はこのあたりで一度思案を止めることにした。


「わざわざ出迎えなんてさせて、申し訳ないわね。ご苦労さま」


 取り敢えずは彼らを労う。

 本心を言えば『別に出迎えなんて要らないのだから、無駄なことをせずに自分たちの仕事をしなさい』といったところだけれど、これが彼らの仕事なのだから言っても詮無きことだ。それに私がこういったことを好まないことは、きっと彼らも承知の上だろう。


「いえ、そのようなことは。確かにご当主様からは『出迎える必要はない』と伺っておりましたが、私達がお出迎えしたくてやっておりますので」


「そ、その通りですっ。ようこそお越し下さいました!」


 あら?

 てっきり私は、彼らが命じられて来ているものだと思っていたのだけれど、どうやらそうではないらしい。とはいえそれはそれで宜しくはない。父が『出迎える必要はない』と言ったのならば、それは『出迎えるな』と同義だ。要するに命令無視といっても過言ではない。


「あら、立派な抗命じゃない。私が告げ口するとは思わないのかしら?」


「まさか。禊様がこの様な些事でご当主様を煩わせるとは思えません」


 少し脅すような私の言葉も、男は全く意に介さない様子だった。

 それどころかまるで悪戯を成功させた子供のように不敵に笑っていた。


「それに───」


「それに?」


「禊お嬢様にとって、出迎えの有無などどちらでもよいでしょう?それよりもさっさと案内しろ、と考えておられる筈です」


「ふぅん・・・」


 図星だ。

 実際に私は先程からそう思っていた。

 どうやら彼は随分と私のことを理解している、或いは調べているらしい。隣の女性は先程から緊張した様子でおろおろと狼狽しているばかりだけれど、男の方は落ち着き払って堂々としている。姿勢こそ敬意を払った直立不動だけれど、その眼には、私がこの程度で怒りを顕にすることなどない、という確信めいた光が見えた。


 天枷家では、というよりも天枷の内外でも、私は気難しく扱いづらいと言われていることは知っている。恐れられていると言っても良いかも知れない。望むと望まないとに関わらず、そんな私を前にしてこんなふうに振る舞える者は少ない。

 直截に言えば、私はそんな彼の態度が嫌いではなかった。


「貴方、何処かで会ったことがあるかしら?」


「はい。三年前の京都で、神楽様の任務にご一緒させて頂いておりました」


「三年前・・・成程、あの時の生き残りというわけね。道理で肝が座っているわけだわ」


「恐縮です。あの日の事は自分にとって忘れられない記憶となりました。覚えて居られないでしょうが、あの時お嬢様を病院まで抱きかかえて行ったのは私です」


「あら・・・確かに、疲労感で身体が言うことを聞かなくて、誰かに搬送された記憶があるわね・・・少し恥ずかしいわね」


「ははは、私にとってはこれ以上ない思い出となりましたよ。あの戦いを生き延びた事も、お嬢様の覚醒する瞬間をこの眼で見られた事も、お嬢様を抱きかかえた事も全て」


 どうやらあの日を知る、数少ない者だったらしい。

 あの時のことは、実は私はあまり覚えていない。初めて感応力リアクトを使った者は大抵がそうなのらしいけれど、半ば忘我状態であるために、とにかく疲労感が大きいのだ。

 ともすれば、当人である私よりもあの時のことに詳しいであろう男が、眼を輝かせながらあの日を思い起こすように語り始めた。けれど自分の知らない自分の話など、恥ずかしくて聞いていられない。


「はぁ・・・やめて頂戴。ほら、仕事でしょう?早く案内しなさい」


「はっ!失礼致しました。ではこれよりは私、鼎彬良かなえあきらと───」


「わ、私、鼎天樹かなえあまたがご案内致します!」


 そう言って私に敬礼をする二人。空港内で周囲の一目もあるというのに、だ。

 彼らからすれば恥ずかしいことなど何もないのだろうけれど、私は軍人ではない。普通に恥ずかしいから止めて欲しかった。


「あら?貴方達───」


「はい。父娘です。娘ともども、宜しくお願い致します」




 * * *




 私は移動中の間を埋めるために、今回の討伐の詳細を聞こうと思っていたのだけれど。鼎彬良の運転する、例によって無駄に高級なその大きな車の中では、私が覚醒した時の話で盛り上がっていた。私抜きで。


 先の彬良の口から飛び出した私の過去の話に、社が食いついてしまったのだ。

 随分と仲の良くなった社と彬良、それに天樹の三人は、何がそんなに楽しいのかと問いただしたくなるような盛り上がり様である。


「成程、それでその後はどうなったんでしょうか?」


「いやぁ眼を疑いましたよ。境界鬼テルミナリアが爆発したかと思ったら、腹の中から無傷の禊お嬢様が現れましてね。漫画じゃあるまいし、まさか本当に敵の中から破壊する、なんてことをやる人間が居るなんて信じられませんでした」


「その場に居られなかったことが悔やまれます。かぐや姫バイオレンスバージョン、といったところでしょうか。見た目がシュールで大変結構かと」


「でもそのおかげで、父や他の部隊員の方々も全滅を免れたんですよ!死傷者はたくさんいたらしいんですけど、それでも全滅しなかったのは禊様のおかげなんです!」


「私も感応する者リアクターとして目覚めてから長いですが、あんな衝撃を受けた事は、後にも先にもありませんね。あの時の経験のおかげで、私も今ではS級になれましたからね」


「父からその話を聞いたときから、もうずっと禊様に直接お礼を言いたくて!でもやっぱり会いたいと思っても会えないお方じゃないですか!だから私ずっと───」


 かれこれ一時間ほどこの調子である。

 天樹からはこれでもかというほど感謝を伝えられたし、初めて会ったというのにうんざりするほど信奉されているような気配すら感じる。私を見つめる彼女の眼からは、何か教信者めいたものを感じずには居られない。


 彼女ら三人が急に仲が良くなった理由は判明している。例のの所為だった。車内で当たり障りのない話をしていたところ、天樹が自慢をするように見せつけてきたモノ。それが三人の共通するモノであると判明してから、この三人はずっとこの調子だ。


「いやぁ、やはり『難民』が三人集まると話題に事欠きませんな。まさか創始者が禊お嬢様のお付きの方だったとは」


「私の同僚にも難民は何人か居ますけど、やっぱり集まれば禊様のお話ばかりですからね!っていうか私はいつも父と家で禊様談義してますから」


「禊様の魅力を広くお伝えするのは、最も近くに居る私の義務です」


「この前の会報はとても良かったですね。全文保存してしまいましたよ」


「あ、私は先日の抽選で当選した禊様の使用済み手袋(血塗)が届きましたよ!直ぐに密閉して、今は部屋の机の上に飾ってあります!」


 知らぬ間に私の手袋が回収され、怪しい集団の景品となっていた。

 別に捨てた物だからどうしようと構わないのだけれど、境界鬼テルミナリアの血がべっとりと着いた手袋など手に入れて何が嬉しいのだろうか。飾っているのとことだけれど、それは一体どういった感情なのだろうか。


「・・・はぁ」


 世の中にはまだまだ理解の出来ない事が溢れている。

 呆れるように溜息を吐いた私には、窓の外の景色を眺めて居ることしか出来なかった。北海道の大地は広大で、移動にはまだまだ時間がかかるだろう。いっそ直接自家用機で向かえばよかったと、今更ながら後悔していた。


 そんな私を他所に、三人は盛り上がり続ける。

 当人である私を抜きにして走り出したこの会話は、結局現地に到着するまで止むことはなかった。


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