第19話 彼岸花

 攻撃を受け続けた右腕がひどく痛い。

 勝つための策とはいっても、痛いものは痛い。


 技術というものは経験と積み重ね、その集大成だ。

 いくら私が特訓したといっても、それはたかだか一月と少し。確かに内容はとても濃くて厳しいものだったけど、それでも短期間なことには変わりない。

 そんな正しく付け焼き刃な今の私の技術で、これまで鍛錬を怠らずにここまでやってきた藍さんに勝てるほど戦いは甘くはない。だから禊さんは、私に二つの作戦をくれた。


 一つはある意味正攻法。

 もう一つは、それで勝てなかった時の最後の手段。


 彼我の戦力差は歴然。私は間違いなく格下だ。実力差がある以上は正攻法では勝てない。格下である私が藍さんに勝とうとすれば、どこかで大きな賭けが必要になる。

 藍さんの知らない私の強みを押し付けて最後の賭けに持っていく、いまはその前段階。ほとんどすべてが劣っている私にも、藍さんより有利な部分がいくつかはある。


 一つ、藍さんは今の私の戦い方を知らない。

 禊さんに鍛えてもらった今の私は、自分の身体能力を適宜強化することで今までとは比べ物にもならないくらいに動けるようになった。もちろん本職、というか近接戦闘を専門にしている人から見ればまだまだ拙いけど、それでも今までの私よりはずっと動ける。

 以前の私を知っているであろう藍さんだからこそ、余計にその差に戸惑う筈。


 一つ、藍さんは性格上、勝負を急ぐ。

 あの人は格下である私に長々と時間を使うつもりはない筈。

 見下した相手に対して思うように事が進まない時、人は苛立ち焦る、とは禊さんの言葉。そして藍さんはそれが顕著だ。

 現に今、耐えることに徹した私を未だ倒せていないことに苛立ちを隠せていない。

 だから、まだ私が防御しかしていないことにすら気づいていない。


 一つ、藍さんは持久力に欠ける。

 彼女は一撃の重さを重要視する戦闘スタイルだ。必然的に大振りな攻撃が多くなるし、その分持久力も消費する。感応する者リアクターといえど無限に動けるわけじゃない。適当に戦っても勝てるだろうと、序盤に雑な攻撃を繰り返したのも手伝ってか、既に藍さんは呼吸が乱れている。


 これらの材料を使って勝つのが第一案。

 だから序盤はひたすら耐えた。こちらから攻撃をすることなく、藍さんの知らない私を使って隙を突くでもなく、ただ藍さんのスタミナを削った上で苛立たせ判断力を奪うために。こうして気づかれないよう有利を重ねていく。もしも第一案では勝てなかったとき、ただの一撃に賭けるために、その賭けの成功率を上げるためにも。


 禊さんの見立てでは良くて3割、全ての賭けに勝っても4~5割といったところらしかった。でも私が藍さんに勝つ可能性が少しでもあるのならそれで十分だ。分が悪い賭けだとは思えなかった。


 そうして序盤に仕掛けず防御に徹したお陰で、藍さんの攻撃をじっくり見られた。

 彼女の攻撃は拳にしろ蹴りにしろ、直線的なものが多い。力押しを地で行くタイプだ。でも今日まであの禊さんと特訓をしていた私にとって、彼女のそれは威力以外はそれほど脅威ではなかった。おかげで打点をズラして受け流すという、禊さんにたっぷりみっちり仕込まれた防御を活かすことができた。

 とはいえこれは被害を抑えるための防御だ。ダメージはどうしても受けてしまう。

 その結果がこの腕の痛みだった。やっぱり当たった時の攻撃力は凄かった。


 でも、それももうお終いだ。

 動きは見れた。防御も出来る。相手の感情も乱すことが出来た。スタミナも削れた。準備は整った。だから───


「ここからは・・・勝ちにいきますっ!」


 能力を使わずに行う私の全力での拳は、見事に藍さんの脇腹を捉えた。

 これで彼女の苛立ちは最高潮に達した筈。ついでにダメージを与えられれば良かったけど、そうは上手く行かないみたいで。ほんの少し藍さんの表情が変わったけど、それは苦悶だとか痛痒というよりもただ激昂しているだけのような気がした。


「調子に、乗るなァ!」


 怒りに身を任せた藍さんの大振りの拳は、もう受けたりはしない。

 拳に向かって前進して、少し屈めばそれだけで放たれた彼女の拳は空を切る。

 目を見張る藍さんの懐に飛び込んだ私は、そのままの勢いで彼女の腹部目掛けて拳を突き出す。所謂ボディブローだ。

 躱すのは到底間に合わない、そんな完璧と思えた私の攻撃は、その手応えを私へと返してはくれなかった。見れば少しだけ離れたところに飛び退る藍さんの姿。当たった瞬間に後ろに跳んで衝撃を減らしたのだと思う。多分だけど。

 良く漫画なんかで見かける防御方法だけど、あれが実は簡単に見えて難しいものだということはこの一月で嫌というほど思い知らされた。いとも簡単に合わせられたところを見ても、やっぱり藍さんはそう簡単に勝たせてはくれそうになかった。


「お前・・・手ェ抜いてやがったな。もういい、こっからは私も本気でやる」


 からへと、呼び方が変わった。口調も、その瞳もまた、本気を思わせる色を滲ませる。そして藍さんが感応力リアクトを四肢に纏う。

 ここからが本番だ。


「大怪我しても恨むなよ?」


 藍さんの感応力リアクトは『剛力ストレングス』。

 読んで字の如く、力を増幅させるものだ。感応力リアクトとしては珍しくはない単純な能力だけど、その分シンプルに強力な感応力リアクトだ。力が強くなるということは当然攻撃力が上がるということ。もともと高い攻撃力を持った藍さんがそれを纏えば、その攻撃力は計り知れないものになる。そして別にいきなり筋肉がつくわけじゃないのだから速度が落ちるだとか、スタミナの消費が激しくなるなんてこともない。デメリットのない、使い勝手の良い感応力リアクトだった。



 私もここからは感応力リアクトを自分に使う。

 さっきのような意表を突いた攻撃は、多分もう出来ない。それに当たったところで大したダメージにもならなかったところを見るに、やっぱり私が勝つ手段は限られている。


 その後は数度の攻防を行うも、そもそも私には反撃の機会すらなかった。

 藍さんの攻撃が激しすぎて、避けるので精一杯だった。彼女もそれなりに疲れているのか、それとも苛立ちのせいか。攻撃を当てられることはなかったけれど、私の体力も動揺に削られていく。


(このままじゃいつか躱せなくなる・・・一撃当たれば終わりというのがこれほど怖いなんて、知らなかった)


 そんな事を考えていた私の目の前、ほんの少しの思案の間に私の懐へと踏み込んできた藍さんの脚が見えた。油断していたわけじゃないのに、突如飛び込んできた彼女の回し蹴りに肝が冷える。形振り構わず大きく身体を仰け反らせてどうにか躱すことが出来たけど、これは悪手だ。すっかりバランスを崩してしまった私に、既に地面へ叩きつけるように振りかぶられた、次の攻撃を凌ぐ術はない。


「くッ・・・!!」


 きっと藍さんもそう思ったんだろう。口角を上げて犬歯を見せる彼女の挑発的な顔が印象的だった。確かにこれをまともに受ければ、或いはガードしたとしても。大きなダメージを受けることは間違いない。そのまま負けてしまうことも十分に有り得る。

 でも今の私は感応力リアクトによる強化を受けている。

 仰け反った勢いを流用して、無理矢理身体を捻って下半身を引っこ抜く。そうして側方に転がるようにして回避する。我ながら情けない回避だったけど背に腹は代えられない。


 大きな破砕音と土煙を上げた訓練場の地面を見てみれば、そこは地面がひび割れてすりばち状に凹んでいた。藍さんはといえば、どう見てもかわせなかった筈の攻撃を避けた私の不可思議な動きを見て眉を顰めていた。ついでに舌打ちも。


(禊さんのアレを見ていなかったら、これを見ただけで折れてたかも・・・つッ!)


 そう思ったと同時、左足に鈍痛が走る。骨にまで響くような重い痛みだった。

 どうやら躱しきれなかったらしい。私の左足に掠ったのか、起き上がろうとしても痛みで上手く立てない。折れてはいないまでも、罅くらいは入っているかも知れない。

 感応力リアクトによる強化を施した上で、掠っただけでこのダメージだ。直撃すればそれだけで試合が終わっていたのは間違いない。それに今でも十分に状況は悪くなっていた。この脚では次は躱せない。


(ぐッ・・・なんて威力、油断していたわけじゃないのにっ)


「ハァ、ハァ・・・クク、ようやく捕まえた。どんな手を使ったか知らないが、随分と手こずらせやがって」


 感情を揺さぶって、スタミナを削って、油断を誘って倒すのが第一案だった。

 事ここに至り、もはやそれでは勝てなくなった。

 ゆっくりとこちらに向かって歩を進める藍さん。


 もはや負けるのをただ待つことしかできない、震える脚でどうにか立つのがやっとといった、そんな状態の私に出来る最後の手段。


「死にはしねぇから安心しろ。一週間くらいはベッドから出られねぇだろうけど」


(結局賭けになっちゃった・・・ううん、今までの私じゃここまで来られなかった。賭けのテーブルに着くことが出来たということは、ここまでの戦いが無駄じゃなかった証拠)


 私の眼の前に立ち、右腕を引き絞る藍さんを見つめる。

 彼女の言動を、視線を、感情を。その一挙手一投足を見逃さないように。

 戦いが始まってからこれまで、じっくりと観察してきた情報を整理して予測を立てる。私の意識を刈り取るための最後の一撃が、一体どこに来るのかを。


(なんて、こんなのは賭けにならないかな?藍さんが何処を狙うのかなんて一目瞭然だよね。禊さんはここまで解っていたのかな?)


 これまでは満遍なく身体を覆うように展開していた感応力リアクトによる防御支援を一点に集める。結局最後は感応力リアクトの出力勝負だ。それはつまり、ある意味で気持ちの戦いということだ。なら、今の私に出来ないことじゃない!


「寝てろ負け犬がッ!!」


 そうして右腕をまるで弓のように大きく引き絞り放たれた止めの一撃。

 もはや私には避けることも叶わないと知って、これまでで一番の大振りで私目掛けて飛んでくるその拳に、私は自ら額を突き出した。もはや頭突きだった。

 藍さんの感応力リアクトをまとった拳と、私の感応力リアクトをまとった額がぶつかり合った結果、人体から出るとは思えないような重く大きな音が訓練場内に響き渡る。


「は!?」


 まさか自分から攻撃を受けに来るとは思いもしていなかったのだろう。

 拳を突き出したままの姿勢で目を見開き、硬直する藍さんの胸部、鳩尾みぞおちのあたりにそっと右の手のひらを添える。額から伝わる、頭が割れそうなほどの痛みに耐えるように歯を食いしばりながらも、その手のひらを捻るように握りしめる。

 肉を切らせて骨を断つ、格下が格上を倒すための最も簡単で最も効果的な方法。

 それが第二案、反射技カウンター

 相手の勢いを利用するものとは違い、確実に当てるために相手の攻撃後の硬直を狙うのが禊さんが提案してくれた最後の手段だった。


 額を守るために割いていた全ての感応力リアクトを握りしめた拳へと集める。

 これが禊さんからもらったお守り。試合が決まったあの日から、一週間かけてお尻を叩かれながら必死になってどうにか形にした、最後の切り札だ。

 きっと本家の技とは比べものにもならない出来なんだろうけど、それでもなんとか禊さんから及第点を貰えたそれは。



「────『彼岸花』ッ!!」



 紛れもなく、私の成長の証だ。

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